【第343回】間室道子の本棚 『完全版 ユージニア』恩田陸/KADOKAWA
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『完全版 ユージニア』
恩田陸/KADOKAWA
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「読後読者が消えてしまう」とか「読んだら死ぬ本」とか、ミステリーやホラーには、読書という行為の究極のネガを物語にしたものがいくつかある。2005年に単行本で出た『ユージニア』の場合は、「読むとなんだか具合が悪くなる」であった。しかも登場人物(先の本の場合、もちろんだが消えるのも死ぬのも小説内の人々である)ではなく現実のわれわれに起きる。
具合が悪くなる=気持ちが悪くなる=内容が、血がどばーとか内臓でんでろりん、ではないの。ブックデザイン上さまざまな仕掛けがあり、人によっては三半規管に影響、めまいや気分の不安定さが生じるのだ。
こんなことをするデザイナーは日本でただ一人。そう、鬼才・天才・万々歳の祖父江慎さんである。そして「一行一行が傾いている」だの「特定の文字だけが戦前戦後の子供用の本みたいになってる」だの、彼の繰り出すさまざまな悪魔的案にOKを出したのは著者の恩田さんである。
だが、思いついたものの当時の技術や費用の面で諦めざるを得なかったことがいくつもあった。今はあのとき入手できなかったものが調達できたり、印刷・製本技術が格段に進化していたりする。一方「あの時できたものが最新式のツールだとダメ」もあり、フォントディレクターは地獄を見たらしい。そんなこんなで20年の時を経て、このたび『完全版 ユージニア』が出た。
彼らがなにをしたかは巻末の「ユージニアノート 2025」にバクロしてある。この部分、読み味としては「犯行声明」みたい。
「読者が壊れながら読む」を実現するため選ばれる紙、活字、空白部分(スペース)、印刷方法。ふりかかる困難。そして姿をあらわす物体・装置としての「本」の強さはあらためて、「物語」としての『ユージニア』の強度を世にしらしめる。いんちきおせちみたいな「蒔絵のお重にハム一枚」じゃダメ。祖父江さんの執念にも似た、側(がわ)の凝りを凌駕するストーリーの異様さ。
数十年前の夏、地方の名家・青澤家で毒殺事件が発生。三世代が同じ誕生日というこの日はたくさんの人がお祝いに訪れており、一族だけでなく近所の人や出入りの業者を含め、毒入りの酒とジュースで十七人が死んだ。ただひとり生き残った中学一年生の娘・緋紗子は――。
具合が悪くなる=気持ちが悪くなる=内容が、血がどばーとか内臓でんでろりん、ではないの。ブックデザイン上さまざまな仕掛けがあり、人によっては三半規管に影響、めまいや気分の不安定さが生じるのだ。
こんなことをするデザイナーは日本でただ一人。そう、鬼才・天才・万々歳の祖父江慎さんである。そして「一行一行が傾いている」だの「特定の文字だけが戦前戦後の子供用の本みたいになってる」だの、彼の繰り出すさまざまな悪魔的案にOKを出したのは著者の恩田さんである。
だが、思いついたものの当時の技術や費用の面で諦めざるを得なかったことがいくつもあった。今はあのとき入手できなかったものが調達できたり、印刷・製本技術が格段に進化していたりする。一方「あの時できたものが最新式のツールだとダメ」もあり、フォントディレクターは地獄を見たらしい。そんなこんなで20年の時を経て、このたび『完全版 ユージニア』が出た。
彼らがなにをしたかは巻末の「ユージニアノート 2025」にバクロしてある。この部分、読み味としては「犯行声明」みたい。
「読者が壊れながら読む」を実現するため選ばれる紙、活字、空白部分(スペース)、印刷方法。ふりかかる困難。そして姿をあらわす物体・装置としての「本」の強さはあらためて、「物語」としての『ユージニア』の強度を世にしらしめる。いんちきおせちみたいな「蒔絵のお重にハム一枚」じゃダメ。祖父江さんの執念にも似た、側(がわ)の凝りを凌駕するストーリーの異様さ。
数十年前の夏、地方の名家・青澤家で毒殺事件が発生。三世代が同じ誕生日というこの日はたくさんの人がお祝いに訪れており、一族だけでなく近所の人や出入りの業者を含め、毒入りの酒とジュースで十七人が死んだ。ただひとり生き残った中学一年生の娘・緋紗子は――。
事件の「圧」と「重」もすごいが、恩田作品の核である「なんでもない一言が怖い」が本書でも炸裂。
「その椅子だけ定位置にある」
「彼女は(中略) ずっとブランコが好きなままでした」
「電話をしてきた女性のすぐそばに、誰かもう一人別の女がいたんです」
「ユージニアノート 2025」には気になることも書いてあった。「Ⅳ 作家(2008)」にある恩田さんの「書き終わっても物語が終わった感じがしなかった」と、「Ⅲ ブックデザイナー(2008)」に出てくる祖父江さんの「ほかにも頭がくらっとする、トリック、あっちこちにあるんですよぉ」。
「読むと行方不明」や「死ぬ」より深いのは「本に囚われる」ではないだろうか。2005年版を知らない代官山 蔦屋書店の私の後輩が「完全版」を読んで、紙自体の可能性を思い知りました、と熱弁したあと、「本体が真っ白というよりほのかにグレイが入っているように見えるのは気のせいでしょうか」「漢字が濃く印刷されているから文字が浮き出て見えますね」と言い出した。
いや考え過ぎでしょ。でもそう言われてみると、私には漢字ぜんぶというより、「悪」「被疑者」「因縁」など不吉な言葉だけがほんのちょっと太字めいて見える。あと、カタカナも変だよね。さらにこの本は白い糸で綴じられてるんだけど、四か所のうち上から三番目だけが黒糸。大問題なのは、「ユージニアノート 2025」で恩田さんが「止めてもらった」と言っていたやつ、あれも実現されてるじゃん。
え、あなたのはそうじゃない?
私と後輩は以来、毎日仕事そっちのけで本に頭をつっこんでいる。さあ、ほかにどんな、私たちを幻惑させ、物語から出られなくする仕掛けが・・・?
完全なる『ユージニア』の世界へようこそ。
「その椅子だけ定位置にある」
「彼女は(中略) ずっとブランコが好きなままでした」
「電話をしてきた女性のすぐそばに、誰かもう一人別の女がいたんです」
「ユージニアノート 2025」には気になることも書いてあった。「Ⅳ 作家(2008)」にある恩田さんの「書き終わっても物語が終わった感じがしなかった」と、「Ⅲ ブックデザイナー(2008)」に出てくる祖父江さんの「ほかにも頭がくらっとする、トリック、あっちこちにあるんですよぉ」。
「読むと行方不明」や「死ぬ」より深いのは「本に囚われる」ではないだろうか。2005年版を知らない代官山 蔦屋書店の私の後輩が「完全版」を読んで、紙自体の可能性を思い知りました、と熱弁したあと、「本体が真っ白というよりほのかにグレイが入っているように見えるのは気のせいでしょうか」「漢字が濃く印刷されているから文字が浮き出て見えますね」と言い出した。
いや考え過ぎでしょ。でもそう言われてみると、私には漢字ぜんぶというより、「悪」「被疑者」「因縁」など不吉な言葉だけがほんのちょっと太字めいて見える。あと、カタカナも変だよね。さらにこの本は白い糸で綴じられてるんだけど、四か所のうち上から三番目だけが黒糸。大問題なのは、「ユージニアノート 2025」で恩田さんが「止めてもらった」と言っていたやつ、あれも実現されてるじゃん。
え、あなたのはそうじゃない?
私と後輩は以来、毎日仕事そっちのけで本に頭をつっこんでいる。さあ、ほかにどんな、私たちを幻惑させ、物語から出られなくする仕掛けが・・・?
完全なる『ユージニア』の世界へようこそ。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。
