【第339回】間室道子の本棚 『イン・ザ・メガチャーチ』朝井リョウ/日本経済新聞出版
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『イン・ザ・メガチャーチ』
朝井リョウ/日本経済新聞出版
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著者の最新作にして最高傑作。この欄でなんどか書いているが、アーティストや俳優や物書きが未知の領域までぶっ飛ぶことを「化ける」と言う。朝井さんは本作で化けました。
デビューと、認められるのが早かったので(直木賞の戦後最年少受賞記録は彼が持っている)、現在三十七歳にして作家生活十五年。「化けるって、新人のその後の飛躍に使うんじゃないの?朝井さんにこの言葉は失礼では?」と言う向きもありましょう。でも歌舞伎役者は年齢を問わず化けまくっているし、島田雅彦先生は同世代の山田詠美さんについて、「呆けたり、寝たきりになる前に私たちは最低もう二回くらい作風と人生をリニューアルするだろう」と書いている。表現者はいつでも、何度だって、化けていいのだ。そして『イン・ザ・メガチャーチ』には、「斬新なテーマ」とか「今まで誰も書いたことがないような」を超えた、異様な力がある。
物語の主軸は三人で、まず四十七歳のお父さんと大学二年生の娘。夫婦は離婚しており、この子は大分でお母さんと暮らしている。もう一人は三十五歳の非正規雇用の女性である。
面白いなあ、と思うのは、すごく違っているように見える彼らが似ていること。お湯に味噌をとかす汁や、大海原の先にある旗のイメージ、今は渋谷駅の目の前という好立地の看板スペースが埋まってない眺めなどで、全員が、あるいは三人のうち二人が、つながっている。味噌汁、旗、広告看板。まるでばらばらなこれらにも共通点がある。かげりだ。昭和ではあたたかさとか希望とか人気のしるしだったものが、令和のいま、空虚の象徴として登場する。
さらに面白いのは、本書のサイトや帯に使われている「呑むか、呑まれるか。」――これって実はいっしょなんだ、とわかってくること。「ネットでトレンド入り」のからくりを知った人たちは、今まで流行ってるって認識してきたものって何だったんだろう、と思いつつ、その方法で自分らの望みを押し上げる。また、ある人の視野の狭さと広がり。大衆の「短絡的であまりにも単純で思いこみの強い考え」を利用し搾取したお金が回る先etc.
ここで私が思い出したのは萩原朔太郎の詩「死なない蛸」のことだった。
水族館の水槽に忘れ去られた孤独な蛸がいた。彼は自分の足を一本食べて空腹をしのぐ。足が尽きると今度は胴体。ついに蛸は消滅する。でも古ぼけた、からっぽの槽のなかには――。
なにかが過剰なこととなにかが欠落していることは同じなのだ。現代の「神」は飢えてる人々に、満腹ではなく飢餓感を持続させるためにあらゆるものを与え続ける。わたしがもっともぞっとしたのは、とある市場の”コアな人たちの熱でどうにかなっている、新規より抜けていく者の方が多い、つまり一人当たりの負担が増える一方”という構造が、あるものと同じだ、とお父さんが気づくところ。
登場人物たちに感じるのは、愚かさでなくいたましさだ。非正規雇用の女性は安アパートに住んでいて、友人と盛り上がっていると隣室の男が怒って壁をどんと叩く。「夢中」が砕け、これでいつも我に返らされる。でも、「やめて。お願い。叩かないで。」という彼女の心の悲鳴がラスト近くでは――。圧巻のシーンだ。
国や社会、みんなの見たくなかったものをひっくり返してさらした物騒さ。内容というより、この小説の存在じたいがやばい。そんなデーモニッシュな一冊。すごい。
デビューと、認められるのが早かったので(直木賞の戦後最年少受賞記録は彼が持っている)、現在三十七歳にして作家生活十五年。「化けるって、新人のその後の飛躍に使うんじゃないの?朝井さんにこの言葉は失礼では?」と言う向きもありましょう。でも歌舞伎役者は年齢を問わず化けまくっているし、島田雅彦先生は同世代の山田詠美さんについて、「呆けたり、寝たきりになる前に私たちは最低もう二回くらい作風と人生をリニューアルするだろう」と書いている。表現者はいつでも、何度だって、化けていいのだ。そして『イン・ザ・メガチャーチ』には、「斬新なテーマ」とか「今まで誰も書いたことがないような」を超えた、異様な力がある。
物語の主軸は三人で、まず四十七歳のお父さんと大学二年生の娘。夫婦は離婚しており、この子は大分でお母さんと暮らしている。もう一人は三十五歳の非正規雇用の女性である。
面白いなあ、と思うのは、すごく違っているように見える彼らが似ていること。お湯に味噌をとかす汁や、大海原の先にある旗のイメージ、今は渋谷駅の目の前という好立地の看板スペースが埋まってない眺めなどで、全員が、あるいは三人のうち二人が、つながっている。味噌汁、旗、広告看板。まるでばらばらなこれらにも共通点がある。かげりだ。昭和ではあたたかさとか希望とか人気のしるしだったものが、令和のいま、空虚の象徴として登場する。
さらに面白いのは、本書のサイトや帯に使われている「呑むか、呑まれるか。」――これって実はいっしょなんだ、とわかってくること。「ネットでトレンド入り」のからくりを知った人たちは、今まで流行ってるって認識してきたものって何だったんだろう、と思いつつ、その方法で自分らの望みを押し上げる。また、ある人の視野の狭さと広がり。大衆の「短絡的であまりにも単純で思いこみの強い考え」を利用し搾取したお金が回る先etc.
ここで私が思い出したのは萩原朔太郎の詩「死なない蛸」のことだった。
水族館の水槽に忘れ去られた孤独な蛸がいた。彼は自分の足を一本食べて空腹をしのぐ。足が尽きると今度は胴体。ついに蛸は消滅する。でも古ぼけた、からっぽの槽のなかには――。
なにかが過剰なこととなにかが欠落していることは同じなのだ。現代の「神」は飢えてる人々に、満腹ではなく飢餓感を持続させるためにあらゆるものを与え続ける。わたしがもっともぞっとしたのは、とある市場の”コアな人たちの熱でどうにかなっている、新規より抜けていく者の方が多い、つまり一人当たりの負担が増える一方”という構造が、あるものと同じだ、とお父さんが気づくところ。
登場人物たちに感じるのは、愚かさでなくいたましさだ。非正規雇用の女性は安アパートに住んでいて、友人と盛り上がっていると隣室の男が怒って壁をどんと叩く。「夢中」が砕け、これでいつも我に返らされる。でも、「やめて。お願い。叩かないで。」という彼女の心の悲鳴がラスト近くでは――。圧巻のシーンだ。
国や社会、みんなの見たくなかったものをひっくり返してさらした物騒さ。内容というより、この小説の存在じたいがやばい。そんなデーモニッシュな一冊。すごい。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫) 、『プルースト効果の実験と結果』(佐々木愛/文春文庫)などがある。
