【第337回】間室道子の本棚 『菜食主義者』ハン・ガン きむ・ふな訳/クオン

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『菜食主義者』
ハン・ガン きむ・ふな訳/クオン
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日本人女性作家の世界的活躍がニュースになっている。川上未映子さんの『ヘヴン』が2022年英国ブッカー国際賞にノミネートされ、今年は川上弘美さんの『大きな鳥にさらわれないよう』が同賞の最終候補になった。また、小川洋子さんの『ミーナの行進』が米国TIME誌の「2024年の必読書100冊」に選出され、五月は柚木麻子さんの『BUTTER』がブリティッシュ・ブックアワード2025のデビュー・フィクション部門を受賞。七月には王谷晶さんが『ババヤガの夜』で日本人で初となる英国のダガー賞を受賞した。

背景には30年ほど前からのあたらしいフェミニズムの台頭があると思う。政治的、経済的、個人などでのジェンダーの平等をめざすこの運動の研究本や思想書は早くからあったが、法やジャーナリズムではなく音楽や文学で考えていく、という動きは多くにうったえかける力があったのだ。

そして、私の考えでは、わが国の作家たちに「よし、この潮流に乗って書いてやろう」はあんまりないんじゃないかと思う。出版社からテーマで依頼されることはあっても、意識はするけどあからさまには狙わない。登場人物の息苦しさ、生きづらさを書いていったらそこからフェミニズムが見てとれた、というかんじ。

閑話休題、この夏まとまってハン・ガンさんを読む機会があった。2024年、アジアの女性作家で初のノーベル文学賞に輝いた方である。受賞してよかったなあ、と思うのは男性読者の手に取られるきっかけになったこと。世界最高峰の賞への興味は、「女性の書いたものなんでしょー」とか「海外作品かあ」というありがちなためらいを霧散させたと思う。

今回紹介するのはタイトル通り、ひとりの女が菜食主義者になる物語だ。冷蔵庫の中の肉や魚をゴミ袋に詰め込み捨てようとしている妻ともみ合ったあと、朝の身支度を手伝わない彼女に夫が憤懣やるかたない場面が印象的。痛めつけた相手に、その直後、なぜ自分の面倒をみてくれないのだ、と不思議に思っているのである。

ストーリーでは、ころされたものをからだの中に取り入れるのを妻がとつぜん拒み始めたきっかけとして、「夢」があげられているけど、生々しい幻想よりうっすらうかがえるリアルに心が痛い。今までこの人の人生にどんなことが、に思いを馳せたくなるのだ。

もはや彼女にとってはどんなケアも「暴力」にひとしい。「誰もわたしを助けられない」「誰もわたしを生かすことはできない」「誰もわたしに息をさせることはできない」という静かな悲鳴が読みどころ。

先日お会いしたある作家が、「書くことは、聞き取りにくい他者の言葉を聞くこと」とおっしゃっていた。私たち読者は聞き取りにくい他者の言葉を読む。必要なのは、読後自身で叫ぶこと。声は聞くもの、悲鳴はあげるものだからだ。

ハン・ガンさんの作品は「アジア人女性初の」で注目されたけど、もう「アジア」「女性」というくくりなしに広がっている。王谷晶さんや柚木麻子さんらの活躍は、「日本人」「女性」を超えて、世界で生き始めた。そんな思いを抱いている。
 
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。

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