【第357回】間室道子の本棚 『エレファンツ・ブレス綺譚』吉田篤弘/春陽文庫

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『エレファンツ・ブレス綺譚』
吉田篤弘/春陽文庫
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2005年に発表された『百鼠』に大幅に手を入れ、未発表作をひとつ加えて改題した文庫版。

世の中には変わった造りの短編集がある。収録作のすべてが同じ一行から始まる本、予告編を集めたもの、ひとりの翻訳家が世界文学の書き出しだけを訳したetc. 本書『エレファンツ・ブレス綺譚』は吉田篤弘さんの四つの長編の「第一章」のみが収められている。

面白いのは、すべてに「第二章はまだない」ということ。尻きれトンボ感はなく、どれもひとつの短篇として楽しめる。じゃあ、これは一章です、と明かさなくてもいいんじゃないの、と思う人もいるだろう。でも「はじまりだけがここに」を知らされたとき、われわれの脳裡にうかぶ広々としたこの先の道。それは読者とともに書き手の興奮でもあるはずだ。

おすすめは新収録で表題作となった「エレファンツ・ブレス綺譚」。

世の中には「あるはずなのにないもの」と「ないはずなのにあるもの」がある。私の考えでは、どちらに心ひかれるかでその人の来し方や今後の人生がわかりそう。

ふたつは対処法がちがう。「ないはずなのにある」の場合は「ある」を解消する方向にいくだろう。だってほんとはないんだもん。心霊写真の解析、まちがって持ち帰った他人の傘の返却、夜中に酔っぱらってボタンを押しまくり後日大量に届いたネット商品への反省などがそうである。

一方「あるはずなのにない」とき、人が取る道はただひとつ。探しに行くのである。盗まれた遺言状、生き別れになったママ、まぼろしの大陸etc. たいていの冒険小説のはじまりって、こうだ!

閑話休題、「エレファンツ・ブレス綺譚」の主人公は勇者ではなく本の装幀を仕事にしている男で小説執筆も依頼されている。どちらも難航中だ。

これは事実なのだが(吉田篤弘さんの作品を紹介するときは、どれが創作でどれがホントかを明らかにしないとな、となることがよくある。頭のなかも拾ってくる現実も奇想天外ぞろいなのだ!)、この世には、失われし色がある。

色名事典の集大成『A Dictionary of Colors』(実在する)に名前はある。ここがミソ。つまり名前しかない。世界的に権威のあるこの事典にはかならず色見本がついている。そりゃそうだ。動物図鑑の「きりん」や「かば」に文字説明だけがあり写真も絵もなかったら誰も買わないだろう。話を戻しますと、『A Dictionary of Colors』には数例、名前はあるが見本はなし、つまり今は見ることができない色が載っている。たとえば、「アヒルの卵の緑」「完全なる青」、そして「象の息」。

これにインスパイアされた菅原律という詩人(作中の人である)が『象の息』というタイトルで詩集を出したいと思い、今ゲラの段階まで来ている。無理を承知でこの色をなんとか表紙に――。願いを編集者から聞かされた主人公もまた心ひかれ、ノートにまだ見えない自身の小説のタイトルだけ決めてみる。「エレファンツ・ブレス」。

物語には携帯電話と圏外、トースターと「パン屋はなんのために働くか」などがからみ、主人公と幻の色は、「ある」と「ない」のはざまを転がっていく。

「自分はどこにもいない」というさびしさと、だからこその不思議な解放感。本を閉じ、「こういうエンディングなら二章はなくても」と「いや続きがあるならぜひ」をいったりきたり。この揺れこそ、読み味。
 
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。

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