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コンシェルジュ渾身の「自らつくった本」 / 北田博充

出版社は本をつくり、書店は本を売り、読者は本を読む。今まではそれが当たり前でした。

私たちコンシェルジュは本の「売り手」ですが、だからといって本の「つくり手」になってはいけないと誰が決めたのでしょうか。

自分が本当に伝えたいと思う本が世の中にないのならば、自らの手でつくるしか方法はありません。私は1月22日に、出版者として一冊の本を刊行しました。

横田創という小説家の『落としもの』という短編集(単行本未収録作品集)です。

 

 

 

横田 創(小説家)

1970年埼玉県生まれ。演劇の脚本を書くかたわら、小説の執筆をはじめ、2000年『(世界記録)』で第43回群像新人文学賞を受賞。2002年『裸のカフェ』で第15回三島由紀夫賞候補となる。著書に『(世界記録)』『裸のカフェ』(以上講談社)、『埋葬』(早川書房)、『落としもの』(書肆汽水域)がある。

 
横田創の『埋葬』を売り続けたかったのに・・・

2010年に早川書房から刊行された横田創の『埋葬』を読んだとき、雷に打たれたような衝撃を受け、過去の文芸誌に掲載されている横田創の単行本未収録作品を買い集め、読み漁りました。その時に出会った作品が「落としもの」という短編です。

その後、横田創作品を売り続けたいという熱意とは裏腹に、『埋葬』は品切・重版未定となってしまいました。その後、数年が経過しても、『埋葬』は重版することもなければ、文庫化することもありませんでしたし、単行本未収録作品が単行本化することもありませんでした。そして、ある日、こう思いました。「もうええわ、自分でつくったれ」

横田創さんに長文の手紙をしたため、送りつけたことからすべてが始まりました。

 

誰もが「私」からは逃れられない

当店の「人文(Humanity)」というジャンルは、「私を見つめ、私を識り、私を生きる」というコンセプトで品揃えをしています。この世の誰もが、おぎゃーと生まれて死に至るまで、私を取り巻く環境や他人から逃げることはできても、「私」だけからは逃げられません。だからこそ、「私」のことをもっと見つめてほしい。そんな想いで棚をつくっています。

「落としもの」という短編は、まさに「私」と向き合うための作品です。

「落としもの」の主人公は一見すると異常な人です。カフェでたまたま隣り合った席でマルチ商法まがいの勧誘を受けている女子大生を助けるために、勧誘している男を叱りつけたり、定年間近の警察官を説教したりします。普通他人には言わないようなことを平気で言える人間なのです。言葉はすべて「そのままの意味」で受け取るし、思ったことはすべて口にします。こういうちょっと変な人、たまにいるよね。この作品を読んだ方はそう思うはずです(私もそうでした)。けれど、この作品を二度、三度と読み返していくと、不思議な気持ちになってくるはずです。「あれ? この主人公、私と似ているかも…」

 

あなたが笑っているその人はあなた自身かもしれない

正常と異常、善と悪、私と他人。それらは明確に区別できるものではなく、ゆるやかな境界線の上で地続きになっています。横田創はそれらの境界線を的確に小説の中で描きます。あなたが「自分は正常だ」と思っていたとしても、ふと一歩踏み外せば異常な世界に立っていたりするし、あなたが「あの人は異常だ」と思う他人が、実はあなた自身だったりもする。

私のことは私自身が一番よく知っている、なんて思い込んでいる人がいるとしたら、そんな人にこそ「落としもの」を読んでほしいです。

あなたが善意だと思ってしていることは、本当に善いことでしょうか。相手のことを想うことは、相手のことを攻撃することと紙一重です。相手のことを想うことは、相手を大切にすることであり、愛することであり、慈しむことであるという思い込みが、相手を傷つけているとしたら?

「落としもの」はあなたのために書かれた小説かもしれません。

 

 

北田博充 (BOOKコンシェルジュ)

出版取次会社に勤務し、本・雑貨・カフェの複合店舗を立ち上げマネージャーを務める。

アパレル店、雑貨店、ホテルのライブラリーでブックディレクションも手がける。

著書に『これからの本屋』(書肆汽水域)、編著書に『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』

(朝日出版社)がある。

 

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