【第323回】間室道子の本棚 『人形のアルファベット』カミラ・グルドーヴァ 上田麻由子訳/河出書房新社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『人形のアルファベット』
カミラ・グルドーヴァ 上田麻由子訳/河出書房新社
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「なんかへんなもの読んじゃったなあ」というジャンル(!?)のあらたなる大傑作。
本書はカナダ出身で英国在住の女性作家による異常な小説群だ。フェミニズムが感じられるものもあるけれど、思想を広めたくて書いたふうではない。ここで思い出したのが、先日放送されたアニメ映画だ。
日本を代表する監督のこの最新作は、劇場公開時「理解できない」「ついていけない」と批判されていた。私はテレビ放映が初見で、どこから難解になるんだろう、と息をこらして見ていて、終了後あぜんとした。え、どこが難しいの?
「よくわかんなかった派」の人に聞いてみたら、「塔の中とか、鳥の場面とか、なんでこんなことが、と考えているうちに話に置いて行かれた」とのことだった。私の考えでは、おそらく「空想世界をひたすら」というファンタジーを読みなれない人が増えたんだと思うの。
ハリー・ポッターとか異世界もののように、「主人公の目的はこれ」「この人は味方」「これが原因でこういうことが」がはっきりする、筋の追いやすいファンタジーは人気。でも、千夜一夜物語やほらふき男爵のような、「ただただ不思議なことがどんどん起きる」。今はこれが受け入れられにくい。シーンには「意味」が、ストーリーには「作者の伝えたいこと」が、わからないものには「読み解き」が、全体には「まとめ」が求められる。そしてこれまた私の考えでは、「考察」すらオヨビじゃない雰囲気の作品は、「わけわかんないよ。失敗作じゃん?」となってしまうんだろう。
でもみんな、千葉の夢の国で「耳の大きなあのお方は今日なぜあそこにいたのか」とか「電飾大行進が言いたいこと」を考えないでしょう?ただ目の前を楽しむ。それとおなじで、八十歳を超えたアニメ監督は、映画というメディアでワンダーランドをつくりあげたんだと思うの。冒頭の赤く光る火の粉のフチや、主人公の少年の身体が廊下や階段と混然一体となって走るシーン。アニメーションの真髄=起きていることを画を動かして見せる快楽が、ここにある。私は監督の歴代最高傑作だと思った!
閑話休題、本作『人形のアルファベット』にはフェミニズムがうかがえるものも、と先ほど書いたが、たとえばシャーリィ・ジャクスン賞を受賞した「ワクシー」の、「女たちが、若い男が「試験」に成功するようひたすらつくす」という設定は、「男たちとキャバ嬢と売り上げの話」とも取れる。表題作なんてもう、意味を考えちゃだめ!こういうものを世に出せるグルドーヴァさんの、得体の知れなさにうなるし、搾取や抑圧をあばく以上に、「とにかくグロテスクでしょ」と嬉々としている感じがたまりません!
そう、「グロテスク」についてもふれておきたい。今は、思わず目をそむける醜悪をこう呼ぶけど、もともとは、目が離せなくなるほど表現の強い奇怪や異形を差していたの。だってグロテスクって、古代ローマの美術様式だし。
閑話休題、
「グレタは自分のほどき方を発見した。服や皮膚や髪が、まるで果物の皮をむくようにするすると剝がれ落ち、中から本当の身体が出てきた」(「ほどく」)
「人魚と言っても、彼女はよくある下半身は魚、上半身は人間の女性という姿ではなかった。魚と人間が、ミルクティーのように混じりあっていた」(「人魚」)
どうです、不気味ながらもクギヅケでしょう!?訳者あとがきで上田麻由子さんが紹介していた、「わたしはいつも自分が好きではないもの、自分をひっくり返すようなものに取り憑かれていたい」という著者の言葉にシビれる!
ほんらいのグロテスクの心臓をがっつり掴んでいる。そしてどこかエレガント。カミラ・グルドーヴァの世界へ、ようこそ。
本書はカナダ出身で英国在住の女性作家による異常な小説群だ。フェミニズムが感じられるものもあるけれど、思想を広めたくて書いたふうではない。ここで思い出したのが、先日放送されたアニメ映画だ。
日本を代表する監督のこの最新作は、劇場公開時「理解できない」「ついていけない」と批判されていた。私はテレビ放映が初見で、どこから難解になるんだろう、と息をこらして見ていて、終了後あぜんとした。え、どこが難しいの?
「よくわかんなかった派」の人に聞いてみたら、「塔の中とか、鳥の場面とか、なんでこんなことが、と考えているうちに話に置いて行かれた」とのことだった。私の考えでは、おそらく「空想世界をひたすら」というファンタジーを読みなれない人が増えたんだと思うの。
ハリー・ポッターとか異世界もののように、「主人公の目的はこれ」「この人は味方」「これが原因でこういうことが」がはっきりする、筋の追いやすいファンタジーは人気。でも、千夜一夜物語やほらふき男爵のような、「ただただ不思議なことがどんどん起きる」。今はこれが受け入れられにくい。シーンには「意味」が、ストーリーには「作者の伝えたいこと」が、わからないものには「読み解き」が、全体には「まとめ」が求められる。そしてこれまた私の考えでは、「考察」すらオヨビじゃない雰囲気の作品は、「わけわかんないよ。失敗作じゃん?」となってしまうんだろう。
でもみんな、千葉の夢の国で「耳の大きなあのお方は今日なぜあそこにいたのか」とか「電飾大行進が言いたいこと」を考えないでしょう?ただ目の前を楽しむ。それとおなじで、八十歳を超えたアニメ監督は、映画というメディアでワンダーランドをつくりあげたんだと思うの。冒頭の赤く光る火の粉のフチや、主人公の少年の身体が廊下や階段と混然一体となって走るシーン。アニメーションの真髄=起きていることを画を動かして見せる快楽が、ここにある。私は監督の歴代最高傑作だと思った!
閑話休題、本作『人形のアルファベット』にはフェミニズムがうかがえるものも、と先ほど書いたが、たとえばシャーリィ・ジャクスン賞を受賞した「ワクシー」の、「女たちが、若い男が「試験」に成功するようひたすらつくす」という設定は、「男たちとキャバ嬢と売り上げの話」とも取れる。表題作なんてもう、意味を考えちゃだめ!こういうものを世に出せるグルドーヴァさんの、得体の知れなさにうなるし、搾取や抑圧をあばく以上に、「とにかくグロテスクでしょ」と嬉々としている感じがたまりません!
そう、「グロテスク」についてもふれておきたい。今は、思わず目をそむける醜悪をこう呼ぶけど、もともとは、目が離せなくなるほど表現の強い奇怪や異形を差していたの。だってグロテスクって、古代ローマの美術様式だし。
閑話休題、
「グレタは自分のほどき方を発見した。服や皮膚や髪が、まるで果物の皮をむくようにするすると剝がれ落ち、中から本当の身体が出てきた」(「ほどく」)
「人魚と言っても、彼女はよくある下半身は魚、上半身は人間の女性という姿ではなかった。魚と人間が、ミルクティーのように混じりあっていた」(「人魚」)
どうです、不気味ながらもクギヅケでしょう!?訳者あとがきで上田麻由子さんが紹介していた、「わたしはいつも自分が好きではないもの、自分をひっくり返すようなものに取り憑かれていたい」という著者の言葉にシビれる!
ほんらいのグロテスクの心臓をがっつり掴んでいる。そしてどこかエレガント。カミラ・グルドーヴァの世界へ、ようこそ。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。