【第176回】間室道子の本棚 『ひとりでカラカサさしてゆく』江國香織/新潮社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『ひとりでカラカサさしてゆく』
江國香織/新潮社
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篠田莞爾八十六歳、重森勉八十歳、宮下知佐子八十二歳。この三人が大晦日の夜、とんでもないことをしでかす。

本書の帯には、三人のうちの一人の胸の内が引用されており、「ほしいものも、行きたいところも、会いたい人も、ここにはもうなんにもないの」。なんと絶望的でさびしい言葉だろう。

一人には時間がなく、もう一人にはお金がなかった。残る一人には時間もお金もあった。でもとにかく全員が、「ほしいものも、行きたいところも、会いたい人も、ここにはもうなんにもない」ことが、読み進むうちわかってくる。

三人はそれぞれ誰かの父親、母親であり、おじいさんおばあさんであり、また誰かの恩人であり、年上の友人、先生だった。老人たちのために、こんなことでもなければ出会うことのなかった人々が三方向から集まってくる。

読みどころは、私は身内でありながらあの人のことをよく知らなかったという人も、仲がよかった、愛していたという人も、彼らがなぜあんなことをしたのか、わからないこと。

本書のテーマは「満ちる」ではないかと思う。ああもう満腹、苦しい、という人には、「そのうちお腹はすくよ、やり過ごしなさい」と言うことができる。でも、「私の人生は満ち足りた」という人に「そのうちむなしいこともあるよ、待っていなさいよ」とは誰も言わない。また、本人が満足だって言ってるのに「さらなる絶頂を目指せ!」もへんなかんじ。相手が高齢者なら、なおさら。

八十を過ぎた老人たちの周りには、たくさんの死がある。

彼らは同じ会社の美術雑誌の編集者をしていたことがあって、かつて担当していた作家や、三人の共通の知人、共通でない知人。年上ならば、ああそうだろうなあという年齢で、そして自分たちと同じ年代で、あるいはずっと若くして、人は死んでいく。

で、あの人が死んで悲しい、というときに「新な出会いがありますよ」がなぐさめになるのは、たぶんある年齢まで。三人は初対面が二十代だったので六十年ほどの仲だ。今から「新しい誰かと数十年を共に」は、ない。

一方、関係者たちの反応はさまざまだ。ある者は周囲が引くほど泣き続け、ある者は老人を今までで一番身近に感じ、たえず心の中で話しかけながら日々を過ごすようになる。「あんなことが起きたのは他の二人にそそのかされたからにちがいない」と自分の側以外につっけんどんになる人もいれば、他の二方向とつながろうとする人もいる。

また、妻の妊娠をきっかけに別居を考えたり(この男はそれが彼女のためだとほんとうにフラットに思っている!)、大学院の担当教授とのあいだに溝があったり、自分は父の期待の息子ではなかったし、娘の自慢の父親でもないし妻の理想の夫からもほど遠いと考えたり、頭から「家族」というものがすっぽり抜け落ちていることに気づいて仰天したり、男から男へがやめられなかったり、とどのつまり皆がなんらかのかたちで満たされておらず、自分はひとりだ、と思う瞬間がおとずれる。

老人たちの大晦日の様子と、こんな関係者たちのその後が交互に描かれる江國さんおとくいの群像劇。読後、「ほしいものも、行きたいところも、会いたい人も、ここにはもうなんにもないの」という帯の言葉がみじめでさびしいどころか、不思議な解放感に満ちて見えるのが江國マジック。

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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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