【第363回】間室道子の本棚 『午後』フェルディナント・フォン・シーラッハ 酒寄進一訳/東京創元社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『午後』
フェルディナント・フォン・シーラッハ 酒寄進一訳/東京創元社
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作家にとって「これは実話です」「創作です」とするって、どういう境目なんだろう?

取材のあった話でも、ただのテープ起こしではなく「作品」にするには読ませるための作為が絶対入るだろうし、つくり話の場合でも、どこかで見た・聞いたものがヒントになったり混じっていたりするはず。

「弁護士兼作家」というポジションが生み出すソリッドな文体で劇的な物語を書くシーラッハ。酒寄進一先生の訳者あとがきによれば本書は「エッセイ未満の創作集」だ。でも読み味としては実話の匂いがぷんぷん。章にナンバリングがほどこされてるのも雰囲気をあおる。書類っぽい感じ。そして語り手は「弁護士兼作家である私」なのだ。本人と分身のスレスレを行くシーラッハは、しんじがたい設定をリアルなものとして読ませる。

たとえば、「3」章に出てくる弁護士アリソンの体験。

「私」は新しい小説のプロモーションのため来日中の東京の高級ホテルのバーで偶然このアメリカ女性と同席になり、話を聞く。彼女は既婚者だったが依頼人である有名ミュージシャンと恋におちた。夫には出張だと言い訳して重ねた逢瀬とやがての破局。そこにからむ、世界的ブランドが伝説の女優のために製作した一点ものの腕時計。

「月9」でこんなことしたら噴飯ものっつーか、「盛りすぎ!」「夢物語もいいかげんにしろ!」だろう。でもシーラッハはこれを「私」の、彼女の、実話として読者に沁みとおらせる。アジアの大都市の高級スカイラウンジもそこにいた美しい女性弁護士もロックスターとの不倫もマレーネ・ディートリヒもなにひとつ無理がない。ドラマチックをすんなり呑み込ませる。こんなことができるのはこの作家ならでは。

「才能か努力か」と言われるけど、シーラッハにはどうしたって「育ち」がつきまとう。「10」章には「私は良家の息子ではなかった。もはや良家など存在せず」という心情がでてくるけど、少年時代の「私」は寄宿学校に入れられていたし、お父さんについて、「エレガント」と形容している。昔は燕尾服を着てレセプションに出るような人だったのだ。その傾きにも同時にふれられているが、とにかく「私」は育ちがいいのだ。

で、それが「どういう由来によるのか」については本書の表紙カバー折り返しにある著者略歴を見てほしい。「1964年ドイツ、ミュンヘン生まれ」のすぐあとにある、おそらく彼が死ぬまで、いや死んでからも、記載され続けること。これが「優美な文体で人々の奇妙で残酷な人生が綴られる」という彼ならではのアンビバレントな読み味と、読後なにかが引き裂かれた感じ――登場人物たちの心が?読み手の現実が?――の源になっていると思う。

ほかに、コンサート界から消えた女性ピアニストと鳥料理、隣人女性が打ち明けた露出狂の話、自分を利用しまくった医者からついに求婚された小間使いのお返事など全26話。「事実を元に」なら現実の誰かがたどった運命に背筋がぞわっとするし、「完全創作」ならシーラッハの頭の中が怖すぎる。
 
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。

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