【第133回】間室道子の本棚 『赤いモレスキンの女』アントワーヌ・ローラン 吉田洋之訳/新潮社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『赤いモレスキンの女』
アントワーヌ・ローラン 吉田洋之訳/新潮社
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最近気づいたのだが、フランス人は落とし物の話が好きなようだ。
ジャン・ポール・ディディエローランの『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』は、読書が大好きなのに大量の本を裁断する工場勤務をしている男性がメモリースティックを拾い、開いてみたところ、トイレの清掃員をして生計を立てているジュリーという女性の日記だった、という物語。
クリスチャン・ガイイの『風にそよぐ草』は、主人公の初老の男が拾った財布の中には飛行機の免許証があり、それは女性飛行士のものだった。顔写真の悲し気な表情と打って変わって、一緒に入っていたパスポートのおどけた笑顔。そして「マルグリット・ミュイール」という名前の響きに彼が心惹かれて、というお話。ちなみに彼は失業中で妻子および孫もいるのだが、そんなことはなんのその!
アントワーヌ・ローランの『ミッテランの帽子』は80年代が舞台。当時大人気だった大統領ミッテランが置き忘れた帽子が迷える人生を送っている市民のもとを転々とし、なぜか彼らの運命をいい方へ、というもの。
アート系だと、現代美術家のソフィ・カルは路上でアドレス帳を拾い、そこに名前のあった人々に片っ端から連絡して「落とし主はどんな人?」とインタビューしそれを「作品」として発表した(そしてプライバシーの損害だと訴えられそうになった!)。国民的作家シャルル・ペローの「シンデレラ」も、王子が拾ったガラスの靴をめぐるシーンが最大の見せ場だしねえ。
なぜフランス人はかようにも「遺失物からはじまる何か」が好きなんだろう?うっかり者が多く、「あれっ、さっき買ったパンはどこ?」とか「バスの中に花束を忘れてきた」とかやらかしまくりなのだろうか。あるいは、カケラから全体を夢想するのが好きなのかもしれない。
今回紹介する『赤いモレスキンの女』は、『ミッテランの帽子』の作者によるふたたびの「落とし物小説」。書店主ローランは町のゴミ箱の蓋の上にハンドバッグがあるのを発見する。どうやら泥棒が金目のものを盗んで放置したらしい。もちろん警察に届けに行った。しかしなんやかんやでバッグは引き続き書店主の元に。
自宅で調べてみると、中には香水だのヘアピンだの解熱鎮痛剤だの雑誌の切り抜きだのリップクリームだの女性にありがちなこまごましたものにまじり、赤いモレスキン社の手帳と、彼が敬愛する作家パトリック・モディアノのサイン本があった。
小さな手帳に綴られた繊細な言葉。そしてもうずいぶん前からサイン会など開かず、インタビューも受けず、生きる伝説となっているカリスマ小説家の『夜半の事故』に添えられたサインと言葉―「ロールへ。雨降る中、私たちの出会いの記憶に」。
フランス文学好きなら「うわあ」と声を上げると思うがモディアノは実在の作家だ。サイン本を持ってるなんて、ロールという女性はどんな人なんだろう、という主人公の想像はやがて愛に・・・。
SNSを使えば早いじゃん、と誰もが思うでしょう。そう、手のひらサイズの魔法の機器に「バッグを紛失した女性を探しています。名前はロールらしいです。モディアノのファンのようです」と書き込めば、おそらくなにかしらのリアクションがある。でも「ねえ、ロール、あなたのことをどこかの男がネットで探しまくってたわよ」―ここにはドラマもロマンもない。そしてロールを「反応できない状態」にしたところに著者の工夫がある。
かくしてインターネットは最小限!主人公は考えうること、できることをひとつひとつやりながら、赤いモレスキンの女性を探す。コツコツとした作業には心がこもる。そんな人間には運命の女神が微笑むもの。偶然からの手助けはドラマティック&ロマンティックの源。男が女を探すストーリーが後半逆転するのがなんとも魅力的。
ジャン・ポール・ディディエローランの『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』は、読書が大好きなのに大量の本を裁断する工場勤務をしている男性がメモリースティックを拾い、開いてみたところ、トイレの清掃員をして生計を立てているジュリーという女性の日記だった、という物語。
クリスチャン・ガイイの『風にそよぐ草』は、主人公の初老の男が拾った財布の中には飛行機の免許証があり、それは女性飛行士のものだった。顔写真の悲し気な表情と打って変わって、一緒に入っていたパスポートのおどけた笑顔。そして「マルグリット・ミュイール」という名前の響きに彼が心惹かれて、というお話。ちなみに彼は失業中で妻子および孫もいるのだが、そんなことはなんのその!
アントワーヌ・ローランの『ミッテランの帽子』は80年代が舞台。当時大人気だった大統領ミッテランが置き忘れた帽子が迷える人生を送っている市民のもとを転々とし、なぜか彼らの運命をいい方へ、というもの。
アート系だと、現代美術家のソフィ・カルは路上でアドレス帳を拾い、そこに名前のあった人々に片っ端から連絡して「落とし主はどんな人?」とインタビューしそれを「作品」として発表した(そしてプライバシーの損害だと訴えられそうになった!)。国民的作家シャルル・ペローの「シンデレラ」も、王子が拾ったガラスの靴をめぐるシーンが最大の見せ場だしねえ。
なぜフランス人はかようにも「遺失物からはじまる何か」が好きなんだろう?うっかり者が多く、「あれっ、さっき買ったパンはどこ?」とか「バスの中に花束を忘れてきた」とかやらかしまくりなのだろうか。あるいは、カケラから全体を夢想するのが好きなのかもしれない。
今回紹介する『赤いモレスキンの女』は、『ミッテランの帽子』の作者によるふたたびの「落とし物小説」。書店主ローランは町のゴミ箱の蓋の上にハンドバッグがあるのを発見する。どうやら泥棒が金目のものを盗んで放置したらしい。もちろん警察に届けに行った。しかしなんやかんやでバッグは引き続き書店主の元に。
自宅で調べてみると、中には香水だのヘアピンだの解熱鎮痛剤だの雑誌の切り抜きだのリップクリームだの女性にありがちなこまごましたものにまじり、赤いモレスキン社の手帳と、彼が敬愛する作家パトリック・モディアノのサイン本があった。
小さな手帳に綴られた繊細な言葉。そしてもうずいぶん前からサイン会など開かず、インタビューも受けず、生きる伝説となっているカリスマ小説家の『夜半の事故』に添えられたサインと言葉―「ロールへ。雨降る中、私たちの出会いの記憶に」。
フランス文学好きなら「うわあ」と声を上げると思うがモディアノは実在の作家だ。サイン本を持ってるなんて、ロールという女性はどんな人なんだろう、という主人公の想像はやがて愛に・・・。
SNSを使えば早いじゃん、と誰もが思うでしょう。そう、手のひらサイズの魔法の機器に「バッグを紛失した女性を探しています。名前はロールらしいです。モディアノのファンのようです」と書き込めば、おそらくなにかしらのリアクションがある。でも「ねえ、ロール、あなたのことをどこかの男がネットで探しまくってたわよ」―ここにはドラマもロマンもない。そしてロールを「反応できない状態」にしたところに著者の工夫がある。
かくしてインターネットは最小限!主人公は考えうること、できることをひとつひとつやりながら、赤いモレスキンの女性を探す。コツコツとした作業には心がこもる。そんな人間には運命の女神が微笑むもの。偶然からの手助けはドラマティック&ロマンティックの源。男が女を探すストーリーが後半逆転するのがなんとも魅力的。