【第258回】間室道子の本棚 『照子と瑠衣』井上荒野/祥伝社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『照子と瑠衣』
井上荒野/祥伝社
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出だしからシビれる。照子という女性がいなり寿司をつくっているのだ。その数二十個。十個は夫・寿朗用に置いていき、残りは自分が持って出る。

牛肉の赤ワイン煮も完成。夫でも圧力釜の蓋くらい開けられるだろうと彼女は考えるが、爆発するんじゃないかとキーッとなって手を触れられないかも、と思い、冷めたら蓋を外してラップをかけておこうか、と頭をめぐらす。

読者にはもう寿朗がふだん家でどういう男なのかがわかる。加えて私は「いや、俺だって圧力釜の蓋なんて開けられませんよ」、と自嘲的に、あるいはそれがどうした、と思う男はどれぐらいいるだろうと考えた。

閑話休題、照子は今年七十歳。いなり寿司付きの外出には瑠衣という女友達がからんでいる。照子にもう戻るつもりはなく、寿朗に「自分は妻に捨てられた」とはっきり知らしめたい。食事の支度は気遣いや詫びではなく、ふだんどおりの私がここを去る、と言う冷静さの表明なのだろう。プライドの高い夫はこれで捜索願など出さず、妻の失踪を周囲にひみつにするはず!そのあと便箋にグッドバイと書こうとしたけど、寿郎との総括に「グッド」なんて言葉は使いたくない――。

照子という人および結婚生活がどういうものだったかビシーッとわかる。ここまで五ページ。著者・井上荒野さんの真骨頂。ぐずぐずしない。読者は冒頭からドラマのど真ん中だ!

シルバーのBMWを走らせ、白髪のボブで顔立ちは和風、麻シャツにチノパンの照子は、金に近いベリーショート、派手な顔立ちとグラマラスな体型、大胆なファッションの瑠衣を迎えに行く。で、二人で「犯罪」をやらかすのである!

あとは生き生きしまくり。お金の心配や犯罪のうしろめたさはある。でも愉快が勝つ。グッドバイをやめた照子が寿朗になんと書置きしたかが効いている。いままでの自分は死んでいたも同然、というメッセージにも取れる一文なのだ。一方、瑠衣にも「捨てて来たもの」があった・・・。

二人はこのあとたくさんの人と出会い、それが読みどころなんだけど、私がもっともうなったのはやっぱり照子と捨てた寿朗の関係でしたねー。彼女は彼を完全に読み切っている!

数か月後の午後六時少し前、照子はかつての自宅のそばから夫に電話をかけ「七時に銀座の思い出のレストランで」と呼び出す。無人になった家に入りたいのだ。銀座まで電車かタクシーで小一時間。彼はすぐにマンションを出た。リミットは八時半、と照子は踏む。そして目的を遂行し、ねんのため八時二十二分に階下に出て周囲をうかがうと、夫の姿がホールの向こうに見えた。

で、私は計算したの。銀座まで約一時間ということは逆も同じ。レストランでシビれをきらせたのか、思い出の場所にたどりつけなかったのかは不明だが、八時二十二分過ぎに自宅に戻ってきたのなら、寿朗は銀座を七時二十分ころには出たことになる。

妻を待つ、あるいは指定の店を探すのに、二十分しかかけない男、それが寿朗。そして、「行方知れずとなりようやく連絡を寄越した私を彼はきっといつまでも・・・!」なんて考えず、「夫の銀座滞在は三十分程度」を見切っていた照子。あっぱれ!

彼女をはじめ、いろんな女たちが男を読む細部が大胆でスリリングなドラマを支えている。おすすめ!
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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