【第136回】間室道子の本棚 『わたしが行ったさびしい町』松浦寿輝/新潮社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『わたしが行ったさびしい町』
松浦寿輝/新潮社
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さびしい町の話なら、私もいくらでもできる。本書を読んでそう思った人は案外いるかもしれない。おそらく一人旅が多い人。そして何度渡航しようが、どんな知られざる地域に行こうが、自分は旅慣れてるなあという思いのない人。私もその一人だ。

松浦先生の旅は、奥様が同行している時もあるけれど、お二人とも心情として「ひとり」だと思う。何かがあったとき、夫婦でああだこうだとしゃべりまくってできごとを消化、消費してしまわない。互いにしんとして、秘めておくものがある感じ。そんなご夫妻は、自ら飛び込んで、あるいは思いもよらず、けっこうな目に遭っている。

なにせ夕暮れ迫る冬のナイアガラ・フォールズで、松浦先生は、滝に開いているも閉まっているもあるまいと「CLOSED」という札を無視し、泥道を行くのである。奥様も続く。やがて積雪地帯になり、しまいにはずっぽり、ずっぽりと足を引き抜かねば進めなくなる。あたりはどんどん暗くなる。イメージは遭難である。

サンフランシスコで車を調達しニューヨークをめざしたドライブ旅行では、ある事情からアリゾナ州のタクマという町に滞在しなければならなくなる。この人口五百人程度の町にブツ(!?)が届くのを待つのだが、午前と午後に「まだか」と聞きに行く以外、することがない。先生の脳裏にはやがてある想像が。気分は恐怖映画である。

こんなたいへんなエピソードもあるけれど、私が好きなのは、ミャンマーのニャウンシュエでひと気のない夜道を歩きながら、先生が、ほら、いつだか加計呂麻でさ・・・、と呟いたとき、奥様に、なんのことだかすぐに通じたシーン。

かつて加計呂麻島の夜、急にさびしくなった松浦先生は、宮沢賢治の童話にのせて、自分の気持ちを懸命に語られた。奥様は「私が盛り上げてあげなきゃ」とか「寄り添わなきゃ」ではなく、自らも同じところにひたった。ナイアガラ・フォールズの章に出てくる「さびしさはわたしの記憶の深いところに沈み込み、そこでしんとした冷たい輝きを放っている」という思いは、世界で傍らを歩くひとも同じなのだろう。だからミャンマーで二十年くらい前の奄美の小さな島でのことを言われて、即答できた―。

今はインターネットがあり、過去旅した町もこれから行く町も、いくらでも調べることができる。でも「旅した場所とつながっている」って、こんな、愛する人の胸の中で自分の旅が生きてる、続いてるって思える時なんじゃないか。

比べることすらおこがましいが、私はご夫妻よりもう下の下の下下下で、英語はほとんどできないし、方向音痴で、勢いと勘で動くところがあり、たいていそれは間違っている。こんな旅がどういうものか、このエッセイでわかった。

本書の五話目は、若き松浦先生がパリ留学を終えて帰国する当日、映画『シベールの日曜日』の舞台になった町ヴィル=ダヴレーを訪れた思い出だ。そこで先生は主演のハーディ・クリューガーについて「基本的に大根役者だと思うが」と書いている。これだ!と思った。私は自分の旅において、大根役者なのである。

ガイドブックに「月曜閉店」とあるのを見逃して片道一時間半のパリ郊外のはちみつ屋さんに行き、シャッターを見つめて呆然とした。スコットランドの北海では周りにいくらでも似たような岩があるのになぜか私の座っているところに大きな黒い犬がやってきて、おしっこをえんえんひっかけ続けた。万里の長城で迷子になった。ハワイの観光ジャングルで野生のニワトリに追いかけられた。ロンドンで財布を落とし、ヘルシンキではパスポートを無くした。とんだお大根である。でも「あたくしは旅行において名優なのです」と思ってる人の旅には絶対生まれないへんな面白味があり、どれも忘れがたい。

もちろん、じゃあまた迷子になりたいんですか、パスポートを無くしていいんですか、ではない。大根役者はめざすものではないし、大根演技はしようと思ってするものではないからだ。

松浦先生の発言は、ハーディ・クリューガーを貶めるためではない。文章は、「彼が傍役を演じたあのすばらしいイギリス映画『ワイルド・ギース』においてと同様に、ここでもその不器用さじたいが得難い美点になっている」と続くのである。

カットにならず、降板もなく、ごつごつした演技や流暢でないせりふは上映され、誰かの胸に残る。大根役者はさびしくて、でも実りはあるんだなあと思う。コロナが終息したら、また旅に出たい。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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