【第236回】間室道子の本棚 『B:鉛筆と私の500日』 エドワード・ケアリー 古屋美登里訳/東京創元社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『B:鉛筆と私の500日』
エドワード・ケアリー 古屋美登里訳/東京創元社
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「毎日窓の外を見ればそこには相変わらず人がいる。通りを行き来している人たちが見える。だがその人たちの顔は見えない。目から上の部分だけが見える。新種の人間みたいだ。鼻がなくて口がなくて顎がない。あの人たちは誰なのだろう」(P89)

作家でありイラストと彫塑の世界でも国際的な評価を得ているエドワード・ケアリーは、コロナ禍ロックダウンの2020年、毎日SNSに画を投稿すると宣言した。本書にはその500枚と、36篇のエッセイが収録されている。

すごいなあと思ったのは、まず、一日一枚画を描くことは彼にとって「囚人が独房の壁に刻む印と同じなのだ」と書いていること。

日本だと五日くぎりで「正」の字を書き、欧米の映画やドラマだと横に1、1、1、1、1と刻んでいくあれ。ケアリーにとっては棒線を1センチくらい引っ張ることと、繊細で緻密な作品を描くのは「同じ」なのである!

シェイクスピアが『リア王』を書いたのは、英国でペストが大流行し、皆が家のなかでじっとしていた時期だったらしい。”だからわれわれもこの期間を浪費せず、なにか活動的なことを”と述べる人々もいたそうだけど、「しかし私は本当はそんなことはしなくていいと思っていた」とケアリーは綴る。

なぜなら、おそらくシェイクスピアにとって、あの四大悲劇のひとつを書くことは「1111111」くらいのことだったからだ。息がつまる日々に好きなことをして、自分に優しくする行為。

コロナ禍はおさまらず、そのうち彼は、今日は何を描いたらいいんだ、と頭を抱えることになる。お悩みを救ったのは、見知らぬ人たちからSNSに書き込まれるリクエストだった。内にこもる自分への今日の確認めいたものが、外にいる誰かのためになったのだ。

あと、鼻。

ケアリーは、顔を描くときは必ず鼻から描き始めるそうだ。ここが決まればすべてがキマる。しかしそれが叶わなくなった。自宅に来た食品配達人との攻防がすごい。男のマスクはサイズが合っておらず何度もずれまくる。「鼻を見てはいけないんだ、鼻は禁止されている」とうわごとのように唱えるケアリーは、興味しんしんだが厳禁の下ネタに直面した中学生みたいで、滑稽で、哀れで、胸にじーんときた。

鬼のように絵がうまい人や神がかった天才は何人もいる。でもエドワード・ケアリーの画はいつも「人間の行為」にとどまっていると思う。動物や架空のいきもの、建物もあるが、圧倒的に多いのは古今東西の実在の人間だ。大多数が公式写真や肖像をもとにしており、本や映画が好きな人、世界情勢に興味のある人には「おなじみの顔」に出会う楽しみがあるだろう。

冒頭の引用は三分の一過ぎぐらいで出てくるもので、そのあとページをめくりながら気づいた。描かれた人々は、二、三をのぞいて皆マスクをしていない。ケアリーのさりげない祈りのようなものがうかがえる。

さらなるすごさは鉛筆への愛だ。彼は日本のトンボ鉛筆を絶賛しており、スケッチ、エッセイ、写真もある。何といっても本のタイトルになってるくらいだ!

鉛筆が尊いのは、身を削るからだと思う。この数年で私たちはいろんなもの――人間関係や体力、お金、心をすり減らした。でもケアリーの鉛筆がそれをみんな吸い取ってくれて、われわれは今、回復できる。

私にとってこれは、希望の書だ。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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