【第94回】間室道子の本棚 『逆ソクラテス』 伊坂幸太郎/集英社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『逆ソクラテス』
伊坂幸太郎/集英社
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本書のキャッチコピーは「敵は、先入観」。あらかじめの見下しや偏見にまみれた人物を子供たちがぎゃふんと言わせる(死語?)、痛快な五話が収録されている。でもミステリーというジャンルにとって、先入観はけっこうな味方だ。

「こういう時、こうなりがち」は、「そうではなかった場合、どうして?」と違和感に気づかせ、事件を読み解くとっかかりになる。テレビドラマ『相棒』の杉下右京警部は、殺された芸能界のご意見番的毒舌ライターの部屋がおしゃれ男の書斎のモデルルームみたいだったのを見て、「ふつうこの手の方の仕事場は、足の踏み場もないほど本やら雑誌やらDVDやらで散らかっているものですけどねえ」とつぶやき、被害者が実はどういうかたちで業界に君臨していたかを見抜いて殺人の真相に迫っていた。

もちろん思考の硬直はダメ。人気の海外ドラマで、「あれだけ証拠があがっていたのにオレはなぜ失敗したんだ!」と逆ギレする刑事に、ヒーローである科学捜査官が言う。「お前はまず犯人を決めつけ、それに証拠を当てはめた。私は証拠から、犯人を捉えた」。先入観が真相への導きになるか、冤罪を生むかはあなたしだい!

なんだか違う作品の話ばっかりですいません。今回は『逆ソクラテス』です。ええ。

ミステリー作家にとっても、読み手の先入観はなくてならないものだ。読者が「そういう人もいる」「こういうこともある」ばっかりだったら人間としては公平だが推理小説はぜんぜん面白くないだろう!伊坂幸太郎さんも本書の五編を「みなさん、ここはこう考えちゃって!」と念じながら書いたはずで、子供を委縮させる先生やクラスの権力者の凝り固まった判断がお話のクライマックスでひっくり返る時、私たち読者の脳みそも、伊坂さんにでんぐり返しされるのである!

短編集なのでどれから読むかは自由だけど、四話と五話は順序よく読んでほしい。注目は第一話と五話で、それぞれ「テレビがまともに見れない人」が出て来る。これは誰か。

見ているのがスポーツ中継であること、映っている人物を知っていること、劇的な幕切れへの悶絶、あと「失敗した」という思いが共通点だと思う。異なるのはその中身だ。

リモコンで付けたり消したりをくり返す一話目の人物が抱いているのは、画面の人の知り合いだと言ったらすごい自慢になるのにそうできない後悔、そして相手が成功すればするほど自分の過去は失敗だったと見せつけられるいらだちだと思う。号泣する五話目の人物が感じているのは、この人を知ってるだなんてとても、という畏れと、自分は失敗したんだな、という安堵。私はこう思ったんだけど、みなさんはどう?

正解は書かれてない。答えのない思い込みはひっくり返らない。だからあいまいだけど、こんな自分の本の読み方を拠り所にして、これからも生きていくんだ、と思った。重ねてみんなはどう?
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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