【ブログ meganegoshi】アーティスト牛木匡憲さんに似顔絵を描いてもらう 中編 -ピロリ菌と予備校と美大と。

前編はコチラ→アーティスト牛木匡憲さんに似顔絵を描いてもらう 前編 -牛木匡憲は愉快犯。

中村:超楽しい子ども時代を過ごされていた牛木さんが、なぜ、新潟を出ようと思ったのでしょうか?武蔵野美術大学に行くぞ!!という夢を抱いていらっしゃったのでしょうか。
牛木:子どもの頃は、日本の暗記をベースとした教育に個性を殺されてきました。親にも「勉強ができなきゃマズイ!」と何度も言われ、親戚一同成績が良かったのですが、僕は本当に勉強ができなかったんです。勉強ができなくちゃダメなのであれば、こりゃあやばい。僕って何にもないって悩みました。さらに告白すると、僕、ピロリ菌がいたんです。当時はまだピロリ菌って言葉もなかったのですが、中学生くらいの頃から胃がずっといたかった。ピロリ菌という言葉がないわけだから、何が原因かわかんない。「ああ、僕、早く死ぬのかもなあ」って、ちょっと怖かったんですよ。

勉強はできないし、何だかわからないけど本当に胃が痛くて、早死にしそうだし…そんな不安と恐れと焦りから、自分が何が好きなのか、一生懸命考えてみたんです。そこで、いきついた答えが「絵」!高校の美術の先生に相談したら、その先生が武蔵野美術大学出身で、美大という道もあるよと教えてくれたのが、ぼくの美大への道のはじまりです。父親には怒られましたけどね。
中村:ピロリ菌で焦って、好きなことを考えて、絵と向き合えたのですね。
牛木:そうです。あまり先が長くないなら、好きなことやるしかない!と思ったのです。「絵」の仕事って、具体的にどんな仕事か分からなかったけど、自分の道がクリエイティブな方向に向かっていったら最高に楽しくなってきました。

中村:具体的に、武蔵野美術大学に行くまでに、どのような準備をされましたか?
牛木:まず、美大予備校に行きました。
中村:新潟?
牛木:いや、予備校から東京に行きました。美術の先生の友達が予備校をやっていたのです。予備校時代は本当に楽しかった!!周りのみんなも、勉強についていけなくて、勉強で結果を残せなかった人たちだったのです。ここはなんて素晴らしいんだ!ここが僕の居場所だと感じました。そうそう、予備校時代は、1回も胃が痛くならなかったんですよ!
中村:ピロリ菌を封じるくらい楽しかったのですね。素晴らしい。
牛木:楽しすぎました。勉強に追われることもなくストレスがない。絵に順位をつけられるけど、それでも良かったです。

中村:私は予備校に行ったことはないので想像でしかないのですが、予備校って、ひたすら石膏デッサン!という感じがして、超たのしい!!というテンションを感じないのですけど…。
牛木:そう、ひたすらカリカリカリカリ描いてましたよ。そして常に評価は悪くて下段ばかり。壁に飾られすらせず床に置かれるという屈辱を味あわされました。周りの人たちは高校から美術系とかだったので、絵がきちんと描ける人がほとんどでした。僕は、予備校で初めて描いたくらいだったからね。
中村:そうなのですね。私だったら心が折れちゃいそうです(汗)。
牛木:僕は本当に楽しかったんですよ。1年たっても下手だったけど…。そして結局、絵では大学に入れなくて、小論文で大学に入りました。大学受験するときに、絵じゃないものに目覚めてしまったのです。
中村:え?

牛木:予備校は楽しかったけど、絵は下手。勉強もダメだから、もちろん学科もだめ。だけど、なぜか文章は書けることが分かったんです。文章を書くことは小中高校までで問われたこともないし、評価をされたこともなかったから気づいてなかったけど、受験をきっかけに文章で評価を得て、そこからおもしろくなってきました。
さらに、大学に入ってから気づいたことは、「現代アートは絵ではない」こと。当時は、画力に意味がないとされていた時代だったんです。絵は下手で無理だけど、文章が書ければ、コンテクストがちゃんとしてたら、アートの文脈にのれることが分かりました。それまでデザイン方面をめざしてたけど、現代アートすごい!!と思えてきて、またそこから絵をかきはじめた(笑)。
中村:最終的に、基礎デザイン学科ですよね?
牛木:そうです。実技がなくて、教職がとれない学科。美術の教師になれない学科です。原研哉さんが教授だった頃で、基礎デザインが見直されている時代でした。僕が卒業した後すぐ深澤直人さんが教授になったりと。石膏デッサンをハードルにして、入れる入れないなんていう基準はバカげでいるという空気になりつつありました。社会人になってデッサン力を試される機会ないですよね。そうではなく、「文章がかけて、物語れる人をデザイナーとして育てなければいけない」というムーブメントがおきていました。
中村:なるほど。原さんたちが、新しい風穴をあけられたわけですね。
牛木:アートをやっていくうえで、文章とか文脈を追い求めていたら、また頭がついてこなくなってきた。もっと頭良くなきゃダメじゃんと、また気づきが生まれる。だけど、アーティストっていう言葉が自分の中に残りました。アーティストには、ぼく本来の愉快犯の部分を認めて、評価してくれるフィールドがあると感じました。ここがぼくの居場所だなと。
中村:僕の居場所はここだ!アートだ!!と行き着かれたのですね。
牛木:そう。すごい紆余曲折があって、結局、今こうして絵を描いてるんですよ。
中村:アートに行き着くまでに、色々な気づきポイント、ターニングポイントがはっきりしていらっしゃいますね。そして今は、「アーティスト」と名乗っていらっしゃる。
牛木:そうです。イラストレーターを語ってもイラストの仕事は来ないけれども、アーティストだからこそくる仕事がある。イラストには本人のテンションはそんなに要らないけど、一般の人が想像するアートではテンションが大事な場合が多かったり。そのテンションを買って、様々な仕事をくれる。
中村:戦略ですねー!!

 

↓つづきは以下より↓
次回はいよいよ最終回。【アーティスト牛木匡憲さんに似顔絵を描いてもらう 後編 VISITORSの誕生!!

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【プロフィール】
牛木 匡憲 (うしき まさのり)
新潟県出身。武蔵野美術大学卒業。文具メーカー、WEB制作会社勤務を経て、現在イラストレーター兼アーティスト。漫画、アニメ、特撮などの表現をベースとしてユーモラスなものからファッションを意識したものまで時代や媒体に合わせた表現を発表し続けている。
Web : http://www.ushikima.com/

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