【第364回】間室道子の本棚 『あれは何だったんだろう』岸本佐知子/筑摩書房
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『あれは何だったんだろう』
岸本佐知子/筑摩書房
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本書には岸本さんの日常にあふれている「あれは何だったんだろう」、というできごと、物体、人物のさまざまが登場。内容を楽しむとともに、自分にもこんなことが、と頭の中からどんどんでてくる。
わたしが好きなタイプのエッセイはこんなふうに、ボケとつっこみ、コール・アンド・レスポンスのように読み手のリアクションを引き出す。「自分なんか、おそれおおくて・・・」というはじらいや遠慮をかなぐり捨て、「あるある」「そうそう!」「ああ、こっちのこれを聞いてほしい!」と本とおしゃべりしながら読み進むのだ。わが「あれは何だったんだろう」をいくつか書いてみる。
① 幼稚園の時、むりやり母の友達の家に連れていかれた。そこには自分より1つ年上 の高慢ちきなお嬢さんがいて、その家にあったピアニカでわたしは歯ぐきをけがした。息を吹き込むその楽器でなぜそんなところを傷めたのか。そしていきたくなかったよその家でいきなりそこにあったピアニカを吹こうとするって、わたしはどういう子供だったんだろう。
② シンガポールでピンクイルカのタッチング・プールがある施設に行く。あのいきもの にさわった体験談は有名人の旅エッセイから一般人のSNSまでぞろぞろあるが、私の考えでは、いちばん近い感触は「かまぼこ」。かわいいイルカにバイバイ、と手を振りながら、なんとなく醤油が欲しくなる。
③ ChatGPTではない無料AIに自分の名前を入れてみる。「間室道子さんは福岡県出身の 声優で代表作は『サザエさん』です」とのこと。人工知能に感心するのは優秀さではなく、こういう間違っている時のいけしゃあしゃあぶり。今は正しい情報が出るようになってしまっていてツマラナイ。「間室道子について大嘘をついて」と入れてみたら「彼女は大谷選手の通訳ではありません」・・・。AIは役に立たないように使うとすばらしいと思う。
④ 大学の時の文章講座の先生が、いい形容詞の例として、「いなりずしのようなおばあさ ん」というのをよくうれしげに出していた。どこからの引用だったのか、ヤフー検索してみたら、横溝正史の『悪魔の手毬歌』のウィキが出てきてびっくり。目を皿のようにして読み返す。「おばあさん」はでてくる。「いなりずし」もでてくる。だが「いなりずしのようなおばあさん」は出て来ないのであった。そして再読してわかったのは、この小説、いなりずしがものすごい重要アイテムだったこと。陰惨かつ豪華絢爛、という横溝正史一流の小説世界で「アブラアゲを買ったのは誰か」、金田一探偵が村を奔走する!
岸本さんに話を戻すと、今回わたしがいちばんいいなと思ったのは「窓」。
ある日岸本さんは、知り合いがひとりもいない飲み会に行った。誘ってくれた人が急に来れなくなったのだ。場に溶け込みたかったけど、誰もがこちらの知らない話題で盛り上がり、入っていける雰囲気ではない。自分はなぜ、ここにいるの?
中座してお手洗いに逃げ、ひと息つく。その何度目かのとき、岸本さんは廊下の途中に階段があるのを見つけ、その先の二畳ほどの部屋にたどりつく。小さな窓があり、覗いてみると今までいた座敷が見えた。そして・・・。
うれしいのかさびしいのか、あたたかいのか心がしんとしてるのかわからない、独特の読後。で、気づいたの。これって、岸本さんの翻訳世界だ。
彼女が訳する作品はどれも、喜怒哀楽で感想がおさまらない。幸せなのに胸が痛み、悲しいけど解放感がある。岸本さんは「作文がにがて」だそうだけれど、この、〆切以外はなんのしばりもなく書いた文章が、彼女が選び、訳した作家たちの小説に似てるって、胸がぎゅっとなった。
「あれは何だったんだろう」、というのは書かれた事象ではなく、読後われわれの心に浮かぶ、気持ちの始末のつけられなさ、豊かな情緒不安定なのかもしれない。キシモト・ワールドへようこそ。
わたしが好きなタイプのエッセイはこんなふうに、ボケとつっこみ、コール・アンド・レスポンスのように読み手のリアクションを引き出す。「自分なんか、おそれおおくて・・・」というはじらいや遠慮をかなぐり捨て、「あるある」「そうそう!」「ああ、こっちのこれを聞いてほしい!」と本とおしゃべりしながら読み進むのだ。わが「あれは何だったんだろう」をいくつか書いてみる。
① 幼稚園の時、むりやり母の友達の家に連れていかれた。そこには自分より1つ年上 の高慢ちきなお嬢さんがいて、その家にあったピアニカでわたしは歯ぐきをけがした。息を吹き込むその楽器でなぜそんなところを傷めたのか。そしていきたくなかったよその家でいきなりそこにあったピアニカを吹こうとするって、わたしはどういう子供だったんだろう。
② シンガポールでピンクイルカのタッチング・プールがある施設に行く。あのいきもの にさわった体験談は有名人の旅エッセイから一般人のSNSまでぞろぞろあるが、私の考えでは、いちばん近い感触は「かまぼこ」。かわいいイルカにバイバイ、と手を振りながら、なんとなく醤油が欲しくなる。
③ ChatGPTではない無料AIに自分の名前を入れてみる。「間室道子さんは福岡県出身の 声優で代表作は『サザエさん』です」とのこと。人工知能に感心するのは優秀さではなく、こういう間違っている時のいけしゃあしゃあぶり。今は正しい情報が出るようになってしまっていてツマラナイ。「間室道子について大嘘をついて」と入れてみたら「彼女は大谷選手の通訳ではありません」・・・。AIは役に立たないように使うとすばらしいと思う。
④ 大学の時の文章講座の先生が、いい形容詞の例として、「いなりずしのようなおばあさ ん」というのをよくうれしげに出していた。どこからの引用だったのか、ヤフー検索してみたら、横溝正史の『悪魔の手毬歌』のウィキが出てきてびっくり。目を皿のようにして読み返す。「おばあさん」はでてくる。「いなりずし」もでてくる。だが「いなりずしのようなおばあさん」は出て来ないのであった。そして再読してわかったのは、この小説、いなりずしがものすごい重要アイテムだったこと。陰惨かつ豪華絢爛、という横溝正史一流の小説世界で「アブラアゲを買ったのは誰か」、金田一探偵が村を奔走する!
岸本さんに話を戻すと、今回わたしがいちばんいいなと思ったのは「窓」。
ある日岸本さんは、知り合いがひとりもいない飲み会に行った。誘ってくれた人が急に来れなくなったのだ。場に溶け込みたかったけど、誰もがこちらの知らない話題で盛り上がり、入っていける雰囲気ではない。自分はなぜ、ここにいるの?
中座してお手洗いに逃げ、ひと息つく。その何度目かのとき、岸本さんは廊下の途中に階段があるのを見つけ、その先の二畳ほどの部屋にたどりつく。小さな窓があり、覗いてみると今までいた座敷が見えた。そして・・・。
うれしいのかさびしいのか、あたたかいのか心がしんとしてるのかわからない、独特の読後。で、気づいたの。これって、岸本さんの翻訳世界だ。
彼女が訳する作品はどれも、喜怒哀楽で感想がおさまらない。幸せなのに胸が痛み、悲しいけど解放感がある。岸本さんは「作文がにがて」だそうだけれど、この、〆切以外はなんのしばりもなく書いた文章が、彼女が選び、訳した作家たちの小説に似てるって、胸がぎゅっとなった。
「あれは何だったんだろう」、というのは書かれた事象ではなく、読後われわれの心に浮かぶ、気持ちの始末のつけられなさ、豊かな情緒不安定なのかもしれない。キシモト・ワールドへようこそ。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。
