【コンシェルジュのコラム】マイスターシュテュック146|文具コンシェルジュ 岩浅
あれはどこに向かっていたのだったか、家族でローカル線に乗っていたときのことです。
母が急に落ち着かない様子で振り返り、「お父さん!今の!シーナさんよね!」と、近くに座っていた父に話しかけました。聞こえないはずはないのですが、父は無言のままです。
「シーナさんだったよね!サイン、もらわなくていいんですか!?」
「…お、おお。…」 父は座席の手すりを握りしめ、微動だにしません。
今しがた通路を通った男性のことだと思いますが、いったい何者なのか、小学生だった私にはわかりません。 ただ、この父の硬直ぶりはどうしたことでしょうか。
父は小さな運送会社をやっており、PTAや地域の行事にもよく登場しました。 話し好きで、家族のことも思いきり脚色してネタにするので、うんざりすることもしばしば。 お調子者とも言えるような普段の様子から、今の姿は想像できません。
父をカチンコチンに固めてしまった「シーナさん」とは、どれほど恐ろしい人なのか。 気になりましたが、聞かない方がいいような気もして。 あのとき椎名誠さんに声をかけられなかったのは、著書を全部持っているほど好きだったから、というのは、後になって母から教えてもらったのでした。
次は、高校生になってすぐの頃です。 私は写真部に入ったのですが、カメラや写真についての知識は一切ありませんでした。 暇はあるけれどお金はない、写真の学び方もよくわからない。 情報源は自然、図書館か、父の本棚になり、椎名さんのフォトエッセイにもそこで出会いました。
写真の多くは旅先でのポートレートですが、被写体へのリスペクトを感じられるのが好きです。 パタゴニアのガウチョにも、モンゴルの子どもにも、犬などの動物にも。 出会ってすぐのはずなのに、ひとりひとりに物語があることを主張しているような写真です。
それは文章も同じで、時に鋭く批判したり、面白おかしく茶化したりしても、根っこのところに相手やその文化に対する尊敬を感じます。 もちろんフォトエッセイだけでなく、小説も、日常系の脱力エッセイもそれぞれに素晴らしく、ちょっとこわい「シーナさん」は私の中で急激に、かっこいい「椎名さん」へと変わっていきました。
時は過ぎ。
高級筆記具の教科書ともいえる、『趣味の文具箱』という季刊誌があります。 当店に展示されているバックナンバーをめくっていた私は、そこに椎名さんを見つけました。 趣味の文具箱vol.13のインタビュー記事によると、椎名さん愛用の万年筆は、ペリカンM800、M600、そしてモンブラン マイスターシュテュック146とのこと。

モンブランの万年筆というと、149を思い浮かべる人が多いでしょう。 確かに、149はモンブランを代表する1本で、愛用する作家や著名人もたくさんいます。 ケネディ大統領がとある署名式で、ペンを忘れた西ドイツ アデナウアー首相に"Please, take mine"と149を差し出したエピソードは、あまりにも有名です。
軸が太くて曲線が目立ち、いかにも貫禄がある149に比べ、146はもう少し細めで実用的なサイズ。
とはいえそのたたずまいは悠然として、威張らないカッコよさを感じます。 有名作家である一方、なんだかいつまでも親しみのある椎名さんに、似たものを感じるのは私だけでしょうか。
その雑誌の発行からは既に10年が経っていて、今はもう使っておられないかもしれませんが、私にとって146というと、今も「椎名さんの万年筆」。 人が好きで、本が好きで、偉そうぶったりしないけれど重みがある。 そんな方に使ってほしいな、と思いながら、ガラスケースを眺めています。
※万年筆は原則オンライン販売しておりません。ご希望の方は直接店舗へご連絡ください。