【第340回】間室道子の本棚 『アンジェリック』ギョーム・ミュッソ 吉田恒雄訳/集英社文庫

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『アンジェリック』
ギョーム・ミュッソ 吉田恒雄訳/集英社文庫
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2021年の暮れ。パリ。ひとりの男が病院のベッドで目を開ける。わけありの体になって職を去り、現在四十七歳。きのう、その「わけ」による不具合なのか、公園で倒れ、救急車を呼ばれたのだ。明日には退院できそうだが、あと数時間はうんざりするここにいなくてはならない。

うとうとしていた彼がなぜ目をさましたか。見知らぬ娘が病室内の暗がりでチェロを奏でていたからだ。卵型の顔、サラッとした長いブロンド、小さなくぼみのある顎。彼女は音楽ボランティアで、あなたが刑事さんというのはほんとうか、私のお母さんの転落死について調べてほしい、事故だと処理されたけど自分は母は殺されたと思っている、と言い出す。

ギョーム・ミュッソ作品の魅力のひとつは、このように読者がとつぜん物語のまっただなかに投げ込まれることと、事態が奇妙かつ非常に魅力的なこと。お話に捕まったというより、読み手はここから出て行きたくない、と積極的に思う。これぞミュッソ・スタート!

今回炸裂しているのは、ミステリーではあまりにもあたりまえな「人は見かけどおりではない」が究極まで高められた展開の妙。「善人と思った人が悪人で、悪い奴が実はいい人」などという単純さではない、ねじれと深みがおみごと。

推理ベースだけじゃない。たとえばぼさぼさの髪、一週間は剃っていない無精髭。警察を去って五年になる、と無愛想に告げた中年男は、二時間ほどきみのお袋さんの事件記事を読んでやる、その代わりにおれの家に行き、犬に餌をやってほしい、と交換条件を出す。そして、ジャーマン・シェパードで厄介者を嫌うから用心しろ、と少女をオドすのである!

一方この娘は現在十七歳。二回飛び級をしたというからばつぐんの頭のよさだ。目の前のはらぺこやさぐれ男に売店でサンドイッチ(禁断の油分塩分!)を買ってきてくれ、と命じられると、一緒にビールもどうですか、と切り返す負けん気とユーモアもある。さて、世捨て人みたいな五十間近な男の一人暮らしの部屋。いるのは一晩放っておかれた犬。私のココロには3K=危険・汚い・臭い??というワードが。彼女もまあ同様の想像だ。で、行ってみると・・・。少女と読者が彼にがっつり心を掴まれる瞬間だ。

一流のバレリーナだったお母さん、マンションの上階に住んでいたアーティスト、覗き魔、登場する誰もが見かけ通りではない。少女自身も、元刑事も。

そして本作のタイトル、”アンジェリック”。女性名ということはわかるが、彼女は誰で、いつお話に登場し、なにをするのか。乞うご期待。

冒頭に出した年ですでにおわかりかもしれぬが、舞台はコロナ禍だ。ただでさえわけあり身体の元刑事は「免疫力が低下しているのにあぶないよ!」と読んでいて叫びたくなるほど疲れ、弱り、それでもパリの街を歩きまわる。この人はかつて、ある人物のために体を張ったことがある。それが彼の核だ。

「ああ、そういう話だったのか?!」に読み手は驚き、涙するだろう。あらたなるミュッソ・マジック。
 
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。

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