【第326回】間室道子の本棚 『私たちが轢かなかった鹿』井上荒野/U-NEXT

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『私たちが轢かなかった鹿』
井上荒野/U-NEXT
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ひとつのできごとを、視線を変えて書いた小説って面白い。

「最初に提示された話のウラではこんなことが!」というバクロ系もあれば、「正解」はなく、「みなさんはどっちの目線がお好み?どちらを信じる?」と読み手にゆだねられるものもある。対立しているはずの場面が境目をなくし、ドラマがまじりあい、ふくらんだ物語が立ちあがるものもある。

本書も、同じ人々のある時間を、異なる立場から書いた五話である。どういう二者で描くか、そのチョイスに、ああ、井上荒野さんだな!思う。著者の魅力と手腕が炸裂してる。

表題作の主軸は三人だ。まずは杏子と真弓。三十歳の時に知り合い友情をはぐくんできて、今はふたりとも五十二歳。そして杏子の息子で二十六歳になる晴。

真弓が「そのこと」を知らせてきたのは十日ほど前だった。山間に移住した杏子のもとに、東京にいる親友と息子が同じ車でやってくる。コーヒータイムでも、ワインに切り替えても、じっさい成されている会話の裏でそれぞれがめまぐるしく頭をはたらかせている。三人の、変わってしまった関係とは。

二話目にでてくるのは崩壊が決まった劇団と豪邸で、どっちもへんなことになっている。三話目は、お尻に異変を感じて病院に向かいなかなか帰ってこない旦那さんと、年の離れた妻の話。二人は二十年前、不倫の末に一緒になったのだが、「これが「痔」というやつだろうか」という一件を機に過去のひみつが浮かびあがる。

四話目の「つまらない掛け時計」にでてくるのは、妻と十代の娘がいる大学のタレント教授と彼の若くてきれいな愛人。ラストの「小説みたいなことは起こらない」に登場するのは、世間から忘れ去られた八十歳の女性作家と、彼女と十年暮らしている三十二歳の男だ。その日は警報級の積雪。なのに悪天候のなか、二人がいる山荘のドアを叩く音がする・・・。

これらのストーリーが誰と誰の目線で描かれていくか。どうです!シビれるでしょう?!

面白いなあ、と思うのは、各話にジョーカー的な存在が投げ入れられていること。それらは話をかき回したり弛緩させたり逃げ場をつくったり関係崩壊の最後の一押しになったりする。この放り込みと人選も、井上荒野さんならでは。

読後、え、そんなに短い話だったの?!と思うほど、各話のページ数は少なく、でも大河ドラマ一年分ぐらいの読み味。「このあとどうなったんだろう」と深く思いを馳せてしまう傑作ぞろいで、すばらしすぎる!
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。

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