【第305回】間室道子の本棚 『カラフル』阿部暁子/集英社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『カラフル』
阿部暁子/集英社
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本で現実がわかることってある。
病気で車椅子ユーザーとなり、心底あこがれていた未来をあきらめた少女。「事故みたいなもの」で陸上短距離選手としての夢を捨てた少年。高校の入学式の日に出会ったこの二人が主人公になる本書は、よくある展開とはまったく違っていてシビれた。
少女はクールでがんがん行くタイプ。少年との出会いは、駅のホームで起きた事件がきっかけだったんだけど、彼女は一歩も引かず、暴走する成人男性を体を張って止めようとした。そのあと入学式で、入試トップの者がまかされる新入生代表を行い、そのあと初日のクラスでは、誰も手をあげなかった学級委員に立候補する。で、このとき、若い女性担任・矢地先生が、やらかすのである!
このシーンが私にはすごく苦かった。わたしもかつて、彼女とおなじことをしたからだ。
わたしのやらかしは二十年ほど前。以前勤務していた書店で、翻訳者のAさんを招いてイベントがあり、司会進行をまかされていたわたしは開演前、30人ほどの客席に小学五年か六年ぐらいの男の子がいるのを見た。少年はからだに障害があって、となりにいるお母さんらしき女性との会話もスラスラとはいかないようだった。で、Aさんのにぎやかなトークのあと、質問コーナーで真っ先に手をあげたのがその子だったのである。彼のほかに挙手してる人はいない。
わたしは、当てるのを躊躇した。
するとAさんが陽気に「ほら、あそこで手が」とその子にマイクが渡されるようにうながし、男の子はいっしょうけんめい、笑顔で、自分がアメコミがすきなことと、A先生は漫画の翻訳はしないんですか、ということを話し、Aさんもニコニコと答えていた。
わたしは自分を恥じた。これは差別だ。で、「繰り返さないようにしよう」で終わってしまい、向き合ってこなかったのである。なにがまずいのか、どういう考えでいけば、”二度と繰り返さない”が実行できるか。『カラフル』の矢地先生のシーンでいったん本を閉じて、自分を探った。
わたしはあの子を見下していたのではない。じゃあ躊躇の理由はなにかというと、わたしにとって障害を持つ人は、「助けてあげないといけない」「かばわなくてはいけない」であった。
で、「トークショーの質問コーナーで、しかもトップバッターで手をあげてくれる」という彼の、ふつうの権利&加えて勇気ある行動に、驚き、たじろいだんだと思う。とどのつまりわたしの本質は独りよがり。自分にあったのは、配慮じゃなくて先入観だった。まっさきに考えるべきなのは「差しさわりのない状態に」ではなく彼らがなにをしたいか。手をさしのべるなら、彼らがつまずいた時。「転ぶと怖いから、あなたのしたいことを最初からあきらめて」はやさしさではない。
そこまで考えて、また『カラフル』を開いた。
うなったのは、少女と母親の関係。これは障害のある人と家族の関係で、今まで描かれなかったことだと思う。そして圧巻は、彼女の学校行事参加をめぐってクラスが紛糾するシーン。登場人物として名前を与えられている子も、無名の子も、どんどん発言する。差別って何?「別に気にしない」って何?「普通じゃない」?「うちらが悪い」?意見がぶつかり、混乱し、本音が飛び出し、意外なことがわかったりもする。そこがいいのよ!
作者の阿部暁子さんは生徒たちに、いい子か、ネガな役かを背負わせない。生な十代の「どうしていいかわからなさ」がフレッシュに胸を打つ。矢地先生もいろいろ考え、動いてる!
「これからの三年間、越えなければならないハードルも多いでしょう。けれど、ここにいる仲間たちと助け合い、ともに乗り越えていきたいと思います」――少女の新入生代表スピーチの一部だ。
障害者の方々の困難は、彼らだけの困難じゃない。「ともに」乗り越える。深い読み味の一級品。
病気で車椅子ユーザーとなり、心底あこがれていた未来をあきらめた少女。「事故みたいなもの」で陸上短距離選手としての夢を捨てた少年。高校の入学式の日に出会ったこの二人が主人公になる本書は、よくある展開とはまったく違っていてシビれた。
少女はクールでがんがん行くタイプ。少年との出会いは、駅のホームで起きた事件がきっかけだったんだけど、彼女は一歩も引かず、暴走する成人男性を体を張って止めようとした。そのあと入学式で、入試トップの者がまかされる新入生代表を行い、そのあと初日のクラスでは、誰も手をあげなかった学級委員に立候補する。で、このとき、若い女性担任・矢地先生が、やらかすのである!
このシーンが私にはすごく苦かった。わたしもかつて、彼女とおなじことをしたからだ。
わたしのやらかしは二十年ほど前。以前勤務していた書店で、翻訳者のAさんを招いてイベントがあり、司会進行をまかされていたわたしは開演前、30人ほどの客席に小学五年か六年ぐらいの男の子がいるのを見た。少年はからだに障害があって、となりにいるお母さんらしき女性との会話もスラスラとはいかないようだった。で、Aさんのにぎやかなトークのあと、質問コーナーで真っ先に手をあげたのがその子だったのである。彼のほかに挙手してる人はいない。
わたしは、当てるのを躊躇した。
するとAさんが陽気に「ほら、あそこで手が」とその子にマイクが渡されるようにうながし、男の子はいっしょうけんめい、笑顔で、自分がアメコミがすきなことと、A先生は漫画の翻訳はしないんですか、ということを話し、Aさんもニコニコと答えていた。
わたしは自分を恥じた。これは差別だ。で、「繰り返さないようにしよう」で終わってしまい、向き合ってこなかったのである。なにがまずいのか、どういう考えでいけば、”二度と繰り返さない”が実行できるか。『カラフル』の矢地先生のシーンでいったん本を閉じて、自分を探った。
わたしはあの子を見下していたのではない。じゃあ躊躇の理由はなにかというと、わたしにとって障害を持つ人は、「助けてあげないといけない」「かばわなくてはいけない」であった。
で、「トークショーの質問コーナーで、しかもトップバッターで手をあげてくれる」という彼の、ふつうの権利&加えて勇気ある行動に、驚き、たじろいだんだと思う。とどのつまりわたしの本質は独りよがり。自分にあったのは、配慮じゃなくて先入観だった。まっさきに考えるべきなのは「差しさわりのない状態に」ではなく彼らがなにをしたいか。手をさしのべるなら、彼らがつまずいた時。「転ぶと怖いから、あなたのしたいことを最初からあきらめて」はやさしさではない。
そこまで考えて、また『カラフル』を開いた。
うなったのは、少女と母親の関係。これは障害のある人と家族の関係で、今まで描かれなかったことだと思う。そして圧巻は、彼女の学校行事参加をめぐってクラスが紛糾するシーン。登場人物として名前を与えられている子も、無名の子も、どんどん発言する。差別って何?「別に気にしない」って何?「普通じゃない」?「うちらが悪い」?意見がぶつかり、混乱し、本音が飛び出し、意外なことがわかったりもする。そこがいいのよ!
作者の阿部暁子さんは生徒たちに、いい子か、ネガな役かを背負わせない。生な十代の「どうしていいかわからなさ」がフレッシュに胸を打つ。矢地先生もいろいろ考え、動いてる!
「これからの三年間、越えなければならないハードルも多いでしょう。けれど、ここにいる仲間たちと助け合い、ともに乗り越えていきたいと思います」――少女の新入生代表スピーチの一部だ。
障害者の方々の困難は、彼らだけの困難じゃない。「ともに」乗り越える。深い読み味の一級品。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』、『Fino』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。