【第336回】間室道子の本棚 『ダークネス』桐野夏生/新潮社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『ダークネス』
桐野夏生/新潮社
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わたしの育ったところに、「こじゃす」という言葉がある。わかりやすい例は子供の絵だろう。ここに赤を足したらいいんじゃないか、緑をもっと濃くすれば、といじっているうちに、うまくいっていたはずの夏休みの宿題はドスぐろい色彩の歪んだ塊の絵になってしまうのだ。
自暴自棄や破れかぶれではない。頭にあるのは「よくなるはず」という必死さなのだ。でもわたしはいつも、母の日の母の顔を、写生会の川の眺めを、正月の商店街をこじゃした。わたしだけでなく、Sおばちゃんは隠し味を入れすぎスパゲティーのミートソースを毎回こじゃす。駅前のTちゃんは「またオトコ関係をこじゃして」と近所のオバちゃんたちに噂されてた。そして、2002年に発表された前作『ダーク』を読んでわたしは、女探偵・村野ミロは人生をこじゃした、と思っていた。彼女だけでなく、初期からの重要人物のほとんどが自身をだめにし、だいなしにしていた。
でも、こんなのはミロ・シリーズじゃない、とは思わなかった。いかにも彼女、そして著者・桐野夏生先生らしい容赦のないどん底。わたしには手におえない光の届かぬ世界。そこから二十数年、本書『ダークネス』の冒頭を読んで、おやおや、と思った。
「ミオはいい女だと思う。六十歳になるかならないかだが、いわゆるバアさんではない。歳を重ねた「女」だ。老いるのとはわけが違う。栄養が行き届いて幹が太くなり、枝葉が伸びて葉が繁る。美しさと豊かさと。つまり、成熟というやつだ。本物の成熟には、永遠の若さと伸びしろがある」
「ミオ」とは間違いなくミロだろう。そうか、彼女は生き延びて六十歳になるのだ。名前を変えているということはあいかわらずヤバイ状況なのか。それにしてもこの賞賛。おそらく男性だ。「イケるなら抱きてえ」とかの欲望はみじんもなく、でもすごい近しさ。ミロとこんな関係を築ける彼は誰?こうして村野ミロはわたしにとってふたたび、たちまち、「追って読みたい人」になったのである。
何を書けば読み手をひっ掴んで戻せるか。桐野先生はご存じなのだ。「考え抜いて、工夫して」、ではなく、本能でやってる感じがすごい。
男とミロの視点で進むシリーズ最終作のストーリーはあいかわらず激烈である。歌舞伎町を根城にやくざの調査屋をやっていた父を持ち、自らも探偵になった村野ミロにこれまでに何があったかは、シンプルに書かれているのでいきなり本作から読んでも大丈夫。でもその「シンプル」は、「殺した」「刑務所で自殺」「遺書を隠して騙し続けた」」「死んだ」「激しい憎しみ」「復讐」「悪意」などパワーワードの連続。気になる人はぜひシリーズをさかのぼってほしい。
閑話休題、さきほど前著『ダーク』でミロは自分をこじゃした、と書いたが、その後に当たる本作がどこか軽快なのは、若さが描かれていることと、舞台の一部が沖縄であるからだと思う。”沖縄ってほんとは年間晴れ日数が全国34位で景気も下位のほうで基地問題が”という声もありましょうが、
「台風の前の那覇の曇り空は、空気が湿っているのか、雲が厚くて重い色をしている。だが、どんよりしているのではなく、早い速度で流れている 。それは、遠い南の海で生まれた熱い空気の塊が、ものすごい速さで回転しながら押し寄せてくるような、暴力的なものを感じさせた。今の私はその不穏な予感さえも楽しく、どれほどのものか見てやろうという気になる」
このミロのワクワクが読み手の気持ちと重なる。もちろん己の深淵を覗くことに長けている彼女は、「それは勇気ではなく、ただの受容である」と付け加えている。でも本書の表紙画――。
「講談社文庫 新装版 ダーク」で検索してでてくる女性と『ダークネス』の女のまなざしを見比べてほしい。前者はうつろ。後者はまちがいなく何かを見ている。 暗黒に立つ者には二種類あると思う。「私は何も見えない」という人と、「私は闇を見ている」という人。
なにかが暗いんだ、という形容詞『ダーク』から、漆黒まるごとの名詞『ダークネス』へ。桐野先生は七十歳を超えてこんな圧巻の作品を仕上げた。タフネスに刮目せよ。
自暴自棄や破れかぶれではない。頭にあるのは「よくなるはず」という必死さなのだ。でもわたしはいつも、母の日の母の顔を、写生会の川の眺めを、正月の商店街をこじゃした。わたしだけでなく、Sおばちゃんは隠し味を入れすぎスパゲティーのミートソースを毎回こじゃす。駅前のTちゃんは「またオトコ関係をこじゃして」と近所のオバちゃんたちに噂されてた。そして、2002年に発表された前作『ダーク』を読んでわたしは、女探偵・村野ミロは人生をこじゃした、と思っていた。彼女だけでなく、初期からの重要人物のほとんどが自身をだめにし、だいなしにしていた。
でも、こんなのはミロ・シリーズじゃない、とは思わなかった。いかにも彼女、そして著者・桐野夏生先生らしい容赦のないどん底。わたしには手におえない光の届かぬ世界。そこから二十数年、本書『ダークネス』の冒頭を読んで、おやおや、と思った。
「ミオはいい女だと思う。六十歳になるかならないかだが、いわゆるバアさんではない。歳を重ねた「女」だ。老いるのとはわけが違う。栄養が行き届いて幹が太くなり、枝葉が伸びて葉が繁る。美しさと豊かさと。つまり、成熟というやつだ。本物の成熟には、永遠の若さと伸びしろがある」
「ミオ」とは間違いなくミロだろう。そうか、彼女は生き延びて六十歳になるのだ。名前を変えているということはあいかわらずヤバイ状況なのか。それにしてもこの賞賛。おそらく男性だ。「イケるなら抱きてえ」とかの欲望はみじんもなく、でもすごい近しさ。ミロとこんな関係を築ける彼は誰?こうして村野ミロはわたしにとってふたたび、たちまち、「追って読みたい人」になったのである。
何を書けば読み手をひっ掴んで戻せるか。桐野先生はご存じなのだ。「考え抜いて、工夫して」、ではなく、本能でやってる感じがすごい。
男とミロの視点で進むシリーズ最終作のストーリーはあいかわらず激烈である。歌舞伎町を根城にやくざの調査屋をやっていた父を持ち、自らも探偵になった村野ミロにこれまでに何があったかは、シンプルに書かれているのでいきなり本作から読んでも大丈夫。でもその「シンプル」は、「殺した」「刑務所で自殺」「遺書を隠して騙し続けた」」「死んだ」「激しい憎しみ」「復讐」「悪意」などパワーワードの連続。気になる人はぜひシリーズをさかのぼってほしい。
閑話休題、さきほど前著『ダーク』でミロは自分をこじゃした、と書いたが、その後に当たる本作がどこか軽快なのは、若さが描かれていることと、舞台の一部が沖縄であるからだと思う。”沖縄ってほんとは年間晴れ日数が全国34位で景気も下位のほうで基地問題が”という声もありましょうが、
「台風の前の那覇の曇り空は、空気が湿っているのか、雲が厚くて重い色をしている。だが、どんよりしているのではなく、早い速度で流れている 。それは、遠い南の海で生まれた熱い空気の塊が、ものすごい速さで回転しながら押し寄せてくるような、暴力的なものを感じさせた。今の私はその不穏な予感さえも楽しく、どれほどのものか見てやろうという気になる」
このミロのワクワクが読み手の気持ちと重なる。もちろん己の深淵を覗くことに長けている彼女は、「それは勇気ではなく、ただの受容である」と付け加えている。でも本書の表紙画――。
「講談社文庫 新装版 ダーク」で検索してでてくる女性と『ダークネス』の女のまなざしを見比べてほしい。前者はうつろ。後者はまちがいなく何かを見ている。 暗黒に立つ者には二種類あると思う。「私は何も見えない」という人と、「私は闇を見ている」という人。
なにかが暗いんだ、という形容詞『ダーク』から、漆黒まるごとの名詞『ダークネス』へ。桐野先生は七十歳を超えてこんな圧巻の作品を仕上げた。タフネスに刮目せよ。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。
