【第331回】間室道子の本棚 『今日も、ちゃ舞台の上でおどる』坂口涼太郎/講談社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『今日も、ちゃ舞台の上でおどる』
坂口涼太郎/講談社
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本書は、俳優・坂口涼太郎さんのエッセイ集である。
演技の世界のみならず、音楽、ダンス、と多才ぶりを見せ、今回ついに書籍刊行。なのに、なんだ、この自信なさげとあたふたとじたばたは!そして、頭抱えてる人はうなだれるものだが、彼は顔をあげ、自身の中心を世界に叫んでいる!
核となるのは「あきらめ活動」、通称「らめ活」。「じゃあ、なにごとも自粛すればいいの?」と思ってしまう人もいるだろう。ちがうの!
6月中旬からNHKで再放送されてる三浦しをんさん原作の『舟を編む』。ドラマオリジナルのシーンで、失恋した女性部下に朴訥な中年男である上司が「あきらめて、あきらめて、あきらめて」と声をかけていた。
彼女は、”え、めっちゃあきらめるってことですか?”、と思うんだけど、そのあと辞書を引き(『舟を編む』は辞書編集部を舞台にしており、登場人物たちはなにかあると辞書を開く!)、
一つ目の「あきらめて」はなにが問題かを明らかにすること、
二つ目の「あきらめて」は、想いを断念すること
三つ目の「あきらめて」は、明るいほうを向くこと
と理解する。
坂口さんの「らめ活」も、最終目標は「明るいほうへ」であることが、エッセイのどの章からも見える。
そして身体性。
「Rebirth」、「Nothing On You」をはじめ、彼の動画をいくつか見たのだけど、「え、今、手と足、どうなってんの?!」と思うすごいパフォーマンス。でもダンサーにとっては、この瞬間、己の体の隅々がどう曲がり、うねり、突き出され、静止し、倒れ、起き上がるのか、一部始終がわかってるはず。それと同じで、読者が「あたふた、じたばたしているなあ」と笑える文章って、書き手のほうはあたふたじたばたしていない。きちんと抑制されてる。
かつて町田康さんは、ブルース・リーについて「整理整頓された暴力」という言葉を使っていた。山田詠美さんは、『ジャクソンひとり』の時の安堂ホセさんへの芥川賞選評で、「細心の注意を払って、吟味された野蛮さを獲得して行って」と述べていた。『今日も、ちゃ舞台の上でおどる』を読んで、それらを思い出した。
さらに独特の透明感。
「私はありとあらゆるものに似ている」という一文で始まるエッセイには、坂口さんがその日時、行っていない場所での目撃情報が、友人のみなさんのみならず実のお母さんからも寄せられる、とあった。「似てる!」のは、有名人だと涙もろいフィギュアスケーター、いろんなところからひょこっと顔を出す芸人さん。キャラクターだと競技かるたを描いた漫画の男の子、石像だと「アメンホテプ四世」である。
面白いな、と思うのは、逆はないのでは?、ということ。「フィギュア号泣選手に似た人が最近町にいっぱいだ」とか「そこかしこにアメンホテプ四世が」は、おそらくない。一度見たら忘れられない顔でありながら、不思議な透明性でどこにでもとけこめる。これって俳優という職業の核だ。
そこで思い出したのが、「あいつ」である。
エッセイ刊行の一報を聞いて、「坂口涼太郎さん?ああ、あいつね」と言ったら、「お涼さん(彼の愛称)を、あいつ呼ばわりするなんて!」と知り合いのファンたちからオコられた。でも私にとって、彼の代表作は「あいつ」なのである。
それは「奇妙な」をテーマにしたオムニバスの番組で、坂口さんは主演の若いイケメンのお兄さんとして出ていた。役名もあった。で、ふつうはドラマの進行とともに俳優はどんどん役らしくなっていくものだが、お兄さんはいつしか名前も立ち位置も消え、「あいつ」として画面にいた。こわかった。そして、これは坂口さんにしかできない、と強く思った。
激しさと抑制。純度の高い笑みとつよい瞳。強烈さと澄んだ感じ。文体も身体も演技も、アンビバレントが魅力のお涼さんの世界へ、ようこそ。
演技の世界のみならず、音楽、ダンス、と多才ぶりを見せ、今回ついに書籍刊行。なのに、なんだ、この自信なさげとあたふたとじたばたは!そして、頭抱えてる人はうなだれるものだが、彼は顔をあげ、自身の中心を世界に叫んでいる!
核となるのは「あきらめ活動」、通称「らめ活」。「じゃあ、なにごとも自粛すればいいの?」と思ってしまう人もいるだろう。ちがうの!
6月中旬からNHKで再放送されてる三浦しをんさん原作の『舟を編む』。ドラマオリジナルのシーンで、失恋した女性部下に朴訥な中年男である上司が「あきらめて、あきらめて、あきらめて」と声をかけていた。
彼女は、”え、めっちゃあきらめるってことですか?”、と思うんだけど、そのあと辞書を引き(『舟を編む』は辞書編集部を舞台にしており、登場人物たちはなにかあると辞書を開く!)、
一つ目の「あきらめて」はなにが問題かを明らかにすること、
二つ目の「あきらめて」は、想いを断念すること
三つ目の「あきらめて」は、明るいほうを向くこと
と理解する。
坂口さんの「らめ活」も、最終目標は「明るいほうへ」であることが、エッセイのどの章からも見える。
そして身体性。
「Rebirth」、「Nothing On You」をはじめ、彼の動画をいくつか見たのだけど、「え、今、手と足、どうなってんの?!」と思うすごいパフォーマンス。でもダンサーにとっては、この瞬間、己の体の隅々がどう曲がり、うねり、突き出され、静止し、倒れ、起き上がるのか、一部始終がわかってるはず。それと同じで、読者が「あたふた、じたばたしているなあ」と笑える文章って、書き手のほうはあたふたじたばたしていない。きちんと抑制されてる。
かつて町田康さんは、ブルース・リーについて「整理整頓された暴力」という言葉を使っていた。山田詠美さんは、『ジャクソンひとり』の時の安堂ホセさんへの芥川賞選評で、「細心の注意を払って、吟味された野蛮さを獲得して行って」と述べていた。『今日も、ちゃ舞台の上でおどる』を読んで、それらを思い出した。
さらに独特の透明感。
「私はありとあらゆるものに似ている」という一文で始まるエッセイには、坂口さんがその日時、行っていない場所での目撃情報が、友人のみなさんのみならず実のお母さんからも寄せられる、とあった。「似てる!」のは、有名人だと涙もろいフィギュアスケーター、いろんなところからひょこっと顔を出す芸人さん。キャラクターだと競技かるたを描いた漫画の男の子、石像だと「アメンホテプ四世」である。
面白いな、と思うのは、逆はないのでは?、ということ。「フィギュア号泣選手に似た人が最近町にいっぱいだ」とか「そこかしこにアメンホテプ四世が」は、おそらくない。一度見たら忘れられない顔でありながら、不思議な透明性でどこにでもとけこめる。これって俳優という職業の核だ。
そこで思い出したのが、「あいつ」である。
エッセイ刊行の一報を聞いて、「坂口涼太郎さん?ああ、あいつね」と言ったら、「お涼さん(彼の愛称)を、あいつ呼ばわりするなんて!」と知り合いのファンたちからオコられた。でも私にとって、彼の代表作は「あいつ」なのである。
それは「奇妙な」をテーマにしたオムニバスの番組で、坂口さんは主演の若いイケメンのお兄さんとして出ていた。役名もあった。で、ふつうはドラマの進行とともに俳優はどんどん役らしくなっていくものだが、お兄さんはいつしか名前も立ち位置も消え、「あいつ」として画面にいた。こわかった。そして、これは坂口さんにしかできない、と強く思った。
激しさと抑制。純度の高い笑みとつよい瞳。強烈さと澄んだ感じ。文体も身体も演技も、アンビバレントが魅力のお涼さんの世界へ、ようこそ。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。
