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【コラム】読書飛行/VOL.4 アートを愛する者達の底力
原田マハ『デトロイト美術館の奇跡』


「貴方にとって、文学とは何ですか。」
私はずっと、その答えを探し続けているのかも知れません。
 
文学に触れている間、心はとても自由に羽ばたきます。
だから、とても履き心地の良い靴?何かの乗り物?
—考え続けて、未だ答えは出ていません。
 
だけど文学は今日も、靴を履いて踏み入れない場所や、飛行機で上陸出来ない場所へ私を連れ去るのです。
こちらは、皆様と本の素敵な出逢いをお手伝い出来ます様、文学コンシェルジュが徒然なるままに綴るコラムです。

 

VOL.4 アートを愛する者達の底力
原田マハ『デトロイト美術館の奇跡』

 
  
 「アートの底力」とは、それのみで一つの単語と認められて良い程の常套句である。
アートは時に人を、社会を動かす力を持つ。
 昨年の春先より毎日の様に耳にした「不要不急」の概念によって、私達はアートから引き離されてしまった。アートを芸術と広義に捉えると、美術館や博物館は一時閉館を余儀なくされ、映画は自宅で楽しむものとなった。コンサートや演劇の舞台は延期や中止こそ勇断の風潮となり、再開へ踏み切ってもまた足踏みを余儀なくされる事も多かった。しかし芸術家達はいち早くオンラインへ発表の場を移し、切磋琢磨、新たな興行の形を提示する。結果、あらゆる娯楽は日本全国から鑑賞が出来る様になり、当店のイベントもオフライン(店内会場でご観覧)とオンラインのハイブリッドな形式を構築する為に試行錯誤をした。
 不要不急の象徴と言える芸術全般を取り上げられた私達は、改めて思い知らされた。芸術が無い生活の、何と無味な事か。必ずしも要で非ず急を要さない芸術に、触れられぬ状況で募る渇望。それこそが、筆を持つ芸術家達のもう一方の手にマウスを持たせ、お客を前に舞っていた役者達にはカメラを睨ませた。形(かた)に拘束される事無く、形を作ってしまう。
 これこそがアートの、否、アートを愛する者達の底力である。
 
 それを鮮やかに示してくれる小説に出逢った。美術史小説の名手、否アート小説と言えばこのお方、このお方と言えばアート小説…原田マハ氏著『デトロイト美術館の奇跡』である。文庫判で総ページ数百三十三ページと言う極めて短い物語ながら、劇的にドラマティックな展開を魅せる。これは是非、読書が苦手な、読書が習慣付かない方々にもお薦めしたい。(薄いし面白いよ!と)読者は原田氏の力量に又、嘆息する事だろう。
 
 時は二〇一三年―
市の財政破綻によって存続の危機に陥ったデトロイト美術館(通称:DIA)が舞台となる。開館からおよそ百三十年を経たDIAはその財源確保の為、珠玉のコレクションが売却と言う淵に立たされていた。DIAは、ゴッホ、モネ、ルノワール…名だたる画家達による夢の様な作品を六万五千点以上も収蔵する世界屈指の美術館である。
 その内の多数は、地元の名士と呼ばれる家系に生まれたロバート・タナヒルの遺贈品だった。華麗な出自を持つタナヒルは生涯独身を貫き、アート作品の蒐集以外は質素な生活を好んだ。そんな彼をデトロイトの社交界は異端として認識していたが、アート界は違った。彼は生涯を通して、DIAへ多大なる支援を寄せる。彼が寄贈した作品は五百五十点以上。且つ巨額の寄付金は現在も役立てられていると言うから驚く他無い。
 グレーともブルーとも付かぬ色合いのワンピースに身を包んだ女性が憂いの目をこちらへ向け、じっと耐える様に座っている絵は、本作の表紙に採用されている。ポール・セザンヌの作品『マダム・セザンヌ(画家の夫人)』である。この作品はタナヒル邸のリビングに恭しく飾られていたと言う。独り身の彼が、日常生活の中で最も多く顔を合わせた女性だろう。
 
 そして、この作品を軸に、時代を超えて生きる人々が交叉する。
 
 美術館から程近い場所に細やかな暮らしを構えていた黒人男性、フレッド・ウィル。無趣味だった彼にDIAへ足を運ばせた人物は、他でもない彼の愛する妻であった。アート作品の数々を「友人」と呼び、密かに友人達と持つ会合の時間を楽しんでいた妻。そんな彼女がフレッドをDIAへ誘う。彼のリタイアから、間も無い頃の事であった。
 妻は先立ってしまったが、フレッドは孤独ではなかった。妻が遺した、多くの友人達が彼を見守っていたからだ。
 
 そして、主な登場人物がもう一人。DIAのチーフ・キュレーター、ジェフリー・マクノイドである。
 DIAが存続の危機に曝されている事を知らされた彼は、双方の意見に苛まれる事となる。DIAはデトロイター達の誇りである。所蔵作品が世界中に散逸する事を危惧する彼等。そして一方で、こんな声も挙がっていた。
「―市は売却できるものは即刻売却して一ドルでも多く換金し、自分たちへの返済に充てるべきだ。だからDIAのコレクションを売却するのは当然の成り行きだ。」
前述した様に、芸術全般は不要不急の象徴である。こう言った不満が噴出する事も、確かに当然と言える。何しろ、市民には今後の生活に対する不安が重く圧し掛かっているのだから。
 
 しかしご周知の通り、DIAはどのコレクションも売却する事無く生き延びた。その顛末を、是非見届けて頂きたい。
 
 アートを、文化を取り上げられた私達の生活は、一気に色彩を失う。それはモノクロ以下の味気無さである。陰影や立体感、奥行きも同時に奪われる様な有様だ。本作でデトロイト市民は、明日の食費も顧みず「市民達の」アートを守った。小さな奇跡が重なって大きな波動となり、デトロイト美術館は今後も歴史を刻んでいく。
 
 ニュースのトピックになり得る大きな出来事の裏側は、無数の小さなドラマに溢れているのだ。改めて、そう気付かされる作品に出逢えた事を寿(ことほ)ぎたい。私達の想像力は常に欠如しているし、物事の表層を見て全てを知った気になる。想像力を逞しくする努力など、大抵は考えても見ない。しかし日々世界中で誰にも知られぬドラマは生まれていて、時に小説家達はそれ等を掬い上げる使命をつかまつる。例えば浮かばれぬ魂達も、知られ、読まれる事で歴史に爪痕を残す。且つ読者は、物語の力強さに心を動かされる。
 
 こうして私達は日々、小説に救われるのだ。

 
 
文学コンシェルジュ・大江
 

 

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『デトロイト美術館の奇跡』
 

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