【第131回】間室道子の本棚 『ウサギ』ジョン・マーズデン著 ショーン・タン絵/河出書房新社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
* * * * * * * *
『ウサギ』
ジョン・マーズデン著 ショーン・タン絵/河出書房新社
※画像をクリックすると購入ページへ遷移します。
※画像をクリックすると購入ページへ遷移します。
* * * * * * * *
原書は1998年刊行。オーストラリアの国民的児童文学作家であるジョン・マーズデンが書いた物語に、近年日本で大ブレイクしている絵本作家ショーン・タン(当時23歳)が絵を付けた。
海の向こうからやってきたウサギがオーストラリアの先住民(モデルは絶滅したフクロアリクイらしい)を駆逐していく、というお話で、カバー見返しにある2018年のジョン・マーズデンの挨拶文には「外来種」「侵略」という言葉がでてくる。
ショーン・タンは、同じく2018年のコメントで「ぶつかりあう二つの世界の物語」と言っている。ウサギとフクロアリクイの物語は、英国人とアボリジニの話とも読めるし、あらゆる時代の大国と小国、人間と自然破壊、テクノロジーと我々、ウイルスと人類の物語としても読めるのだ。
若きショーン・タンも相変わらず鬼のように絵がうまい。あまりにうますぎて何が描いてあるかよくわからないのがすごい。なにせいちばんのテーマであるウサギが「え、これがそうなの??」なのだ。「世の中のすべてのウサギは、ウサギのかたちをしてやってこない」というメッセージなのかな、とも思った。
「コロナ禍新語」なるものが昨年たくさん誕生したが、私が大嫌いなのは「自粛警察」。こんなネーミングだと「警察=正しい=やっていいんだー」と思いがち。でもあれは「自粛リンチ」である。取り締まる権限などない一般人が営業を続ける飲食店に「閉めろ」「潰れろ」という貼り紙を張り、地方に来た東京ナンバーの車に嫌がらせをする。またコロナと戦う医療従事者とその家族を「あの人から感染するかも」と誹謗中傷、差別する。独善は、正義の顔をしてやってくるのである。
閑話休題、2月12日に当店でおこなった翻訳者・岸本佐知子さんのリモート・トークショーで盛り上がったのが「隠れショーン・タン探し」。『ウサギ』の中には「細部に忍ばせたメッセージ」があるのだ。
絵本を開くとユニオンジャックをほうふつとさせる図版が出て来るし、ショーン・タンおとくいのへんな生き物がちらほらいる。さらにあちこちに出て来る文字は読めない走り書きや象形文字めいているが、一か所だけ、「チカラ=セイギ」というカタカナが目に飛び込んできて驚く。リモート・トーク中に岸本さんに聞いたところ、原書では「MIGHT=RIGHT」。アメリカの西部開拓時代のスローガンだそうだ。
私が注目したのは「ウサギ、ウサギ、ウサギ。何百万、何千万というウサギ」というページに、ヒツジ族がまじっているんじゃないか、ということ。
ウサギたちは全員、耳が水平か垂直にピンと立っていたのに、このページに彼らと同じ服装の、耳のあたりがカールした動物がいる!
岸本さんによれば、これはヒツジではなく当時のウサギ族のファッションなのではないか、(「あ~ら奥様、もう直耳なんか流行りませんことよ」「カール耳が得意な王室御用達美容院をお教えしますわ」などなど??)ということだが、私は江戸を考えた。
ヒツジ族は数ページ前までは、歯ぐきを剝き出しにして草をはむばかりだった。でも江戸時代、力を謳歌していた武士たちが落ちぶれ商人が台頭してきたように、ヒツジがだんだん知恵と金を持ち始めたのではないかと思ったのである。
ページの右に動物をかたどった巨大な工場か銅像のようなものが描かれているがカールタイプ。またこの下で、カールの生き物と直耳ウサギが仮面(ヨーロッパの舞踏会シーンで見かける棒つきのやつ)をつけて会話している。力が逆転していても、商人と武士が江戸市中でおおっぴらに馴れ馴れしい会話をすることはなかったのと同じく、ヒツジとウサギも町で話すときは顔を見られぬようにしていたのか・・・。
最後のショーン・タンの絵は非常にかわいく、作者ジョン・マーズデンの悲鳴のような一文にまったくそぐわない、という謎の終わり方をしている。私の考えでは、ウサギ「すっかりヒツジの世の中になっちゃったね」 先住民「あんたたちウサギのほうがましだったよー」というセリフをつけるとしっくりくるのだが、正解はない。
後ろカバー見返しで、岸本佐知子さんはこの絵を「寂しい」と評し、「『ウサギ』に勝者はいない。ウサギを一方的な悪者にしてしまうには、この物語は重く、深い」と書いている。
様々な読み方ができる、素晴らしい絵本。みなさんも「隠れショーン・タン」を見つけてください。
海の向こうからやってきたウサギがオーストラリアの先住民(モデルは絶滅したフクロアリクイらしい)を駆逐していく、というお話で、カバー見返しにある2018年のジョン・マーズデンの挨拶文には「外来種」「侵略」という言葉がでてくる。
ショーン・タンは、同じく2018年のコメントで「ぶつかりあう二つの世界の物語」と言っている。ウサギとフクロアリクイの物語は、英国人とアボリジニの話とも読めるし、あらゆる時代の大国と小国、人間と自然破壊、テクノロジーと我々、ウイルスと人類の物語としても読めるのだ。
若きショーン・タンも相変わらず鬼のように絵がうまい。あまりにうますぎて何が描いてあるかよくわからないのがすごい。なにせいちばんのテーマであるウサギが「え、これがそうなの??」なのだ。「世の中のすべてのウサギは、ウサギのかたちをしてやってこない」というメッセージなのかな、とも思った。
「コロナ禍新語」なるものが昨年たくさん誕生したが、私が大嫌いなのは「自粛警察」。こんなネーミングだと「警察=正しい=やっていいんだー」と思いがち。でもあれは「自粛リンチ」である。取り締まる権限などない一般人が営業を続ける飲食店に「閉めろ」「潰れろ」という貼り紙を張り、地方に来た東京ナンバーの車に嫌がらせをする。またコロナと戦う医療従事者とその家族を「あの人から感染するかも」と誹謗中傷、差別する。独善は、正義の顔をしてやってくるのである。
閑話休題、2月12日に当店でおこなった翻訳者・岸本佐知子さんのリモート・トークショーで盛り上がったのが「隠れショーン・タン探し」。『ウサギ』の中には「細部に忍ばせたメッセージ」があるのだ。
絵本を開くとユニオンジャックをほうふつとさせる図版が出て来るし、ショーン・タンおとくいのへんな生き物がちらほらいる。さらにあちこちに出て来る文字は読めない走り書きや象形文字めいているが、一か所だけ、「チカラ=セイギ」というカタカナが目に飛び込んできて驚く。リモート・トーク中に岸本さんに聞いたところ、原書では「MIGHT=RIGHT」。アメリカの西部開拓時代のスローガンだそうだ。
私が注目したのは「ウサギ、ウサギ、ウサギ。何百万、何千万というウサギ」というページに、ヒツジ族がまじっているんじゃないか、ということ。
ウサギたちは全員、耳が水平か垂直にピンと立っていたのに、このページに彼らと同じ服装の、耳のあたりがカールした動物がいる!
岸本さんによれば、これはヒツジではなく当時のウサギ族のファッションなのではないか、(「あ~ら奥様、もう直耳なんか流行りませんことよ」「カール耳が得意な王室御用達美容院をお教えしますわ」などなど??)ということだが、私は江戸を考えた。
ヒツジ族は数ページ前までは、歯ぐきを剝き出しにして草をはむばかりだった。でも江戸時代、力を謳歌していた武士たちが落ちぶれ商人が台頭してきたように、ヒツジがだんだん知恵と金を持ち始めたのではないかと思ったのである。
ページの右に動物をかたどった巨大な工場か銅像のようなものが描かれているがカールタイプ。またこの下で、カールの生き物と直耳ウサギが仮面(ヨーロッパの舞踏会シーンで見かける棒つきのやつ)をつけて会話している。力が逆転していても、商人と武士が江戸市中でおおっぴらに馴れ馴れしい会話をすることはなかったのと同じく、ヒツジとウサギも町で話すときは顔を見られぬようにしていたのか・・・。
最後のショーン・タンの絵は非常にかわいく、作者ジョン・マーズデンの悲鳴のような一文にまったくそぐわない、という謎の終わり方をしている。私の考えでは、ウサギ「すっかりヒツジの世の中になっちゃったね」 先住民「あんたたちウサギのほうがましだったよー」というセリフをつけるとしっくりくるのだが、正解はない。
後ろカバー見返しで、岸本佐知子さんはこの絵を「寂しい」と評し、「『ウサギ』に勝者はいない。ウサギを一方的な悪者にしてしまうには、この物語は重く、深い」と書いている。
様々な読み方ができる、素晴らしい絵本。みなさんも「隠れショーン・タン」を見つけてください。