【第361回】間室道子の本棚 『傷つきやすいものたち』ドナテッラ・ディ・ピエトランロニオ 関口英子訳/小学館

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
* * * * * * * *
 
『傷つきやすいものたち』
ドナテッラ・ディ・ピエトランロニオ 関口英子訳/小学館
※画像をクリックすると購入ページへ遷移します。
 
* * * * * * * *
 
舞台はイタリアの地方。主人公ルチアは四十代後半の女性で、高齢なうえに肺気腫と大動脈弁狭窄症を患っているお父さんが山間でがんこに畑仕事を続けている。自分は一人娘。母が亡くなった今、「父の面倒をみる道徳的な義務がある」と思っている。「愛」とはいわない。彼女のほうは町のマンションにおり、理学療法士として診療所も持っている。夫はトリノにいて別居中だ。

ルチアには娘がいる。ミラノでの大学生活を夢見、四百人以上の中、三十二番目の成績で合格して意気揚々と田舎を去ったアマンダ。しかし入学から一年半後の2020年春、娘は戻ってきた。世界的な感染症発生、イタリア全土封鎖直前、だから帰省、に見えた。でもルチアは気づく。荷物のなかに、教科書がない。

それからアマンダは引きこもる。ミラノで娘になにが? それはとりもなおさず二十数年前、自身になにが起きたか、ルチアに向き合わせることになった。

読みどころは彼女の立ち位置だ。とっくに独立したのに、大人なのに、父と会うときルチアはどうしても「娘」になる。一方心を閉ざしたアマンダの前ではだんぜん「母」として、あれこれ言いたくなる。そして対立しているように見えて、過去のルチアと今のアマンダ――母と娘は似ているのだ。

どちらも年齢は二十歳。こわいもの知らずだったのに、ある日を境に無気力になった。母親と「ノー」をまじえず会話ができない。意図的な所持にしろ偶然みつけたものにしろ、ジャックナイフを握りしめて得るいっときの安心。

読むべきは、本書が「父親VS娘」「娘対母」「都会VS田舎」といったわかりやすい対立構造になっていないこと。

たとえばルチアは自分の母親について、「夫に休みなく働かされ、野良では男として、家では女としてこき使われていた」と思っている。でも同時に、「母が亡くなるその日まで、父は母を愛していた」と知っているのだ。

また、二十歳だったルチアは、幼馴染のドラリーチェを海辺の町にいる自分の友だちに合わせるのをためらった。山間部特有の強い訛りやいけてないふるまいを恥ずかしいと思ったのだ。だから海には行かないと嘘をつき、自分だけで友人らと遊んだ。残されたドラリーチェは山のキャンプ場に行き、事件が起きた。

単純に見れば、「父は母を搾取していた」「ルチアは仲良しをうらぎった」。でも私は思うのだ。そういうことってあるでしょう?頑なさが邪魔をして愛の表現を持てなかったって。親友をはずかしいと思ってしまうって。

原題L’età fragileは「傷つきやすい年頃」を意味し、生きている限り痛みと無縁の世代なんかない、と教えているように思う。二十代のルチアも現在のルチアも、あの時のお父さんも今のお父さんも、傷ついている。

そして、物語にはある人物が登場する。言葉がわからない、重労働、二年三年にわたる孤立。その末に・・・。

私はその人の味方ではない。同情もしない。でも、「同じ状況に置かれても自分は人としての境界を絶対に踏み外さない」と自信満々で断言できる者がどれだけいるだろう。キャンプ地跡のトイレの裏手に書かれた「あいつを殺せ」という文字。

殺してしまえば、あるいは「あいつみたいなやつらは全員悪」と決めつけたら、「それはさすがにヒステリック。法律で規制しよう」と動いたら、あのできごとはふせげたのか?

「正義か悪か」だと、「正しい」側は安心し、おどろくほど早く痛みを忘れてしまう。それではだめなのだ、という作者の思いが本書を世界文学に押し上げてると思う。

昔イタリアの山岳地帯で起きたこと、それは今、世界中の話だ。「自然V開発」「男VS女」「無学VS学歴」「労働者VS金持ち」etc. "あんたはどっちに付くんだ"、では解決できない複雑な現代社会のひだを、本作は読み手にていねいにしみとおらせていく。

ラストは白昼夢のように美しく、祈りの気持ちがこみあげてくる。ルチアのながめのなかに、お父さんもいる。父と娘もまた、似ていた、と読者は気づくだろう。口にしない愛が、ここにある。

こんな一冊に出会えるから、読書はやめられない。
 
* * * * * * * *
 
(Yahoo!ショッピングへ遷移します)
 
 
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。

SHARE

一覧に戻る