【第128回】間室道子の本棚 『わたしの好きな季語』川上弘美/NHK出版
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『わたしの好きな季語』
川上弘美/NHK出版
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俳句については「読まない」「詠まない」「興味がない」の三重苦なのだが、作家・川上弘美さんのファンなので手に取った。タイトルどおり、好きな季語をあげてそれにまつわるエッセイを書き、さらに誰かの句をひとつ紹介、というシンプルな構成だ。
まず驚いたのは、季語って古くならないんだな、ということ。目次にずらり並んだ言葉は初めて見るものも多い。「日永(ひなが)」「半夏生(はんげしょう、あるいは、はんげしょうず)」「落とし角(おとしづの)」「神の留守(かみのるす)」・・・。知らないから新鮮に思えるのではなく、しなやかな強靭さがある。時代を経るうちに使われなくなる季語はあるだろうけど、言葉が古臭くダメになったのでお払い箱、というものはないんじゃないかと思う。
夏の季語「雷」で岡持綺堂の『半七捕物帳』に触れた後、「雷が落ちてカレーの匂ひかな」(山田耕司)を紹介し、「好奇心旺盛な半七親分が現代にやってきたら、案外カレーが大好物になったかもしれませんね」と結ぶ。秋の「墓参」を「昔から、お墓参りが好きでした。なぜなら、」という文章で始める。川上さんならではの、人にずばりと刺さる視点がひょいひょい出て来て楽しいし、用心して読まなきゃ、と思う。
だって「案外カレーが好物に」でも「カレーが大好物に」でもなく、「案外」というあいまいさと「大好物」という熱情を一気に使う。ある意味乱暴。でも爽快。
お墓エッセイ冒頭の「なぜなら、」に続く、「お墓はたいがいの時、とてもすいていますから」。無防備な心に氷を一個押し込まれるような寂寥。でもその寂しさは「そんなのだめ、なくさなきゃ」ではなく、持っていていいものなんだって思えるあっけらかんとした感じ。丁寧に、気を付けて、漏らさず読み進もう。まさに句を味わうときのように。
俳句は十七文字で光景をありありと浮かび上がらせるのが身上だけど、私は「これってどういうこと!?」となる句が好きなんだな、というのが本書でわかった。もっともシビれたのは 春の「朝寝」で紹介されていた、
「あらうことか朝寝の妻を踏んづけぬ」脇屋善之
これはどういう状態なんでしょう。まずは場所。昼寝なら、人はどこででもする。でも朝寝の場所は敷き布団の中しか考えられない。ベッドやソファでないのは「踏む」問題があるからだ!
「踏んづけぬ」。「妻踏んじゃった」である。叩いたとか蹴ったではなく、人を踏む。なかなか強烈。
また、詠み手は間違いなく旦那さんだが「あろうことか」と言っているので、日常的な暴力男ではなく、奥さんを大切にし、愛していることがわかる。彼女は専業主婦かな?新婚さんかも。「あなた、ごめんなさい、今朝は気分がすぐれなくて」と妻が起き上がれないことをわかっていて旦那が「ええい、みそ汁を作りやがれ」と手ならぬ足を出した、ではないのである。むうう。
以上、妻がいたのは布団の中。夫は気づかずに踏み、驚愕、という状況である。私の推理は、「旦那も寝ていた」。
泥酔し、午前様で帰ってきた夫をまだ若い奥さんは寝ずに待っており、家でも飲むと駄々をこねるのをなだめ、お水を運び、服を脱がせ、寝間着を着せ、布団に送りこみ、そののちに食卓に出してあった彼のぶんの夕飯を片づけ、戸締りを確認してようやく自分も就寝。一夜明け、いつもなら台所に立つ彼女だが深夜の疲れでうとうとと朝寝。で、がんがん痛む頭で夫が目をさますと出勤時間。こりゃいかん、と飛び起きて、隣の布団を踏んづけ、ぐにゅ、と感じる女体。おお、妻よ、寝てたのか。しだいに思い出す昨夜の醜態。そこで一句。
―とまあ、このような情景を想像してみましたのですが、いかがでしょう?
まず驚いたのは、季語って古くならないんだな、ということ。目次にずらり並んだ言葉は初めて見るものも多い。「日永(ひなが)」「半夏生(はんげしょう、あるいは、はんげしょうず)」「落とし角(おとしづの)」「神の留守(かみのるす)」・・・。知らないから新鮮に思えるのではなく、しなやかな強靭さがある。時代を経るうちに使われなくなる季語はあるだろうけど、言葉が古臭くダメになったのでお払い箱、というものはないんじゃないかと思う。
夏の季語「雷」で岡持綺堂の『半七捕物帳』に触れた後、「雷が落ちてカレーの匂ひかな」(山田耕司)を紹介し、「好奇心旺盛な半七親分が現代にやってきたら、案外カレーが大好物になったかもしれませんね」と結ぶ。秋の「墓参」を「昔から、お墓参りが好きでした。なぜなら、」という文章で始める。川上さんならではの、人にずばりと刺さる視点がひょいひょい出て来て楽しいし、用心して読まなきゃ、と思う。
だって「案外カレーが好物に」でも「カレーが大好物に」でもなく、「案外」というあいまいさと「大好物」という熱情を一気に使う。ある意味乱暴。でも爽快。
お墓エッセイ冒頭の「なぜなら、」に続く、「お墓はたいがいの時、とてもすいていますから」。無防備な心に氷を一個押し込まれるような寂寥。でもその寂しさは「そんなのだめ、なくさなきゃ」ではなく、持っていていいものなんだって思えるあっけらかんとした感じ。丁寧に、気を付けて、漏らさず読み進もう。まさに句を味わうときのように。
俳句は十七文字で光景をありありと浮かび上がらせるのが身上だけど、私は「これってどういうこと!?」となる句が好きなんだな、というのが本書でわかった。もっともシビれたのは 春の「朝寝」で紹介されていた、
「あらうことか朝寝の妻を踏んづけぬ」脇屋善之
これはどういう状態なんでしょう。まずは場所。昼寝なら、人はどこででもする。でも朝寝の場所は敷き布団の中しか考えられない。ベッドやソファでないのは「踏む」問題があるからだ!
「踏んづけぬ」。「妻踏んじゃった」である。叩いたとか蹴ったではなく、人を踏む。なかなか強烈。
また、詠み手は間違いなく旦那さんだが「あろうことか」と言っているので、日常的な暴力男ではなく、奥さんを大切にし、愛していることがわかる。彼女は専業主婦かな?新婚さんかも。「あなた、ごめんなさい、今朝は気分がすぐれなくて」と妻が起き上がれないことをわかっていて旦那が「ええい、みそ汁を作りやがれ」と手ならぬ足を出した、ではないのである。むうう。
以上、妻がいたのは布団の中。夫は気づかずに踏み、驚愕、という状況である。私の推理は、「旦那も寝ていた」。
泥酔し、午前様で帰ってきた夫をまだ若い奥さんは寝ずに待っており、家でも飲むと駄々をこねるのをなだめ、お水を運び、服を脱がせ、寝間着を着せ、布団に送りこみ、そののちに食卓に出してあった彼のぶんの夕飯を片づけ、戸締りを確認してようやく自分も就寝。一夜明け、いつもなら台所に立つ彼女だが深夜の疲れでうとうとと朝寝。で、がんがん痛む頭で夫が目をさますと出勤時間。こりゃいかん、と飛び起きて、隣の布団を踏んづけ、ぐにゅ、と感じる女体。おお、妻よ、寝てたのか。しだいに思い出す昨夜の醜態。そこで一句。
―とまあ、このような情景を想像してみましたのですが、いかがでしょう?
「トラックが婆拾ひ去る雪間かな」上田五千石
「夜長妻栗色の靴買へといふ」沢木欣一
この二句も気になる!