【第362回】間室道子の本棚 『劇場という名の星座』小川洋子/集英社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『劇場という名の星座』
小川洋子/集英社
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後悔していることがある。わたしはなぜ、帝国劇場に行かなかったのか。

兵庫の宝塚大劇場に行ったことがあるし、新大久保の東京グローブ座でシェイクスピア劇を見た。後楽園ホールでボクシング観戦、旧国技館のプロレス、武道館でヴァン・ヘイレン、なんだったら帝国ホテルに宿泊したことだってある。でもまもなく閉館と知っていたのに、わたしは帝劇に行かなかった。

なくなってはじめて大喪失がわかるって、天才レーサーの死とか名人の落語とか愛とかいろいろ。でも建物はもっとも取返しがつかないもののひとつだ。ほかの何かに興味を持ったり応援したりはできる。でも建築物は個人レベルでの「もういちど」が不可能。しかもわが国最高峰の劇場。わたしはバカだとしか言いようがない。

で、小川洋子先生の本書が出た。

前作の『掌の上の舞台』もテーマは演劇で、市民ホールから大金持ちの個人の敷地内にあるプライベートシアター、中年女性の頭の中、工場裏で女の子が缶をひっくり返して見立てたものまでさまざまな舞台が描かれていた。本書はすべてが「帝国劇場」に捧げられている。

そして作者の本領発揮。小川先生が書くのは、いつだって目に留まらない人たち。いるとさえ思われてない存在だ。

着到板(いない時は赤、劇場入りしたらひっくり返して裏の黒文字にする名前札)を書く人、海外演出家に付く通訳さん、楽屋の清掃係、そして、ひそかに建物に住みついている・・・。

注目は彼らがプロだということ。自信満々で、ではなく、みんな、えんりょがちに、でも自分の場所で全力をつくす。「この人にまかせておけば、なんの心配もいらない」という安堵が、お客さん、劇場関係者(含:ひみつの存在)、出演者、館内全体を覆っている。

観客にもドラマがある。白杖のご老人、万全の体調管理で観劇にそなえる女性、あるだいじなものなしで、それでも東京に来た少女。

胸をしめつけられる展開に思うのは、祈りのようなもの。どうか、この父親に、地下鉄のホームにいた人に、ビル街の寒さに耐える年若い女の子に、心やすらかな時がおとずれますよう――。

星座にもとめられるのは光の量や強さではない。ひとつひとつがそこに存在しさえすれば。本書の誰が欠けても帝劇ではない。

で、気づいたの。だから小川洋子先生はこの本を書いたんだって。

わたしはいつのまにか、登場人物たちといっしょにあそこにいる。あの建物のなかがどうなっているか、どんな人たちが働いているか。観客たちの様子、裏方さんたちの活躍、スターたちの熱演。ページをめくりさえすれば、帝国劇場はいつだって、わたしの中でたちあがる。
 
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。

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