【Artist column】杉山幸一郎による、ピーター・ズントーの「家具」と「書籍」にまつわるエッセイ。7月30日~8月26日まで同時開催の「Peter Zumthor Collection展」と「ピーター・ズントー・ブックフェア」に寄せて
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«机をデザインすることは建築を設計することと似ている»
ミーティングでそんなニュアンスのことをピーターが話していたのを、とてもよく覚えている。それまでは僕にとって、家具といえば “建築の空間の中に置かれている特定の機能を持ったモノ” というくらいにしか考えていなかったし、家具をデザインすることが建築のそれと似ているなんて思ってもみなかった。家具は出来合いのシンプルでクセのないものを選んでおけばいい。建築空間を静かに引き立てて、かつ利用者にとって使いやすいものであってくれればそれでいい。と考えていた。
そんな思考を一新するような出来事だった。
ピーターズントーが設計する建築空間にはいつも、彼自身が設計した (ここではあえて家具デザインではなく、家具設計という言葉を使いたい) 家具が置かれている。“ズントーは建築の他にもいろんな家具をデザインしている” のではなく、ある特定のプロジェクトのために、その空間に置かれることを前提とした上で家具を設計している。そんな意図を持って設計された家具の多くは、オーストリアのブレゲンツァーヴァルト (Bregenzerwald) にいる何年も付き合いのある家具職人や、布張り職人たちによって作られていた。その職人たちはズントーの考えをよく理解していたから、図面に仕様を事細かに記述して伝えなくても、いわば阿吽の呼吸で製作してくれていた。
そんな由来を持つズントー設計の家具たちを日本のインテリアブランドであるタイムアンドスタイル (Time & Style) が、ピーターズントーの家具コレクションとして刷新する。それには一体どんな意味があるのだろうか?
僕は後から知ったのだけれど、ピーターはそれぞれのプロジェクトに関係して製作されてきた、点のように散らばった家具たち - それまでは誰かが欲しいと言えばその都度、職人に頼んで制作してきたものたち - を体系的につなげて、1つのラインを作ることができる人を探していた。そんな時期と並行して、タイムアンドスタイルのアムステルダム店からズントー事務所へ電話があった。僕は初め、家具の売り込みかと思った。自社で作っている家具をプロジェクトでぜひ使って欲しい。そういう話は時々あるからだ。
そんな思いとは裏腹に、電話口ではタイムアンドスタイルがどういう考えを持って家具を作っているのか、ということを淡々と話してくれた。それは熱弁とは言えないトーンでありながらも、大きな熱量を帯びたものだった。そして、カタログを送るので見てほしいという話で終わった。後日送られてきたカタログを見て所内で検討され、話はジャンプするように進んでいった。
創業者の吉田さんとアムステルダム店の佐竹さんが事務所にやってきて初めてのミーティングをした後、一緒に夕飯を取りに行った。料理を注文して目の前に出来立ての料理が来ても、誰も手を付けずに、そのままずっと話した。誰もが食べることで話の腰を折りたくなかったのだと思う。ナイフとフォークを手にして料理を食べ始めた頃には、もうすっかり冷めていた。
Steilneset Memorial
今度はその3人でノルウェーにあるZinc Mine Museum、Steilneset Memorialを、3日間で周った。
この二つの建築はとりわけ辺境に建っていて、一つ目はフェリーに長く揺られて、二つ目は最寄りの空港から車を5時間走らせなければいけなかった。
目的地に直行すると、その場でできる限り時間をかけて何度も建築空間を愉しんだ。思えばこのノルウェー旅行は二つのズントー建築のみに捧げられた旅だった。建築空間はどちらも静かで、不思議と目の前の空間や物たちに集中して客観的に見ることができた。そのくせ急に胸を掴まれるように感情を揺さぶってきた。
目的地に直行すると、その場でできる限り時間をかけて何度も建築空間を愉しんだ。思えばこのノルウェー旅行は二つのズントー建築のみに捧げられた旅だった。建築空間はどちらも静かで、不思議と目の前の空間や物たちに集中して客観的に見ることができた。そのくせ急に胸を掴まれるように感情を揺さぶってきた。
この二つの建築を取り巻く環境に日本人が3人、各々自由に周っていた。時々ボソボソと話し合った。あの時に僕は初めて、家具を作っている人たちがどういう風に建築を見ているのかを知った。というかタイムアンドスタイルの人たちはズントーと同じように物事を捉えているんだなと、その不思議な、いや多分、必然な合致に驚いた。そして同じ方向を向いている人たちに出会えたことを幸運だと思った。僕の中では、もうその時点でプロジェクト成功の兆しを感じていた。
Zinc Mine Museum
そんな風にして始まった家具コレクション。ズントー事務所のオリジナル図面から、タイムアンドスタイルが日本の素材で、日本の職人とともに新たな視点で作ることで、散らばった点同士を緩やかに繋げていった。細部を考え抜いて、職人と打ち合わせを重ね、できてきたものを試す。「職人がどういう工具や機械を持って、どういう風に作っているか」を知り、「それならばこういう作り方ができる」という工夫があって、それが家具設計に生かされる。そんなプロセスをきちんと踏んでできた家具コレクションは、ズントー事務所側から参加していた僕にとっても、自信を持って紹介したいシリーズになった。
その家具コレクションを今年6月上旬、タイムアンドスタイルのミラノ店で見た時に、ズントーの家具というのは建築空間に添えられるものでは決してなく、家具自体が建築空間を作る重要なものの一つになりうるという事実を初めて知った。そこに散らばっていた家具たちは、特定のプロジェクトという縛りから解放されて、それ自体が新しい建築空間を作る担い手になっていたように感じた。
それは翻って«机をデザインすることは建築を設計することと似ている»という言葉を体現しているように思えた。
『Dear to Me』(Scheidegger Und Spiess)
«建築を美しいと言っても良いのか?»
東京で学び働いていた時に、「空間に質がある」とか、「空間が美しい」とかいった言葉で建築空間やモノを形容していると、先輩の建築家に、そんな言い方は信用できないと言われたり、そんな真面目な感じで?と言わんばかりにクスッと笑われたりしたことが何度かあった。その真意はきっと、論理的な言葉で語らないと他の人たちと共有できない。建築家として説明責任を全うしていない。個人的な感想にすぎない。といった理由だったと思う。
確かにそれもそうだと思った。建築は多くの人を巻き込んで作り、使うものだから、建築家はあまりにも個人的な言葉で語るべきではない。だから感情的な解釈を含む言葉遣いを避けるようにしていた。
ピーターズントーという建築家は、至極個人的かつ簡単な言葉で建築を語る。
ピーターは「この空間は美しい」と恥ずかしげもなく言う。慣れるまで聞いていてこちらが恥ずかしいと思うくらいだった。そして、設計ではものすごく論理的なプロセスで進めていくのに、最後はあっさりと個人的な感想のようにして設計デザインを決定する。
時折スタッフを集めて、彼が考えてきたいくつかのアイデアを説明して意見を聞くことがあった。そんな時には決まって、理由を述べる、つまり根拠づけることは求められていない。
出来上がったもの、描かれた線、作られた模型、用意された素材を見て判断する。それ以上のことも、それ以下のことも判断の対象にはならない。言葉で物を補完することは許されなかったと言ってもいい。
出来上がったもの、描かれた線、作られた模型、用意された素材を見て判断する。それ以上のことも、それ以下のことも判断の対象にはならない。言葉で物を補完することは許されなかったと言ってもいい。
これは良いのか、良くないのか。もちろん、良い悪いと判断するには根拠が必要だ。それでも直感的に物事を判断する時、つまり誰かに理由を述べて「これこれこうだから」と論破する必要がない時には、空っぽにした頭の中から、お腹の底から言葉が出てくる。
その直後、自分が今言ったことに自身で驚いて、なぜなら。。。と頭を働かせると途端に、決定を理由づけによって正当化しようとしてしまう。
その直後、自分が今言ったことに自身で驚いて、なぜなら。。。と頭を働かせると途端に、決定を理由づけによって正当化しようとしてしまう。
『空気感(アトモスフェア)』(みすず書房)
「感覚的に良いと思っても、論理的な根拠がないと共有されない」なんて話は出てこない。自分が良いと思うものならば、他の誰かも良いと思う人がいるに違いないと考える方が、ここでは真っ当なことのように思えてくる。
それは、多数決で良い案を選ぶというプロセスでは決してない。ピーターはスタッフの皆がどんな反応をするのかが気になっているんだと思う。それは、彼の信頼するスタッフの直感の総体みたいなものを、一つの考え方として受け入れたいのだと思う。
もちろん、ピーターズントーが僕の師匠だからといって、いわゆる偉大な建築家だからと言って、その人の言動全てを神がかりのように、絶対的基準にしてしまうべきではない。しかし彼の振る舞いは明らかに、僕が拠り所としようとしていた何かを、拍子抜けするほどにさっと取り去って「もっと普通に立っていればいいんだよ」と教えてくれた。僕はそのことにとても感謝している。
ピーターが話すこと、綴ること、描くこと、設計すること、作ることの全ては、彼の生活に直結しているし、個人的な経験に基づいている。ピーターズントーの建築を論理的に理解して、そのような建築を設計することは絶対にできないし、意味を持たない。そこには、個人的な経験からくる決定が欠如しているし、それこそがズントー建築をズントー建築たらしめているから。
だからといって彼の言動や、彼の設計した建築から学ぶことを放棄する必要はない。ピーターから学んだこと、これから学ぶことはまだ計り知れない。今日も彼の著作を手に取って、彼の真意を読み取ろうとしている。「これはどうして美しいんだろう」と。。
杉山幸一郎(すぎやま こういちろう)
建築家
2007年 日本大学理工学部卒業
2012年 東京藝術大学大学院修了
2014–21年 アトリエ ピーター ズントー
2021年– atelier tsu 共同設立
2022年 ときの忘れものにて 初個展
建築家
2007年 日本大学理工学部卒業
2012年 東京藝術大学大学院修了
2014–21年 アトリエ ピーター ズントー
2021年– atelier tsu 共同設立
2022年 ときの忘れものにて 初個展
[開催フェアについて]
「ピーター・ズントー・ブックフェア」
期間|2022年7月30日(土)~8月26日(金)
<販売について>
銀座 蔦屋書店店頭・オンラインストアにて7月30日(土)10時半より販売開始
※オンラインストアでは一部の洋書を販売いたします。
銀座 蔦屋書店店頭・オンラインストアにて7月30日(土)10時半より販売開始
※オンラインストアでは一部の洋書を販売いたします。
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