【第367回】間室道子の本棚 『つむじ風食堂の夜』吉田篤弘/中央公論新社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『つむじ風食堂の夜』
吉田篤弘/中央公論新社
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左手にちくま文庫版の『つむじ風食堂の夜』、右手に今回中央公論新社からリイシューで出た『つむじ風食堂の夜』をひろげ、1ページずつ読み比べを開始。こんなことをしたのは高村薫先生の『マークスの山』以来である。
あれは2003年。直木賞に輝く早川書房刊の『マークスの山』が講談社から文庫化され、宣伝文にこうあった。「全面改稿」。
わたしたまげましたわ。直木賞って、直していいんだー。著者に自由はある。しかし全面直した『マークス』は変わらず直木賞受賞作と言えるのか?というわけで、左に早川のハードカバー、右に講談社文庫をひらき読んでいった。犯人が違っていたらどうしよう。
結論。そんなに変化はなかった。ただ、男が二人――刑事と検事がでてくるのだが、文庫のほうがそこはかとなく濃密になっていた。わたしの考えでは、これが高村先生にとっては重要だったんだろう。
閑話休題、リイシューの『つむじ風』は、いっけんそうとはわからないがじつにこまごまと直されていた。面白いなあと思ったのは、ひらがな三文字でその人物の内面や動作が違って見えること。たとえばある人の「大声を出した」と「大声になった」。
前者だと「俺の話を聞けぃ」的な注目集め、私は正しいんだぞ、というアピール、姿勢としてはふんぞり返りを思う。でも後者だと自然と声量があがって、伝えたいことがだいじで、胸を張ってる絵がうかぶ。ジャイアンではなくほらふき男爵。「を出し」と「になっ」にこれだけの作用がある。篤弘さんのあたらしい言葉はすごい。
まるまる消えた人もいる。主人公の「雨降りの先生」の記憶の中の人物。リイシュー版で、彼はこの人のことを思い出さない。
おそらく「時代的にだめ」なんだろうとわかる。でも「こういう人、いたなあ」という読者は多いはず。わたしの場合は定食屋の「みーぼー」。
西川きよしがキー坊と呼ばれ、『三年目の浮気』のひろし&キーボーもいた頃。タテにもヨコにもおおきく背中を丸めて肉厚の手で四角いテーブルを丸く拭くみーぼーは、A定食や肉炒めの時は小さな声で「A一丁、ニクイタ一丁」と言っていた。でもさしみ定食は「さし定一丁」とすこし声を張り上げた。いちばん高いメニューだったからだろう。わたしも自分よりおそらく数歳年下であるみーぼーにあかるい声を出させたかった。でも学生の身でさし定はムリだったんだよなあ。
今は、みーぼーやリイシュー版にはでてこない人の特徴を描いたら、「これはサベツ!」「傷つく人がいるってわからないんですかッ」と攻撃を受けるご時世である。よく読んでください、著者は愛情をもって書いてるしこの人が周囲に好かれてるってわかるでしょう?という声は届かない。でも、誰かが小説の中で居場所を無くすことが、「サベツのない世の中」なの?
で、リイシュー版をリイシューしてもいいのだ。四半世紀後くらいに篤弘さんがまた『つむじ風食堂の夜』を書くとき、あの人が復活!そういう時代になっていたらと思う。
閑話休題、今回の中央公論新社の『つむじ風食堂の夜』も、ちくま文庫版のいちばん最初の帯文「それは、笑いのこぼれる夜。」どおりのストーリー。
あなたはまだ、この面白い小説を知らない。誰も知らないのに誰もがなつかしい「月舟町」で巻きおこる、初めて出会うのにフシギと心になじむ人々のお話へ、ようこそ。
あれは2003年。直木賞に輝く早川書房刊の『マークスの山』が講談社から文庫化され、宣伝文にこうあった。「全面改稿」。
わたしたまげましたわ。直木賞って、直していいんだー。著者に自由はある。しかし全面直した『マークス』は変わらず直木賞受賞作と言えるのか?というわけで、左に早川のハードカバー、右に講談社文庫をひらき読んでいった。犯人が違っていたらどうしよう。
結論。そんなに変化はなかった。ただ、男が二人――刑事と検事がでてくるのだが、文庫のほうがそこはかとなく濃密になっていた。わたしの考えでは、これが高村先生にとっては重要だったんだろう。
閑話休題、リイシューの『つむじ風』は、いっけんそうとはわからないがじつにこまごまと直されていた。面白いなあと思ったのは、ひらがな三文字でその人物の内面や動作が違って見えること。たとえばある人の「大声を出した」と「大声になった」。
前者だと「俺の話を聞けぃ」的な注目集め、私は正しいんだぞ、というアピール、姿勢としてはふんぞり返りを思う。でも後者だと自然と声量があがって、伝えたいことがだいじで、胸を張ってる絵がうかぶ。ジャイアンではなくほらふき男爵。「を出し」と「になっ」にこれだけの作用がある。篤弘さんのあたらしい言葉はすごい。
まるまる消えた人もいる。主人公の「雨降りの先生」の記憶の中の人物。リイシュー版で、彼はこの人のことを思い出さない。
おそらく「時代的にだめ」なんだろうとわかる。でも「こういう人、いたなあ」という読者は多いはず。わたしの場合は定食屋の「みーぼー」。
西川きよしがキー坊と呼ばれ、『三年目の浮気』のひろし&キーボーもいた頃。タテにもヨコにもおおきく背中を丸めて肉厚の手で四角いテーブルを丸く拭くみーぼーは、A定食や肉炒めの時は小さな声で「A一丁、ニクイタ一丁」と言っていた。でもさしみ定食は「さし定一丁」とすこし声を張り上げた。いちばん高いメニューだったからだろう。わたしも自分よりおそらく数歳年下であるみーぼーにあかるい声を出させたかった。でも学生の身でさし定はムリだったんだよなあ。
今は、みーぼーやリイシュー版にはでてこない人の特徴を描いたら、「これはサベツ!」「傷つく人がいるってわからないんですかッ」と攻撃を受けるご時世である。よく読んでください、著者は愛情をもって書いてるしこの人が周囲に好かれてるってわかるでしょう?という声は届かない。でも、誰かが小説の中で居場所を無くすことが、「サベツのない世の中」なの?
で、リイシュー版をリイシューしてもいいのだ。四半世紀後くらいに篤弘さんがまた『つむじ風食堂の夜』を書くとき、あの人が復活!そういう時代になっていたらと思う。
閑話休題、今回の中央公論新社の『つむじ風食堂の夜』も、ちくま文庫版のいちばん最初の帯文「それは、笑いのこぼれる夜。」どおりのストーリー。
あなたはまだ、この面白い小説を知らない。誰も知らないのに誰もがなつかしい「月舟町」で巻きおこる、初めて出会うのにフシギと心になじむ人々のお話へ、ようこそ。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。
