【第369回】間室道子の本棚 『タイム・アフター・タイム』吉田修一/幻冬舎
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『タイム・アフター・タイム』
吉田修一/幻冬舎
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主人公の造形とか文章のうまさとかストーリー展開とかはもちろんだいじ。でも「ああ、わたしはこの小説が好きだ」と読み手に思わせたら物語は勝ち。吉田修一さんの本書は早々にそれをやる。
そこかーい、と吉田さんおよび関係者のみなさまはガックリくるかもしれないが、タクシーの運転手さんがいい。
夕方、豪雨の都立多摩公園。幹線道路の片側から男ペアが、反対側から女性ペアが走ってきて一台のタクシーの取りあいになる。あとからわかるが四人ともアラフォー。で、近くの駅まで相乗りしましょう、となり、男の片方と女の片方の目が合い、運命の再会。
尾崎颯。学生時代の呼び名はオッソー。久遠愛。どんなに仲良くなっても周囲からずっと名前ではなく苗字で呼ばれ続ける女子っているものだが彼女はそういうタイプ。ふたりは長崎の高校の同級生だった。
「月9か!」とつっこみたくなる人もいるだろう。でもここに運転手さんの言動がからむことで劇的さに笑いと脱力が加わる。これを書いてしまえるのが吉田修一さん。好きだわー。読者はもう安心して、物語の大船に身をゆだねている。
本書のタイトル、そして映画や名曲にもいくつか付けられてるTime After Timeとは、「ずーーーっと」という意味。
お話は二十年前の長崎、沖縄、そして現代の東京をミルフィーユ状にしながら語り手を変えて進む。不思議なくらい、「彼らはケッコンできるのかしら!?」に頭がいかないのが素晴らしい!有名漫画のせりふで「お前はもう死んでいる」というのがあるが、さしずめ「ふたりはもう結ばれている」。
どしゃぶりの後日、野上が「尾崎と久遠さんって、何かあったりしたの」と聞き、「ないよ」とオッソーは答える。このあとしこたま出てくるあれやこれやをよくもまあ「ない」と言ったもんだ、と読みながらたまげるが、だからこその「ない」なんだ、とも思えてきた。
山田詠美さんがどこかで、「あなたの唯一の恋を、誰にでもわかるものに翻訳しないで」と書いていた。わたしはこの言葉が大好きである。
友達に相談することで仲間内でネタとして盛り上がるのをはじめ、匂わせだの緊急のご報告だの多くの人が自分の恋を皆にわかってもらいたがる。それでたとえば、久遠となにか「あった」と言ったとき、野上および読者の頭に浮かぶであろう手垢まみれの凡庸なイメージ。オッソーはそういうのをあの日々に付けたくなかったんだろう。
故郷でも東京でも、二十年前も今も、久遠と彼には誰かとのポジション争いや主導権がない。野上ときまぐれ美大生、県議会議員夫妻とある女性、サッカー選手と週刊誌に撮られた人など、本書にはいくつかの恋愛事情がでてくるが、「妻の椅子は誰のもの」とか「お金出す人もらう人」とかの力関係がないのだ。かつて大それたことをしたが、恥やうしろめたさがない。正々堂々とぶっ飛んだ。すがすがしい!
本書は見守る者たちの話でもある。高校生のオッソーと久遠は、よく知る、あるいは見知らぬ大人たちと接しながら、自由とはなにか、世界の広さと狭さなんかを身をもって学ぶ。
わたしがいちばん印象に残ったのは、ある人がふたりに、「みんな、若いお前らに失敗してほしくないんだよ」と言ったあと、すぐ、「みんな、お前らに失敗してほしくないんじゃなくて、失敗してもいいんだぞって、そう言いたいのかもしれないな」と言い直した場面。
初恋とか恋愛小説を超え、誰も見たことのない広々した世界がひろがる。人が顔をあげて生きていくとはどういうことか、大きな時の流れを描いた大傑作。
そこかーい、と吉田さんおよび関係者のみなさまはガックリくるかもしれないが、タクシーの運転手さんがいい。
夕方、豪雨の都立多摩公園。幹線道路の片側から男ペアが、反対側から女性ペアが走ってきて一台のタクシーの取りあいになる。あとからわかるが四人ともアラフォー。で、近くの駅まで相乗りしましょう、となり、男の片方と女の片方の目が合い、運命の再会。
尾崎颯。学生時代の呼び名はオッソー。久遠愛。どんなに仲良くなっても周囲からずっと名前ではなく苗字で呼ばれ続ける女子っているものだが彼女はそういうタイプ。ふたりは長崎の高校の同級生だった。
「月9か!」とつっこみたくなる人もいるだろう。でもここに運転手さんの言動がからむことで劇的さに笑いと脱力が加わる。これを書いてしまえるのが吉田修一さん。好きだわー。読者はもう安心して、物語の大船に身をゆだねている。
本書のタイトル、そして映画や名曲にもいくつか付けられてるTime After Timeとは、「ずーーーっと」という意味。
お話は二十年前の長崎、沖縄、そして現代の東京をミルフィーユ状にしながら語り手を変えて進む。不思議なくらい、「彼らはケッコンできるのかしら!?」に頭がいかないのが素晴らしい!有名漫画のせりふで「お前はもう死んでいる」というのがあるが、さしずめ「ふたりはもう結ばれている」。
どしゃぶりの後日、野上が「尾崎と久遠さんって、何かあったりしたの」と聞き、「ないよ」とオッソーは答える。このあとしこたま出てくるあれやこれやをよくもまあ「ない」と言ったもんだ、と読みながらたまげるが、だからこその「ない」なんだ、とも思えてきた。
山田詠美さんがどこかで、「あなたの唯一の恋を、誰にでもわかるものに翻訳しないで」と書いていた。わたしはこの言葉が大好きである。
友達に相談することで仲間内でネタとして盛り上がるのをはじめ、匂わせだの緊急のご報告だの多くの人が自分の恋を皆にわかってもらいたがる。それでたとえば、久遠となにか「あった」と言ったとき、野上および読者の頭に浮かぶであろう手垢まみれの凡庸なイメージ。オッソーはそういうのをあの日々に付けたくなかったんだろう。
故郷でも東京でも、二十年前も今も、久遠と彼には誰かとのポジション争いや主導権がない。野上ときまぐれ美大生、県議会議員夫妻とある女性、サッカー選手と週刊誌に撮られた人など、本書にはいくつかの恋愛事情がでてくるが、「妻の椅子は誰のもの」とか「お金出す人もらう人」とかの力関係がないのだ。かつて大それたことをしたが、恥やうしろめたさがない。正々堂々とぶっ飛んだ。すがすがしい!
本書は見守る者たちの話でもある。高校生のオッソーと久遠は、よく知る、あるいは見知らぬ大人たちと接しながら、自由とはなにか、世界の広さと狭さなんかを身をもって学ぶ。
わたしがいちばん印象に残ったのは、ある人がふたりに、「みんな、若いお前らに失敗してほしくないんだよ」と言ったあと、すぐ、「みんな、お前らに失敗してほしくないんじゃなくて、失敗してもいいんだぞって、そう言いたいのかもしれないな」と言い直した場面。
初恋とか恋愛小説を超え、誰も見たことのない広々した世界がひろがる。人が顔をあげて生きていくとはどういうことか、大きな時の流れを描いた大傑作。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。
