【第293回】間室道子の本棚 『親密な異邦人』チョン・ハナ 古川綾子訳/講談社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『親密な異邦人』
チョン・ハナ 古川綾子訳/講談社
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まず登場するのは書けなくなった女性作家だ。七年間、なにも。もう別なことを、とも思うが「イギリス留学で文学の修士課程を修了しかつて本を三冊出した経験がある」、そんな経歴で得られる正規職は皆無。今は無理して翻訳の仕事をしている。夫のほうはエリート学者の階段を上っており、彼が成功すればするほど自分は無能になっていく気がする。二人は離婚寸前だ。

ある日彼女は新聞を見て驚く。プロとして書いた三冊の前に、若き頃近所の印刷所に頼んで二十部だけ刷ってもらった自費出版『難破船』。その一部が載っており、「これを書いた人を探しています」という広告があったのだ。

会いに行ってみると、相手は二十代前半か半ばの女性で、「これは半年前に失踪した夫が書いたと言っていたものです」と本を差し出す。『難破船』とデザインがそっくりだが著者として別人の名がある。

これだけでも不可解なのに、若い女はさらに異常なことを言う。「夫は三十五歳。小説家だと言っていたが、これまでの人生で数十もの仮面をかぶって生きてきたようだ」と。年齢、名前、経歴だけでなく、消えたその人はあっと驚くことまで偽っていた。

女性作家は直感する。この話は書ける、と。

かくして彼女は行方不明者が残した日記――六冊のノート+パソコンのプリントアウト――を妻からあずかり、物語を書き始める。これに失踪者とかかわりのあった人々へのインタビュー、そして女性作家自身の人生が差しはさまれながら、本書は進行する。

単純に言うと詐欺師が欲しいものを手に入れていく話なのだが、斬新なのは、ダマされる側も相手をむさぼる、その遠慮のなさやくるおしい感じ。人は見たいものしか見ないし、信じたいものだけを信じるのだ。

たとえば、出来てたった一年の地方の音楽大学。定員割れしてるし先生たちもぜんぜん熱心じゃない。そんな中に、いくつかのコンクールの入賞記録をたずさえた素敵な講師があらわれたら。「コネ採用」というお膳立てはあったものの、学校は履歴書や成果を疑いもしない。また、常駐医師の雇用が至難のワザであった老人用高級住居施設にうるわしきお医者さんが応募してきたら。運営側は「ラッキー!」としか思わないだろう。

優位に立つ者、力のある側が、やすやすと相手を信用するさまはある意味滑稽。そして受け入れられたこの大ウソつきはある意味けなげ。なぜなら、さまざまな場所にもぐりこんで得ていた上品さやスキルをフル稼働させ、音大生やシニアタウンの老人たちのために全力を尽くすのだ。

インタビューや、女性作家が書く物語の人たち&彼女自身に起きたことにおいても、刺さるものがある。

“嘘だとわかっているけれど反論のしようのないことはのまざるを得ない”
“叶えたい未来はあまりに切実に語られると、すでにあった過去なのかと勘違いするレベルになる”
“人は誰でも自分を守るようにできており、その中で生きるしかないなら、傷つかないよう鍛錬をする”
白昼夢が武器や防波堤になるって、誰の人生にもあるのだ。

でも偽りは安定しない。繰り返される放浪。私の考えでは、日記を残して消えた人物が何から逃げてたかというと、騙した相手ではなく自分自身。そんな読み味がたまらないし、ラスト近くにはいちばんの衝撃が待っている。

なんの前情報もなしに手にした作品だったが、ミステリーとしても人生ドラマとしても恋愛小説としても読めてすごく面白かった。だから読書はやめられない!
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』、『Fino』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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