【第255回】間室道子の本棚 『パッキパキ北京』綿矢りさ/集英社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『パッキパキ北京』
綿矢りさ/集英社
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2022年の晩秋、中国で猛威を振るっていたもの、それが主人公・菖蒲(あやめ)である。
元・銀座のホステスで三十六歳。夫は五十代後半の商社マンで、2019年秋から北京に単身赴任。その後新型ウイルスが世界に蔓延し、中国には対ウイルスの厳戒態勢が敷かれる。その一方で不要不急うんぬんが叫ばれまくってた日本で菖蒲は旅やグルメ三昧。世間で「不」に換算されたこれらは彼女にとって「要」と「急」なのである。いかなるときも人生を楽しみつくす。それが菖蒲。
しかし、過酷なゼロコロナ対策で鬱寸前、中国にもなじめない、適応障害かも、そばにいて、と夫からSOSが来たことと、2022年の年末間近になって当局が「コロナは風邪と同じ」と方向転換したことからビザが出て、行かざるをえない状況に・・・。
皮肉にも厳しい締め付けがナシになったとたん中国の感染者数は増大。でも菖蒲はウイルスも言葉と文化のカベもなんのそので、マイナス十度以下の北京を闊歩する。
キャラクターに少しでもブレがあれば、ただのワガママ女と見なされるだろう。作者の綿矢りささんは、菖蒲の面の皮の厚さや快と楽に向かう時の容赦ないエネルギーを書き切る。
彼女はいろんなことにボーダーレス。まず水のように使う油と尋常じゃない量のニンニクと香辛料のおかげで地球上のあらゆる生き物を可食としてきた中華料理。タニシ、ロバ、鴨の首と舌と血、アヒルの脳など、菖蒲は一般的日本人なら尻込みしそうなメニューに食らいつき、堪能する。
さらに、ある日ネットに、白人の髭の中年男性が「若見え方法」を教える動画があった。こんな性別も人種も顔の骨格も違う例、ふつうなら自分には関係ないとシャットアウトするだろう。でも菖蒲は取り入れ、劇的な効果を得る。ウイルス感染し、熱と渇きに苦しむ夫にある物を使うことを思いつくシーンなんか、シビれちゃう。
さらなるあっぱれは、中国と日本は何が違うのかをがんがん見ていくこと。たとえばこちらのブリッコは「わんぱく」がチャームになる。ふくれっ面や生意気OK。でも日本では「おとなし~、はじらい~、モジモジ~」が求められる。「カワイイと相性がいいのはカヨワイとオサナイだけじゃない」という目線に胸がすく。
私にとって印象的な場面が二つあった。一つは入国直後から八日間の強制隔離で夫の部下が手配したリゾートホテルにカンヅメになった時。菖蒲は窓が五センチしか開かない部屋で、目の前の青い海にこがれる。で、期間が終了し、念願のビーチを歩いても、渇望が消えないのだ。
もう一つは、ホステスとしてペーペーで、「パパ」も見つけられなかった頃。彼女はどうしてもブルガリの時計が欲しかった。正規の店舗ではとても買えない。だからいくらか値引きされてると噂の秋葉原のヨドバシカメラに行った。そこで彼女はある中国人女性と遭遇するのである。今は財力として夫がいる。でもヨドバシの一件は頭から消えない。(まあ、ラストにオチはあるけど!)
彼女にとっては「手に入れば満たされる」ではないのだろう。扉を開ける、それじたいが欲望。きれいな浜辺を歩いたその先には、ブランド品を好きなだけ買える今の自分の向こうには、何が?だから彼女は北京で、人生で、未知を開けて、開けて、開けまくる。
「財力として夫が」とミもフタもないことを書いたが、物語が「夫婦に真実の愛は芽生えるのでしょーか」的方向にいかないのもいい。「変わった人が主人公です」を超えて、あたらしい時代が始まってる感じ。劇薬っぽいけど「菖蒲のように生きられたら」と思う人は少なくないはず。
潔さ全開の、パワフルなお話。
元・銀座のホステスで三十六歳。夫は五十代後半の商社マンで、2019年秋から北京に単身赴任。その後新型ウイルスが世界に蔓延し、中国には対ウイルスの厳戒態勢が敷かれる。その一方で不要不急うんぬんが叫ばれまくってた日本で菖蒲は旅やグルメ三昧。世間で「不」に換算されたこれらは彼女にとって「要」と「急」なのである。いかなるときも人生を楽しみつくす。それが菖蒲。
しかし、過酷なゼロコロナ対策で鬱寸前、中国にもなじめない、適応障害かも、そばにいて、と夫からSOSが来たことと、2022年の年末間近になって当局が「コロナは風邪と同じ」と方向転換したことからビザが出て、行かざるをえない状況に・・・。
皮肉にも厳しい締め付けがナシになったとたん中国の感染者数は増大。でも菖蒲はウイルスも言葉と文化のカベもなんのそので、マイナス十度以下の北京を闊歩する。
キャラクターに少しでもブレがあれば、ただのワガママ女と見なされるだろう。作者の綿矢りささんは、菖蒲の面の皮の厚さや快と楽に向かう時の容赦ないエネルギーを書き切る。
彼女はいろんなことにボーダーレス。まず水のように使う油と尋常じゃない量のニンニクと香辛料のおかげで地球上のあらゆる生き物を可食としてきた中華料理。タニシ、ロバ、鴨の首と舌と血、アヒルの脳など、菖蒲は一般的日本人なら尻込みしそうなメニューに食らいつき、堪能する。
さらに、ある日ネットに、白人の髭の中年男性が「若見え方法」を教える動画があった。こんな性別も人種も顔の骨格も違う例、ふつうなら自分には関係ないとシャットアウトするだろう。でも菖蒲は取り入れ、劇的な効果を得る。ウイルス感染し、熱と渇きに苦しむ夫にある物を使うことを思いつくシーンなんか、シビれちゃう。
さらなるあっぱれは、中国と日本は何が違うのかをがんがん見ていくこと。たとえばこちらのブリッコは「わんぱく」がチャームになる。ふくれっ面や生意気OK。でも日本では「おとなし~、はじらい~、モジモジ~」が求められる。「カワイイと相性がいいのはカヨワイとオサナイだけじゃない」という目線に胸がすく。
私にとって印象的な場面が二つあった。一つは入国直後から八日間の強制隔離で夫の部下が手配したリゾートホテルにカンヅメになった時。菖蒲は窓が五センチしか開かない部屋で、目の前の青い海にこがれる。で、期間が終了し、念願のビーチを歩いても、渇望が消えないのだ。
もう一つは、ホステスとしてペーペーで、「パパ」も見つけられなかった頃。彼女はどうしてもブルガリの時計が欲しかった。正規の店舗ではとても買えない。だからいくらか値引きされてると噂の秋葉原のヨドバシカメラに行った。そこで彼女はある中国人女性と遭遇するのである。今は財力として夫がいる。でもヨドバシの一件は頭から消えない。(まあ、ラストにオチはあるけど!)
彼女にとっては「手に入れば満たされる」ではないのだろう。扉を開ける、それじたいが欲望。きれいな浜辺を歩いたその先には、ブランド品を好きなだけ買える今の自分の向こうには、何が?だから彼女は北京で、人生で、未知を開けて、開けて、開けまくる。
「財力として夫が」とミもフタもないことを書いたが、物語が「夫婦に真実の愛は芽生えるのでしょーか」的方向にいかないのもいい。「変わった人が主人公です」を超えて、あたらしい時代が始まってる感じ。劇薬っぽいけど「菖蒲のように生きられたら」と思う人は少なくないはず。
潔さ全開の、パワフルなお話。
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。