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【コラム】読書飛行/VOL.2 パッパに愛された記憶
森茉莉『貧乏サヴァラン』

 
「貴方にとって、文学とは何ですか。」
私はずっと、その答えを探し続けているのかも知れません。
 
文学に触れている間、心はとても自由に羽ばたきます。
だから、とても履き心地の良い靴?何かの乗り物?
—考え続けて、未だ答えは出ていません。
 
だけど文学は今日も、靴を履いて踏み入れない場所や、飛行機で上陸出来ない場所へ私を連れ去るのです。
こちらは、皆様と本の素敵な出逢いをお手伝い出来ます様、文学コンシェルジュが徒然なるままに綴るコラムです。

 

VOL.2 パッパに愛された記憶
森茉莉『貧乏サヴァラン』

 
 
 貴方の人生で、最高に幸福だった日はいつですか。
もし最高に幸福だった日はいつ、と答えられるなら。
貴方は誰と居て、どこで何をしていたのでしょうか。
 
 その瞬間は悲しいかな、往々にして遠く過ぎ去ってしまった後、手応えが薄れてしまった後で実感をもたらすものである。
 
 ここに、一葉の写真がある。
白髪を緩くアップにした一人の女性は、艶のある丸顔に丸い瞳を持ち、視線を宙に泳がせ、誰かへ話し掛けている最中か下唇をきゅっと窄めている。
タートルネックセーターの上に更にカーディガンを着込み、左手は右手を柔らかく包み込む。
その表情や仕草は写真越しでも浮世離れした感を充分に伝え、被写体はお婆さんや老女と言った単語から乖離している。
まるで、他者の庇護を必要とする少女の様な佇まいである。
 
 彼女ほど、人生で最も幸福だった日を記憶から零すまい、と生涯抱きしめ続けた女性も稀であろう。
例え物書きを生業とする者であったとて。
 
 彼女の名は森茉莉(まり)、何を隠そうかの明治、大正期の文豪・森鷗外の娘である。
ここから敬慕を込め、「茉莉」と呼ばせて頂く。
 
 茉莉は明治三十六年、鷗外と二人目の妻・志げ待望の長女としてこの世に生を受けた。
文豪以前にドイツ軍医であった鷗外は茉莉のみならず、彼女の異母兄・於菟(オト/オットー)、夭逝した弟・不律(フリツ/フリッツ)、異母妹・杏奴(アンヌ)、異母弟・類(ルイ)…
と、全員に日本とドイツ両国の言語に違和無く馴染む名を授けた。
そして全員に同様の愛情を注いだ事は、彼の死後様々な形で書き・残した、茉莉、於菟、杏奴、類、それぞれの主張から汲む事が出来る。
「私が、僕が、パッパに一番愛されていた」
と。
 
 その中でも取り分け文才と記憶力に恵まれた子が、茉莉であった。
鷗外は、茉莉が何をしようと膝の上にその小さな体を乗せ、「おまりは上等、おまりは上等」と囁き続けた。(他の子らにもしていたであろうが)
「おまりは上等、おまりは上等」。
果物なら熟れ過ぎ、腐敗する寸前と言える甘ったるい愛情とその呪文は、パッパの膝の上で揺さぶられる時間以上の甘美な味わいを、茉莉の生涯を通して覚えさせなかった。
 
 他者に対する興味の薄かった茉莉は、父・鷗外と、生き別れながら五十代も半ばに差し掛かった頃に再会した長男・真章(マクス)へのみ、親愛の情を注いでいる。
只それは娘が父に抱く憧れや母性と一線を画し、現に彼等それぞれと築いた関係を「恋愛」と読んで憚らない。
しかし、家族間の愛情を「恋愛」と表されると、私の様な凡人はちょっとぎょっとしてしまう。
邪だろうか。
 
 確かに、多くの女性は父が初恋の相手である。
私もそんな時期があり、父の枕を自身の布団へ引き込んでは「パパ以外は寝ないで!」と書いた紙を貼って、お風呂上りに清潔な香りを漂わせる父の登場をドキドキと待った。
私の父は大抵長風呂だったので待っている内に眠ってしまう事もしばしばであったが、あれは未来の恋愛に向けた実地研修の様なものだったと思う。
好きな人を想う気持ちはこんなに目に映るもの全てを煌めかせて、
好きな人を待つ時間はこんなに甘美で、
好きな人が居ると言う奇跡は世界中へ発表したくなる事だけれども、時に周囲を鼻白ませてしまう(この場合は母と姉が末娘の我儘にうんざりしていた筈である)よ、
と言った諸々を、私は本当の初恋から教わった。
 
 多くの女性はこうして「父の」娘(この頃の自分は「母の」娘も兼任している事に気付いていない。何と愚かな。)から妻、そして母になる。
現代はゼクシィが言う所の「結婚しなくても幸せになれるこの時代」であるが、茉莉の生きた時代は更に娘→妻→母のコースをひた走る事が良しとされていただろう。
そう、もうお分かりであろうが、茉莉は違う。
そんな風潮の中で、茉莉はまず妻になどならなかった。
いわんや世間が認める母になどをや。
鷗外の唱えた呪文は数年間を共にした夫のキスや、絶対的な威力を持つ時間の経過も、立ち向かう事が出来なかったのである。
 
 茉莉はその生き難さと引き換えに、鷗外から絶対的な文才を受け継いだ。
嗚呼!それが無ければ、茉莉は鷗外作品の著作権が消滅したと同時に野垂れ死んでいたに違いない。
それは、鷗外が遺したものの中で作品の次に偉大なギフトとなった。
 
 さて、『貧乏サヴァラン』は、そんな茉莉独自の視点で描かれた純度の高いエッセイ集である。
茉莉の無遠慮な愛情は、食に対してどの様に注がれたのだろうか。
読み進めていこう。
 
 まず、森茉莉作品を未読の読者は、冒頭からエンジン全開の問わず語りに面食らう事だろう。
みっちりと詰まった字は、茉莉のキャラクターを理解せんとする読者を混乱させる。
相槌を打つ間も無い。
しかし、ここで本を置く事無かれ。
老女が堂々と一人称に据える「マリア」の三字は確かにおどろおどろしく、一方で「婆さん」を自称する割に自身をこの世の可愛い生き物代表・ミルクを舐める猫に例える図々しさは鼻につく…否、震えがくるが、ページを捲る原動力は、いつの間にか好奇心から親愛の情に取って代わる筈だ。
彼女は貧乏な生活の中でかつて味わった巴里の食生活を再現し、
茶の淹れ方一つ、珈琲の色一つに執着を見せ、
義父の妾と大勢の女中達に西洋風料理を披露し、愚妻の名を挽回する思い出に遊ぶ。
独特の漢字遣いは彼女が読者に読み方を指し示し(例:揶揄ひ=からかい、柔しくて=やさしくて 等)、三島由紀夫をして「貴女は文学の楽園に住んでおられます。」と言わしめた。
ほんの一部のみ取り上げても、物凄~く濃い女性である。
 
 茉莉の身辺が豊かだった時期は人生の半分に満たなかったが、彼女の心は気高く保たれ、貧乏に迎合しなかった。
ぼろを着ていても心は錦、お姫様。
サヴァランは言わずもがな美食の代名詞ブリア・サヴァランから来ているが、「貧乏」と「サヴァラン」の奇妙な対比以上に茉莉を言い表す言葉が他にあるだろうか。
 
 憎まれっ子云々、と言う故事がある。
この憎まれっ子は、世にはばかる事になど価値や興味を見出さない。
茉莉も大勢の批判や固定観念に晒され続けてきたであろう事は想像に容易いが、無論、本人はどこ吹く風…である。
だから面白いのだ。
巧みな随筆に仕立て上げようとせぬ問わず語りが。
だから目を離せないのだ。
茉莉のイノセントを守り通した影の立役者は、他でもない彼女の才能を知る周囲の人々と読者であった事、そして彼女自身の生き難さに気付いていない人が唯一、本人のみであるから。
 距離を置いて愛したい、近くに居られると厄介だろうけれど、でもたまに一緒にお茶を飲む相手くらいにならなっても良いかな、否、お茶飲み友達すら上手く続けられるかどうか…。
それが、多くの読者が茉莉に対し抱える愉快なジレンマである。
 
 茉莉は晩年、貧しい生活の中で赤の付く貧乏を経験し、狭く、ガラクタに溢れたアパートの一室でその生涯を終える。
二日後に発見されたその死に方は孤独死と呼ぶものであろうが、死の瞬間に茉莉が孤独であったとはどうも思えない私が居る。
だって、鷗外が、おまりの事を放っておく筈が無いのだ。
女童(めのわらわ)を連想させる八十五歳の茉莉が小首を傾げてパッパの迎えを待つ姿は、容易に想像が出来る。
悪戯をしたって上手に世間に馴染む事が出来なくたって、鷗外はあの甘美な呪文を唱え続けた。
何につけても上等なものを好んだ鷗外が、こんなに褒め称えたものも他に無いだろう。
「おまりは上等、おまりは上等」。
そして鷗外は茉莉の手を引き、八十五年間揺ぎ無く貫き通したイノセントに対し、「上等」以上の言葉を与えるのだ。
 
 私達は、世の荒波の中で余計なものを獲得し過ぎた。
もう元の、無垢な娘や息子に戻る事は出来ない。
しかし今でも、「百円のイングランド製のチョコレートを一日一個買いに行くのを日課」とした、茉莉の晩年に想いを馳せる事は出来る。
茉莉よ、今日も私の垢を洗い流しておくれよ。
 
 
 
文学コンシェルジュ・大江
 

 

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『貧乏サヴァラン』
 

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VOL.1 愛の殉教者 
江國香織 『ウエハースの椅子』『とるにたらないものもの』
 

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