【第118回】間室道子の本棚 『死ぬまでに行きたい海』 岸本佐知子/スイッチ・パブリッシング
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『死ぬまでに行きたい海』
岸本佐知子/スイッチ・パブリッシング
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なんてさびしいんだろう、と最初驚いた。
岸本佐知子さんのエッセイといえば形容詞として”ユーモア”や”愉快な奇想”が思い浮かぶ。いままでの一連の『ねにもつタイプ』『気になる部分』『なんらかの事情』『ひみつのしつもん』はまさにそう。本書を読んだ人は「あんなに素っ頓狂な岸本さんにもさびしい面があるのねえ、うんうん。」と、裏側見ちゃったわ的に思うかもしれない。でも、ちょっと待って!
私は今テレビのバラエティで活躍しているフワちゃんとファーストサマーウイカさんが好きである。で、最初「ぶっちゃけ」「破天荒」と言われていた彼女たちが、自分の戦略を語ったりコメンテーターに起用され始めたりしたところ、「本当は真面目」と言われ出した。「実は頭がいい子なんだよな」「影で努力してんだよね」「ああ見えてきちんとしてる」に落とし込んで済ませちゃう人が続出。ちがうのー。
多くのYouTuberが一度は呼ばれるけど続かないのに対し、フワちゃんはなぜテレビにひっぱりだこなのか、その手掛かりとなる彼女の画面サイズ感。「私は自分を見せるより他人の引き出しを開けてあげるのが得意」と自己分析するウイカさんがとんでもないMCに育つかも、という予感。ファンはわくわくしてるのに、共演や制作側が「正体見たりの二面性」で一笑いとって満足してしまう限り、テレビの新しいふたは開かないと思う。
閑話休題、岸本佐知子さんの本書は初の「くくり」のあるエッセイ集で、テーマは「場所」。かつて足繁く通っていたところ、一度行ってみたかった駅や、幼少期の夏休恒例の土地に行く。過去の旅の地に思いを馳せていく。それで、うっすらネガティブ、楽しい場所、どちらを書いていてもさびしさが漂う。
さらに多摩川の川向こうのタワーマンション群を見て「なんだか死後の世界のようだ」と思う。廃墟感の増す横浜・鶴見線の浅野駅で「もう人類はとっくに滅びてしまったのだ」という気持ちになる。現代最高峰の新建築にもさびれた駅にも「終末」を感じているのである。こういう感性を「岸本さんにはさみしい面もあった」では片づけられないだろう。
ただそこに行くだけではなく、場所の深みのようなもの感じ取る。地上に楽園はないので、存続にしろ開発にしろ町の足元には人の気持ちをしんとさせるものが埋まっている。それに呼応しながら、過去の自分、今の自分をかたちどっていく。さびしい作業だ。でもこのさびしさは、とてもやすらかだ。
そんな読み味の22編。「裏側」じゃないよ。膨張し続ける、新しい、キシモト・ワールドの出現である。
岸本佐知子さんのエッセイといえば形容詞として”ユーモア”や”愉快な奇想”が思い浮かぶ。いままでの一連の『ねにもつタイプ』『気になる部分』『なんらかの事情』『ひみつのしつもん』はまさにそう。本書を読んだ人は「あんなに素っ頓狂な岸本さんにもさびしい面があるのねえ、うんうん。」と、裏側見ちゃったわ的に思うかもしれない。でも、ちょっと待って!
私は今テレビのバラエティで活躍しているフワちゃんとファーストサマーウイカさんが好きである。で、最初「ぶっちゃけ」「破天荒」と言われていた彼女たちが、自分の戦略を語ったりコメンテーターに起用され始めたりしたところ、「本当は真面目」と言われ出した。「実は頭がいい子なんだよな」「影で努力してんだよね」「ああ見えてきちんとしてる」に落とし込んで済ませちゃう人が続出。ちがうのー。
多くのYouTuberが一度は呼ばれるけど続かないのに対し、フワちゃんはなぜテレビにひっぱりだこなのか、その手掛かりとなる彼女の画面サイズ感。「私は自分を見せるより他人の引き出しを開けてあげるのが得意」と自己分析するウイカさんがとんでもないMCに育つかも、という予感。ファンはわくわくしてるのに、共演や制作側が「正体見たりの二面性」で一笑いとって満足してしまう限り、テレビの新しいふたは開かないと思う。
閑話休題、岸本佐知子さんの本書は初の「くくり」のあるエッセイ集で、テーマは「場所」。かつて足繁く通っていたところ、一度行ってみたかった駅や、幼少期の夏休恒例の土地に行く。過去の旅の地に思いを馳せていく。それで、うっすらネガティブ、楽しい場所、どちらを書いていてもさびしさが漂う。
さらに多摩川の川向こうのタワーマンション群を見て「なんだか死後の世界のようだ」と思う。廃墟感の増す横浜・鶴見線の浅野駅で「もう人類はとっくに滅びてしまったのだ」という気持ちになる。現代最高峰の新建築にもさびれた駅にも「終末」を感じているのである。こういう感性を「岸本さんにはさみしい面もあった」では片づけられないだろう。
ただそこに行くだけではなく、場所の深みのようなもの感じ取る。地上に楽園はないので、存続にしろ開発にしろ町の足元には人の気持ちをしんとさせるものが埋まっている。それに呼応しながら、過去の自分、今の自分をかたちどっていく。さびしい作業だ。でもこのさびしさは、とてもやすらかだ。
そんな読み味の22編。「裏側」じゃないよ。膨張し続ける、新しい、キシモト・ワールドの出現である。