【第229回】間室道子の本棚 『君の六月は凍る』王谷晶/朝日新聞出版

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『君の六月は凍る』
王谷晶/朝日新聞出版
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収録作二編があまりに違うので「王谷晶は二人いる説」「二重人格説」をとなえたくなる人もいるだろう。

「君の六月は凍る」は透明度の高い作品だ。登場するのは学校の同級生である「わたし」と「君」。そして「わたし」のきょうだいの「B」と、「君」のきょうだいの「Z」。「わたし」が三十年ぶりに、ある記事で「君」の名前を見たことから追想がはじまる。

かつて「わたし」は「君」に強烈にひかれていた。皆に異物扱いされ、ひとりで校庭の端にある鳥小屋で鶏をスケッチしていた子。

で、本作がすごいのは、すべてがボーダーレスなのである。

まず町が特定できない。「殺風景な川べり」とか「駐輪場の壁の読めない落書き」とか、「夕暮れに黒く浮かびあがる大橋のシルエット」とか、誰にでもイメージできるありきたりの眺め。

大きな町からはじきだされたごみ工場や養鶏場が建ち並び、田舎なのに美しい自然はなく、住宅街は安っぽく、子供のための施設は学校ぐらいで幼い者や若者が居候のように息をつまらせている。こんな場所は世界のどこにだってある。だから舞台は日本ではないのかもしれない。

そして「わたし」と「君」と、それぞれのきょうだいである「B」と「Z」のジェンダー。

全員が男でも、全員が女でも、男女女男でも、女男男女でも、女女女男でも、女男女男でも、その他いかような組み合わせでもお話が成り立つ。

ヒントめいたものはあって、「君」は年のわりに体が小さく、「きょうだいのお下がりなのか、君の着ているものは制服でも私服でもいつも身体よりだいぶ大きかった」となっている。

「君」が女子なら兄の学生服は着られないし、男の子なら姉のセーラー服は着られない。だから「君」と「Z」のきょうだいは同性同士なんだろう。でも最近ではジェンダーレスの制服もある。本篇は「2024年のできごとを2054年に思い出している話」なのかもしれないのだ(そう、時代もはっきりしない)。「B」と「Z」の場面ででてくる木工やギター、声、体の大きさも、男女の決め手にはならない。

年齢もよくわからない。「B」と「わたし」は四つ違いで、「Z」は「B」のひとつかふたつ上、とある。そして「図画工作」でなく「美術」なので、「わたし」と「君」は中学生、成績優秀で次の春から遠くの町に行くことが決まった「B」は高校三年、「Z」は二十歳前後と考えられる。でもぐんにゃりの件がある。

学校では孤立を恐れない「君」が、家では「Z」を相手にぐにゃぐにゃしている。「わたし」にはそれが耐えられない。

ここにはやきもちのような単純さではない心の痛みがあると思う。だって「君」が見せていたのは甘えや信頼の行為ではないから。言うなれば、自己放棄。でも、放り出されたのは「わたし」なのだ。“「君」が別人に見えた”を超えて、「わたし」には、自分が用無しと言われたくらいの嫌さかげんだったんだろう。

で、「Z」が兄であれ姉であれ、中学生男子が二十歳前後のきょうだいにあんな真似をするだろうか?女子ならするかもしれない。だとする「君」は女の子なのか?それとも年齢のほうを調整し、「わたし」と「君」は小学校高学年、遠い町に行く「B」は中学三年で、「Z」は十七歳くらいと見るべきなのか。

わからないので、もう考えることじたいをやめた。そうしたら、場所も性も時代も年齢も特定できない物語は、すべてが光の白いまぶしさの中でおこなわれているような神聖なかなしみを放った。

併録作「ベイビー・イッツ・お東京さま」の主人公は二十八歳の女性。「板橋」「世田谷」「紳士服のAOKI」「びっくりドンキー」「松屋の豚めし」「WJ(週刊少年ジャンプ)」「小林幸子」など怒涛の固有名詞と、ウンコ臭がして床がびしょびしょの野外トイレ、一部屋約三畳のシェアハウス、ネットの二次創作など濃い世界がてんこ盛りである。

だがこれらの、具体というよりあまりに強烈なので目くらまし的に使われてる感じの濃厚固有名詞をいろんな国の今の流行やスタンダードに置き換えれば、本作もワールドワイドに広がっていけると思った。

そう、二編があまりに違うからこそ共通するものも浮かび上がる。作者・王谷晶の、これらを書かないと私は死ぬ、という気合と、読んでくれ、という祈り。書かれただけじゃだめだ。「君の六月は凍る」の不思議な透明性、「ベイビー・イッツ・お東京さま」の世界標準装填の秘めたるエネルギーは、誰かが読んではじめて、その人のなかで発生するから。

多くの人の胸に立ち上がってほしい物語。早くも本年度私的ナンバーワンの書。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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