【第90回】間室道子の本棚 『セヘルが見なかった夜明け』 セラハッティン・デミルタシュ/早川書房

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『セヘルが見なかった夜明け』
セラハッティン・デミルタシュ/早川書房
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うおっと声をあげそうになる本に出くわすことがある。内容が面白いとか文章がすばらしいとかの前に、とにかくすごいとしかいいようのないもの。存在そのもので人を圧倒してしまう出来ばえ。「筋を思いついたから小説でも書こうと思うの」じゃない!物語を書くことはその人にとって自由な選択であると同時に宿命。それを背負って前を向ける人が握ったペンからほとばしる力。

著者のセラハッティン・デミルタシュは47歳。トルコのクルド系の作家、政治家、フリーの法律家、人権協会のメンバーであり、14年には大統領選に出馬し、落選したけど知名度と人気が高まった。で、16年に拘束され、現在刑務所にいる。容疑はテロの教唆と支援。なんかもう、キ―――ッとなる、絵に描いたような迫害されっぷり。しかし18年にはなんと勾留中の身でふたたび大統領に立候補。またも当選はかなわなかったが、某調査会社の2019年11月の「トルコの政治家好感度調査」によると、第一位は現政権のエルドアン大統領だがデルミタシュは三位だったそうだ。トルコ国民は、ちゃんと見ているのだ!

そんな獄中作家の短編集はさぞや私の無念さとか、俺の皮肉っぽい暗喩とか、わが不屈の魂の叫びとかに満ちているかと思いきや、そうではなく、この本には、トルコのごくふつうの人々の、無念さや皮肉っぽいまなざし、不屈の心が書かれている。

「何か異状ありか?そうは思わない。平常通りの中東情勢である。どこかで爆発する人間爆弾、無人爆弾、惨劇後に残される、断片化した何十もの死体、無茶苦茶にされた粗末な市場」という文章や、「そもそも子供であることは辛い。モグリで働く子供であることはもっと辛かった」という心情表現、「死ってやつには、死ぬということには、色々と種類があるんだ。焼死、墜落死、溺死、悶絶死、それから英雄的死、犬死に。同時にこれらは全て生きることの種類でもある。おかしいと思わないか?」というまなざしも出て来る。こんなテロや児童就労をはじめ、いたましい話もあるけれど、告発モードをふりかざすことなく、たんたんとしている。

怒りを押さえて書いているのでもなくて、なんというか、ご近所のながめというかんじ。それだけ、楽ではない生活、死と隣り合わせの日常は、トルコの人々にとってすぐそこにあることなんだ、と伝わってきた。

私がいちばん感動したのは「掃除婦ナっち」で、主人公は自動車が大好きな少女掃除婦さん。中東の女性たちは本書のタイトルに出て来るセヘルや「にんぎょひめ」に出て来るシリア難民の女の子のように、被害者がさらにひどい被害者になる風習(「名誉殺人」で検索してみてください)や紛争の爪あとに苦しんでいる。そんな中、この短編では、ナっちが被害者なのに加害者扱いされてしまう事態をコミカルさをまじえて描いている。歌われてるのは悲惨な内容なのに刻まれてるリズムは陽気、といった読み味に感心し、「決然と、勇敢に歩けば、人間の足は時に車より早く進める」というラストの希望に思わず涙。

この”ナッち”のように、日本人読者が「これって私たちと同じ感覚!」とフレッシュな気分になる言葉や言い方があちこちにちりばめられていて「トルコ文学?なじみがないな、わかるかしら」という心配はご無用!鈴木麻矢さんの訳に大拍手。


 
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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