【第349回】間室道子の本棚 『とあるひととき 作家の朝、夕暮れ、午後十一時』花王プラザ編/平凡社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『とあるひととき 作家の朝、夕暮れ、午後十一時』
花王プラザ編/平凡社
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2022年に出た本なのだけどギフトシーズンにぜひ紹介したい。
本書はせっけんや化粧品で有名な「花王」のサイトで連載していたエッセイのアンソロジーで、「朝」「夕暮れ」「午後十一時」をテーマに、西加奈子さん、綿矢りささん、道尾秀介さんら十四人が参加。
それぞれの作家がどのひとときを選んでいるかがお楽しみどころだが、読みながら自分が特定の時間帯にひかれていることに気づいた。ふつうなら「書き手」か「内容」だ。でも本書で発見したのは、「私は圧倒的に朝が好きだ」ということだ。この章をくりかえし読んでいる。とくに二人の作家により、目からウロコ。
まずは三浦しをんさん。「目覚めた時が朝」というタイトルで、しをんさんは夜間に働く人々に注目し、「そのかたたちにとっては午後八時だろうと”これから一日がはじまるので朝”なはずだ」と書いている。
じつはわたくしマムロは毎日二時半に起きている。十四時台ではなく二十六時三十分のことである。最初は朝五時くらいだったのだが、ここ十年くらいかけて早くなり、今は二時半。昼間眠くなることはないし、このまま順調に前倒しを続けるといつかはまた朝の平均的時間の起床になるはず、と考えていた。
寝床のなかに居続けるとかえって疲れてしまうので、三時頃にはもぞもぞ起きだしリビングに向かう。なにをするかというと、読書。心身を出勤モードにするのが五時くらいなので、それまで約二時間、なにか読むか書くかしている。
誰かに話しておどろかれるたび、「五時起きだったのがちょっとずつ早まりこうなった」とか「完全朝型体質で」と言ってきたし自分でもそう思っていた。
でも、しをんさんのエッセイを読みながら思ったのは、人間にははじめどきが好きな人と終えどきが好きな人がいて、自分は前者だ、ということ。
もちろん「あと十五分で勤務が終わる」やライブの「アンコール!」にその日の充実を見出す人も多いだろう。でもわたしは、まだ手をつけてない、まっさらな時間が広がっているのが好きなのである。しょっちゅう昼夜が逆転する、夜型生活の周期もいいものだ、というしをんさんも、「はかどる」「はじまる」「充実」に軍配があがり、「朝」で書いたのだ。
もうひとりは角田光代さん。彼女に生活時間帯の逆転はなく、「三十歳のときから二十年間、平日の朝の九時から夕方五時まで、と時間を決めて仕事をしてきた」とある。エッセイ内に出てこないけど、目をさますのは七時か八時くらいだろう。
前日の事情で寝坊する時もあり、角田さんは朝が短いと「損した」と思う。一方夜を延長しても、「得した」にはならないそうだ。さらに仕事を休む週末も平日と同じ時間に目がさめる。で、走るのはあまり好きではないのに、ランニングウエアに着替えて十キロ走る。
で、彼女は結論づける。自分はたぶん、朝の時間帯がすごく好きなのだ、と。
走るのが嫌いでも、週末、朝を浴びに外に出る。遅く起きた日に夜更かししても「朝を取り戻した」にはならない。
好き、という感情は強烈なようでいて、自身ではなかなかわからないところがある。角田さんは「朝」を書いて初めて気づき、わたしはそれを読み初自覚できた。こういうのも文学の効能である。
そして、イラストの坂内拓さんのすばらしさ。本書を手にとったのも、彼のさえざえとしたカラーにひかれたから。朝のひんやり感、すきとおったあかるさはもちろん、「夕暮れ」も「午後十一時」も、他者には手出しできないその人だけのひとときに満ちている。
本書はせっけんや化粧品で有名な「花王」のサイトで連載していたエッセイのアンソロジーで、「朝」「夕暮れ」「午後十一時」をテーマに、西加奈子さん、綿矢りささん、道尾秀介さんら十四人が参加。
それぞれの作家がどのひとときを選んでいるかがお楽しみどころだが、読みながら自分が特定の時間帯にひかれていることに気づいた。ふつうなら「書き手」か「内容」だ。でも本書で発見したのは、「私は圧倒的に朝が好きだ」ということだ。この章をくりかえし読んでいる。とくに二人の作家により、目からウロコ。
まずは三浦しをんさん。「目覚めた時が朝」というタイトルで、しをんさんは夜間に働く人々に注目し、「そのかたたちにとっては午後八時だろうと”これから一日がはじまるので朝”なはずだ」と書いている。
じつはわたくしマムロは毎日二時半に起きている。十四時台ではなく二十六時三十分のことである。最初は朝五時くらいだったのだが、ここ十年くらいかけて早くなり、今は二時半。昼間眠くなることはないし、このまま順調に前倒しを続けるといつかはまた朝の平均的時間の起床になるはず、と考えていた。
寝床のなかに居続けるとかえって疲れてしまうので、三時頃にはもぞもぞ起きだしリビングに向かう。なにをするかというと、読書。心身を出勤モードにするのが五時くらいなので、それまで約二時間、なにか読むか書くかしている。
誰かに話しておどろかれるたび、「五時起きだったのがちょっとずつ早まりこうなった」とか「完全朝型体質で」と言ってきたし自分でもそう思っていた。
でも、しをんさんのエッセイを読みながら思ったのは、人間にははじめどきが好きな人と終えどきが好きな人がいて、自分は前者だ、ということ。
もちろん「あと十五分で勤務が終わる」やライブの「アンコール!」にその日の充実を見出す人も多いだろう。でもわたしは、まだ手をつけてない、まっさらな時間が広がっているのが好きなのである。しょっちゅう昼夜が逆転する、夜型生活の周期もいいものだ、というしをんさんも、「はかどる」「はじまる」「充実」に軍配があがり、「朝」で書いたのだ。
もうひとりは角田光代さん。彼女に生活時間帯の逆転はなく、「三十歳のときから二十年間、平日の朝の九時から夕方五時まで、と時間を決めて仕事をしてきた」とある。エッセイ内に出てこないけど、目をさますのは七時か八時くらいだろう。
前日の事情で寝坊する時もあり、角田さんは朝が短いと「損した」と思う。一方夜を延長しても、「得した」にはならないそうだ。さらに仕事を休む週末も平日と同じ時間に目がさめる。で、走るのはあまり好きではないのに、ランニングウエアに着替えて十キロ走る。
で、彼女は結論づける。自分はたぶん、朝の時間帯がすごく好きなのだ、と。
走るのが嫌いでも、週末、朝を浴びに外に出る。遅く起きた日に夜更かししても「朝を取り戻した」にはならない。
好き、という感情は強烈なようでいて、自身ではなかなかわからないところがある。角田さんは「朝」を書いて初めて気づき、わたしはそれを読み初自覚できた。こういうのも文学の効能である。
そして、イラストの坂内拓さんのすばらしさ。本書を手にとったのも、彼のさえざえとしたカラーにひかれたから。朝のひんやり感、すきとおったあかるさはもちろん、「夕暮れ」も「午後十一時」も、他者には手出しできないその人だけのひとときに満ちている。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。
