【第383回】間室道子の本棚 『わたし、そんなにとんがってましたかね。 獅子座、A型、丙午はめぐる』鈴木保奈美/中央公論新社 『中途半端な旅人は語る』 鈴木保奈美/小学館
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『わたし、そんなにとんがってましたかね。 獅子座、A型、丙午はめぐる』
鈴木保奈美/中央公論新社
『中途半端な旅人は語る』
鈴木保奈美/小学館
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同時刊行された二冊のエッセイ。読みどころはまず、文体というか、空気感の違いだ。
『わたし、そんなにとんがってましたかね』は保奈美さんの声がきこえてくる日常エッセイ。彼女はしゃべるように書いている。これがすごい。
なぜなら、たとえばICレコーダーをスイッチオンしてあれこれ語り、それを文字に起こしたらいっちょあがりになるかというと、そんなものはすごく読みにくいのである!
思い出したのは、川上未映子さんの大阪弁を駆使した小説。「育った土地の言葉そのまま」と評されることがあるけれど、ほんとにナマの方言で書かれた小説って読みにくくてシャーナイ。川上さんのあれは、非常に抑制のきいた、「読める関西弁」なのである。
閑話休題、保奈美さんのおしゃべりそのままに見える『わたし、そんなにとんがってましたかね。』も、書き言葉として細心の注意が払われている。おそらく源になっているのは相当な本好きである彼女の読む力だ。書きながら目で追いにくいところを排除し、くだけた会話調をキープ。
耳のいい人だな、とも思う。漏れ聞いたところ、芝居の稽古初日にはせりふが全部入っているという彼女だが、記憶力プラス聴覚のなせるわざではないかと思う。台本片手にぶつぶつと声に出したせりふを耳からも吸収。そんな保奈美さんの、本書にでてくる小学二年生くらいの少年の泣き声は「ういいん、ういいいん」。そうだ、子供って、特に小学校低学年の、自分は間違っていない、と思って泣いてる男の子って、「えーん」とか「おーん」て泣かない!
ビジュアル満載の『中途半端な旅人は語る』では空気ががらりと変わる。『わたし、そんなに』がご近所の肌ざわりなのに対し、こちらの保奈美さんはストレンジャー。それがまず、写真からつたわる。
“旅慣れてるワタシ。まわりに溶け込んでて地元民みたいでしょ”てな旅行写真をUPする著名人もいるけれど、パリの路地、国立図書館、シカゴの高級ホテルの部屋で、保奈美さんの輪郭はくっきりしている。異国に身を置く緊張感で。それが美しい。
旅先でまったりしてなにがわるい、という方もいると思うが、私の考えでは、自国でぬくぬくしてる自分を引きずったまま海外へ、という日本人ってけっこういる。(『わたし、そんなに』には飛行機のなかで裸足になる日本人男性が複数でてくる)
彼女は、リラックスはしても脱力はしない。ひとり旅のあいだ、「警戒して、目を三角にして、奥歯を噛みしめて」と自嘲ぎみな文章も出てくるけど、緊張は高揚感のもとでもある。弛緩してしまっては凡庸さしか手に入らない。アンテナをはりめぐらせ、ビリビリバンバン受信し、目をみはり、耳をすましている保奈美さんだからこその、気づきや出会いが本書にはあふれている。
そして「自分はほんらいここに属していない人間だ」という自覚は、地元の人への理解とリスペクトにつながってる。印象的なのは、利尻島。言葉は通じるし文化も同じ国内で、レンタカー、プロペラ機のままならなさに驚いたり困ったりしたあと、保奈美さんが「ここで暮らす人」に思いを馳せる場面がいい。
二冊に共通するのは、まずワードセンスだ。どうしたらこんな、と思える、ユニークな表現や珍形容(!)。『わたし、そんなに』では、「最大限薄めたゲータレードみたいな黄色」「メダルは鯵か」。『中途半端』では「碧さに気圧される」「イブニングドレスの中にひとり体操着」が私のお気に入り。
そして、鈴木保奈美というひとの最大の魅力は、補助線を引くことだと思っている。彼女の読書番組に私はなんどか出演しているが、収録がちょっと煮詰まってきたとき、保奈美さんの一言でみんなが活気づいて話がまた進む。そんな場面が何度もあった。
物語の解釈とか世界観の提示ではなく、彼女がひょいと口にするのは読書のキーになる補助線的な一言だ。『わたし、そんなに』では「守られてると、考えなくなる」「祈るという字と折るっていう字はよく似ている」。『中途半端』では、「自分を信じられない人と、自分しか信じない人」、「地図の通りに地球がある面白さと地図に描かれない人の営み」にうなった。
読み手が日常、そして旅を生きる補助線がいくつも発見できる二冊。おすすめです!
『わたし、そんなにとんがってましたかね』は保奈美さんの声がきこえてくる日常エッセイ。彼女はしゃべるように書いている。これがすごい。
なぜなら、たとえばICレコーダーをスイッチオンしてあれこれ語り、それを文字に起こしたらいっちょあがりになるかというと、そんなものはすごく読みにくいのである!
思い出したのは、川上未映子さんの大阪弁を駆使した小説。「育った土地の言葉そのまま」と評されることがあるけれど、ほんとにナマの方言で書かれた小説って読みにくくてシャーナイ。川上さんのあれは、非常に抑制のきいた、「読める関西弁」なのである。
閑話休題、保奈美さんのおしゃべりそのままに見える『わたし、そんなにとんがってましたかね。』も、書き言葉として細心の注意が払われている。おそらく源になっているのは相当な本好きである彼女の読む力だ。書きながら目で追いにくいところを排除し、くだけた会話調をキープ。
耳のいい人だな、とも思う。漏れ聞いたところ、芝居の稽古初日にはせりふが全部入っているという彼女だが、記憶力プラス聴覚のなせるわざではないかと思う。台本片手にぶつぶつと声に出したせりふを耳からも吸収。そんな保奈美さんの、本書にでてくる小学二年生くらいの少年の泣き声は「ういいん、ういいいん」。そうだ、子供って、特に小学校低学年の、自分は間違っていない、と思って泣いてる男の子って、「えーん」とか「おーん」て泣かない!
ビジュアル満載の『中途半端な旅人は語る』では空気ががらりと変わる。『わたし、そんなに』がご近所の肌ざわりなのに対し、こちらの保奈美さんはストレンジャー。それがまず、写真からつたわる。
“旅慣れてるワタシ。まわりに溶け込んでて地元民みたいでしょ”てな旅行写真をUPする著名人もいるけれど、パリの路地、国立図書館、シカゴの高級ホテルの部屋で、保奈美さんの輪郭はくっきりしている。異国に身を置く緊張感で。それが美しい。
旅先でまったりしてなにがわるい、という方もいると思うが、私の考えでは、自国でぬくぬくしてる自分を引きずったまま海外へ、という日本人ってけっこういる。(『わたし、そんなに』には飛行機のなかで裸足になる日本人男性が複数でてくる)
彼女は、リラックスはしても脱力はしない。ひとり旅のあいだ、「警戒して、目を三角にして、奥歯を噛みしめて」と自嘲ぎみな文章も出てくるけど、緊張は高揚感のもとでもある。弛緩してしまっては凡庸さしか手に入らない。アンテナをはりめぐらせ、ビリビリバンバン受信し、目をみはり、耳をすましている保奈美さんだからこその、気づきや出会いが本書にはあふれている。
そして「自分はほんらいここに属していない人間だ」という自覚は、地元の人への理解とリスペクトにつながってる。印象的なのは、利尻島。言葉は通じるし文化も同じ国内で、レンタカー、プロペラ機のままならなさに驚いたり困ったりしたあと、保奈美さんが「ここで暮らす人」に思いを馳せる場面がいい。
二冊に共通するのは、まずワードセンスだ。どうしたらこんな、と思える、ユニークな表現や珍形容(!)。『わたし、そんなに』では、「最大限薄めたゲータレードみたいな黄色」「メダルは鯵か」。『中途半端』では「碧さに気圧される」「イブニングドレスの中にひとり体操着」が私のお気に入り。
そして、鈴木保奈美というひとの最大の魅力は、補助線を引くことだと思っている。彼女の読書番組に私はなんどか出演しているが、収録がちょっと煮詰まってきたとき、保奈美さんの一言でみんなが活気づいて話がまた進む。そんな場面が何度もあった。
物語の解釈とか世界観の提示ではなく、彼女がひょいと口にするのは読書のキーになる補助線的な一言だ。『わたし、そんなに』では「守られてると、考えなくなる」「祈るという字と折るっていう字はよく似ている」。『中途半端』では、「自分を信じられない人と、自分しか信じない人」、「地図の通りに地球がある面白さと地図に描かれない人の営み」にうなった。
読み手が日常、そして旅を生きる補助線がいくつも発見できる二冊。おすすめです!

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。

