【第46回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『珈琲と煙草』フェルディナント・フォン・シーラッハ/東京創元社

梅田 蔦屋書店の文学コンシェルジュ河出がお送りする世界文学の書評シリーズです。
 

書かない作家 『珈琲と煙草』

 

 シーラッハは、書かない作家だ。

 たとえば、本書には、シーラッハ本人と思しき語り手が昔の知り合いの女性と偶然再会する話が収められている。彼女はかつて政治の世界に身を置いていたが、議会での発言が激しく非難され、精神的にまいってしまって政治の世界からは身を引いた。一体何を言ったのかと訊ねる語り手に、運命を変えてしまったその一言を、彼女は口にする。

 他の書き手ならば、恐らくは語り手がその言葉を聞いて何を思ったかを書くのではないだろうか。しかし、シーラッハはそれをしない。かわりにシーラッハはどうするか。実際にあったおぞましい殺人事件の話を、彼は挿入する。彼はエメット・ティルの話をするのだ。五十年代、白人女性と言葉を交わしたがために惨殺された十四歳の黒人少年の話だ。犯人たちは無罪になった。

 問題は、女性の口にしたその一言と、この恐ろしい犯罪の話がいかに関わるのかを、シーラッハが一切書かないことだ。書いていないのに、シーラッハが語っていることを、読者は読むことができる。読者がそれを読めることを、シーラッハは信じているのではないかと思う。だから、私たち読者は、信頼にこたえるとしよう。白紙に細い字で書かれたような無駄のない文章で語られるその物語の数々は、人間というものの形をあまりにも正確にとらえていて、書かれていないものを読もうと目を凝らす価値が、確かにある。

 

今回ご紹介した書籍

 
『珈琲と煙草』
フェルディナント・フォン・シーラッハ・著
酒寄進一・訳
 東京創元社
 
 

PROFILE  文学コンシェルジュ河出
 
東北でのんびりと育ち大阪に移住。けっこう長く住んでいるのですが関西弁は基本的にはしゃべれません。子どものころから海外文学が好きです。日本語、英語、スペイン語、フランス語の順に得意ですが、どの言語でもしゃべるのは苦手です。本の他に好きなものは映画で、これまでも映画原作本の梅田 蔦屋書店オリジナルカバーを作ったり、「パラサイト」のパネル展を行い韓国文学を売ったりしています。これからもこれはという映画があったらぜひコラボしていきたいです。「三つ編み」「中央駅」「外は夏」「ベル・カント」「隠された悲鳴」…これまで素敵な本の数々に書評を書かせていただきました。これからも厚かましく「書かせていただけませんか?」とお願いしていこうと思います。今興味があるのは絶版本の復刊です。「リービング・ラスベガス」「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」などなど、復活してほしい本がありすぎる。ミステリーも大好きです。
 
コンシェルジュをもっと知りたい方はこちら:梅田 蔦屋書店のコンシェルジュたち
 
ご感想はこちらまで:umeda_event@ccc.co.jp

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