【第114回】間室道子の本棚 『fishy』金原ひとみ/朝日新聞出版
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『fishy』
金原ひとみ/朝日新聞出版
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登場するのは三人の女たちで、語り手を変えながら物語は進行する。腹の中で互いを「嫌いだ」「やっぱり苦手」と思いつつ、彼女たちは定期的に飲み会を開き、それぞれのとんでもない状況を報告し合う。
作家志望で現在ライター・をしている美玖は二十八歳。気持ちを打ち明けるタイミングを逃しているうちに想い人だった商社マンが結婚し、シンガポールに行ってしまうことに傷心していたが、渡航直前に一度だけ関係を持った。そこから不倫が始まってしまう。
三十七歳の弓子は二人の男の子を持つ女性編集者。恋愛体質の抜けない夫は若い女と浮気中で、その後セックスレスを理由に離婚を切り出されたうえ、新恋人を連れて別れ話の席に来た夫に「俺はずっと弓子といるのが苦痛だった」とバカ正直に告げられ、ブチ切れる。
いつも二人を睥睨するように「ザ・正しい分析」を言うのがインテリアデザイナーのユリ。三十二歳だ。自分の娘について「この間生理が来た」。不倫されている弓子に「じゃあ男紹介しようか」。こんなふうに彼女は全部がだだ漏れである。だがこのオープンさは攻めではなく防御ではないかという思いが、読んでいて湧く。自分でドアをどんどん開け続けていれば、触れてほしくないところに相手が手を伸ばす隙を与えずに済むのだ。彼女が何度かする「冷凍庫の話」は不気味だ。
美玖と弓子とユリはなんて違うんだろうと思いながら、三人が読者の中で融解していくのが読みどころ。「この人ならではの行動だな」とか「いかにも彼女らしいせりふ」がなくなり、フラットになっていくのだ。
弓子がユリについて「彼女はこんなことを言う人だっただろうか」と思うシーンが印象的だ。長いつきあいの人がとつぜん別の顔を見せたら、ふつうは「意外すぎ」とか「なんだかだまされてた気分」「がっかりした」となるだろう。でも「いや、これは彼女の一面に過ぎない。何かのきっかけで裂け目ができて、その中が覗いている瞬間に違いない」と弓子は反射的に思う。「いつもは見えないところが、見えているだけなのだ」と。
自分が理解できない面を闇扱いで片づけず、相手に目を開け続ける。三人だとできるこれが「対・オトコ」だと盲目、逆上、無頓着となってしまうのが、彼女たちの悩ましいところ。
「ナンパされて寝た男にスマホで写真を撮られてTwitterにあげられた」「ダーマローラーとかプラセンタ点滴とかやって、サプリ飲んで、エステ受けて、クリーム、美容液。もう何が効いてるんだか。でもこの気休めに命かけてる」「ガールズバーの客には異様にナショナリストと差別主義者が多い」「日本とフランスの加害者、被害者報道の違い」「ワンオペの末の育児ノイローゼ」「家庭から排除された母親」etc、物語が進むにつれ、誰かひとりの体験や想像で話していることのレベルを超えた事件やできごとが、噴出していく。
事態の共有はするが共感は求めない。(ユリはあとの二人について「友達」という名付けすら避けたがっている)。だけど誰かが欠けるという予感がすれば寂しいと思うし、ひとつの幸福を三人で笑い合える。その場にまたも漂いはじめた不穏な空気さえ、祝福してしまえる。この激しい小説は、まるで戦場報告のようだ。彼女たちは、日本の女の最前線にいる。
作家志望で現在ライター・をしている美玖は二十八歳。気持ちを打ち明けるタイミングを逃しているうちに想い人だった商社マンが結婚し、シンガポールに行ってしまうことに傷心していたが、渡航直前に一度だけ関係を持った。そこから不倫が始まってしまう。
三十七歳の弓子は二人の男の子を持つ女性編集者。恋愛体質の抜けない夫は若い女と浮気中で、その後セックスレスを理由に離婚を切り出されたうえ、新恋人を連れて別れ話の席に来た夫に「俺はずっと弓子といるのが苦痛だった」とバカ正直に告げられ、ブチ切れる。
いつも二人を睥睨するように「ザ・正しい分析」を言うのがインテリアデザイナーのユリ。三十二歳だ。自分の娘について「この間生理が来た」。不倫されている弓子に「じゃあ男紹介しようか」。こんなふうに彼女は全部がだだ漏れである。だがこのオープンさは攻めではなく防御ではないかという思いが、読んでいて湧く。自分でドアをどんどん開け続けていれば、触れてほしくないところに相手が手を伸ばす隙を与えずに済むのだ。彼女が何度かする「冷凍庫の話」は不気味だ。
美玖と弓子とユリはなんて違うんだろうと思いながら、三人が読者の中で融解していくのが読みどころ。「この人ならではの行動だな」とか「いかにも彼女らしいせりふ」がなくなり、フラットになっていくのだ。
弓子がユリについて「彼女はこんなことを言う人だっただろうか」と思うシーンが印象的だ。長いつきあいの人がとつぜん別の顔を見せたら、ふつうは「意外すぎ」とか「なんだかだまされてた気分」「がっかりした」となるだろう。でも「いや、これは彼女の一面に過ぎない。何かのきっかけで裂け目ができて、その中が覗いている瞬間に違いない」と弓子は反射的に思う。「いつもは見えないところが、見えているだけなのだ」と。
自分が理解できない面を闇扱いで片づけず、相手に目を開け続ける。三人だとできるこれが「対・オトコ」だと盲目、逆上、無頓着となってしまうのが、彼女たちの悩ましいところ。
「ナンパされて寝た男にスマホで写真を撮られてTwitterにあげられた」「ダーマローラーとかプラセンタ点滴とかやって、サプリ飲んで、エステ受けて、クリーム、美容液。もう何が効いてるんだか。でもこの気休めに命かけてる」「ガールズバーの客には異様にナショナリストと差別主義者が多い」「日本とフランスの加害者、被害者報道の違い」「ワンオペの末の育児ノイローゼ」「家庭から排除された母親」etc、物語が進むにつれ、誰かひとりの体験や想像で話していることのレベルを超えた事件やできごとが、噴出していく。
事態の共有はするが共感は求めない。(ユリはあとの二人について「友達」という名付けすら避けたがっている)。だけど誰かが欠けるという予感がすれば寂しいと思うし、ひとつの幸福を三人で笑い合える。その場にまたも漂いはじめた不穏な空気さえ、祝福してしまえる。この激しい小説は、まるで戦場報告のようだ。彼女たちは、日本の女の最前線にいる。