【第123回】間室道子の本棚 『金曜日の本』吉田篤弘/中公文庫
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『金曜日の本』
吉田篤弘/中公文庫
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幼稚園の、たしか卒園式で、「シンデレラ」の劇をやることになった。役を決める日、ほかの女の子たちが「誰がシンデレラをやるのかな?」とどきどきしているふうな中、私は誰よりも先に手をあげて「魔法使いのおばあさんをやりたいです」と言った。このお話でいちばん重要なのは、きれいでまじめでかわいそうでそのあと幸せになった娘ではなく、この役だ、と思っていたからだ。
だって魔法使いのおばあさんは「不幸ながんばりやさんに同情したから」とか「まま母たちはひどいと義憤にかられて」ではなくとうとつに登場し、主人公に「舞踏会に行けるようにしてあげる」と言うのだ。すごいじゃありませんか。
名乗りをあげたのは私だけだったのですんなり決まり(女子たちの頭には「魔法」よりも「おばあさんの役なんて嫌」があったようだ)、シンデレラは、今思うと和のかわいさの紀子ちゃんが舞踏会のビフォー、洋のかわいさの典子ちゃんがアフターシンデレラ、というWキャストになった。(なぜか「ダブルのりこだった」ことを覚えているのだ)
発表会の当日、私が家から持ってきた風呂敷かなんかをかぶり、先生がこの日のために作ってくれたなにやらそれっぽいマントをまとって腰をかがめながらゆっくりゆっくり舞台に出ていくと、客席は笑いに包まれた。今考えるとあれは失笑だった。でも、ぜんぜん平気。だってこれから後のことを起こすのは私だもの。
先生から渡された杖(お身内の高齢者から借りてきたと思われる、?マークの「・」なしの形をした、やたらと重くて立派な木製だった)を、泣いてる演技中の和の紀子ちゃんに向けて大きくぐるぐる回すと、舞台が暗くなり、音楽がドロロロロロロ、というドラムロール的なものになって、客席からおお、という声が起きた。その隙におしゃがみで泣きまねの紀子ちゃんはひっこみ、舞台がパッと明るくなるとともに、舞踏会にいつでも行ける恰好をした洋の典子ちゃんが登場した。拍手喝采。
でも私には確信があった。この拍手は、ドレスを着たシンデレラじゃなくて、魔法を使った私のためのものだって。実際どのお父さんもお母さんも、おじぎをしてまたゆっくりゆっくり退場する私に向けて、笑顔でたくさん手を叩いてくれた。
こんなことを『金曜日の本』を読んでいて思い出した。なぜなら「魔法使いのおばあさんは金曜日だ!」と思ったからである!
本書は著者・吉田篤弘さんの少年時代が書かれたエッセイ集で、「金曜日的なもの」にあふれている。お母さんの実家である家具屋の、外光がさえぎられて昼でも薄暗くひんやりしたお店の、さらに机や椅子の下にもぐる。シングル・レコードのA面よりB面、ピッチャーより一塁手、「クラッカー・ジャック」のおまけ、本の背表紙、放課後、舞台袖。
土曜日・日曜日という絶頂ではなく、その手前の、なにかが起りそうな気配に満ちた、いつまでも未知でマジカルなイメージのものに惹かれる。こんな「金曜日愛好家」はあんがい多いんじゃないかと思う。魔法使いのおばあさんに立候補したことがある方は、ぜひどうぞ!
だって魔法使いのおばあさんは「不幸ながんばりやさんに同情したから」とか「まま母たちはひどいと義憤にかられて」ではなくとうとつに登場し、主人公に「舞踏会に行けるようにしてあげる」と言うのだ。すごいじゃありませんか。
名乗りをあげたのは私だけだったのですんなり決まり(女子たちの頭には「魔法」よりも「おばあさんの役なんて嫌」があったようだ)、シンデレラは、今思うと和のかわいさの紀子ちゃんが舞踏会のビフォー、洋のかわいさの典子ちゃんがアフターシンデレラ、というWキャストになった。(なぜか「ダブルのりこだった」ことを覚えているのだ)
発表会の当日、私が家から持ってきた風呂敷かなんかをかぶり、先生がこの日のために作ってくれたなにやらそれっぽいマントをまとって腰をかがめながらゆっくりゆっくり舞台に出ていくと、客席は笑いに包まれた。今考えるとあれは失笑だった。でも、ぜんぜん平気。だってこれから後のことを起こすのは私だもの。
先生から渡された杖(お身内の高齢者から借りてきたと思われる、?マークの「・」なしの形をした、やたらと重くて立派な木製だった)を、泣いてる演技中の和の紀子ちゃんに向けて大きくぐるぐる回すと、舞台が暗くなり、音楽がドロロロロロロ、というドラムロール的なものになって、客席からおお、という声が起きた。その隙におしゃがみで泣きまねの紀子ちゃんはひっこみ、舞台がパッと明るくなるとともに、舞踏会にいつでも行ける恰好をした洋の典子ちゃんが登場した。拍手喝采。
でも私には確信があった。この拍手は、ドレスを着たシンデレラじゃなくて、魔法を使った私のためのものだって。実際どのお父さんもお母さんも、おじぎをしてまたゆっくりゆっくり退場する私に向けて、笑顔でたくさん手を叩いてくれた。
こんなことを『金曜日の本』を読んでいて思い出した。なぜなら「魔法使いのおばあさんは金曜日だ!」と思ったからである!
本書は著者・吉田篤弘さんの少年時代が書かれたエッセイ集で、「金曜日的なもの」にあふれている。お母さんの実家である家具屋の、外光がさえぎられて昼でも薄暗くひんやりしたお店の、さらに机や椅子の下にもぐる。シングル・レコードのA面よりB面、ピッチャーより一塁手、「クラッカー・ジャック」のおまけ、本の背表紙、放課後、舞台袖。
土曜日・日曜日という絶頂ではなく、その手前の、なにかが起りそうな気配に満ちた、いつまでも未知でマジカルなイメージのものに惹かれる。こんな「金曜日愛好家」はあんがい多いんじゃないかと思う。魔法使いのおばあさんに立候補したことがある方は、ぜひどうぞ!