【第141回】間室道子の本棚『血も涙もある』山田詠美/新潮社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『血も涙もある』
山田詠美/新潮社
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この作家は私の心を素手でさわってくる―山田詠美さんにはそんな感じがある。本書の一行目は、「私の趣味は人の夫を寝盗ることです」
もうノックアウト。心身持っていかれてしまう。こんな文章が、物語のあちこちに埋め込んである。宝物みたいに。地雷みたいに。
登場するのは有名な料理研究家で五十歳になる喜久江と、十歳年下の夫で売れないイラストレーターの太郎、喜久江の助手で太郎の恋人になった三十五歳の桃子。語り手を変えながら、絶妙な関係が描かれていく。
物語中にたとえとして出てくるが、彼らは危ういジェンガのようだ。どこかを雑に扱ったらたちまち崩れてしまうものを、三人で共犯者のように支えている。
私と同じなんじゃないかな、とふと思った。「恋人」「妻」「夫」は、自分以外の二人にこう感じているんじゃないか―私の心を素手でさわれる人、と。
こんな相手に出会ってしまったら離したくないのは、夫婦だろうが既婚者との恋愛だろうが師弟だろうが同じなのだ。積んだばかりの姿はまったく面白味に欠ける。いつ崩壊してもおかしくないのに立ち続けるジェンガは、見る者を掴む。
私は妻・喜久江を三人の中でいちばん面白い人だと思う。幅広い層に支持される彼女のイメージは「おふくろさん」。料理は心だとか愛を一皿に託すとかのタイプで、肉体的には「たっぷり、こっくり」。
シャープで目が切れ長で頭も切れる桃子は見抜いているが、喜久江の「おふくろの味っぽいもの」は、努力と研鑽のたまもの。ファンたちをびびらせないように、テクニックだとさとられないテクニックで、完璧な凡庸を創り上げて大人気なのである。
桃子をスカウトしたのは喜久江自身だ。自分がもっと食べたいと思わせるために料理を作るのに対し、パーティのケータリングで出会った桃子の料理は「小さな小さな一話完結のひと皿」。一流の人って自分以外のやり方を認めないのではなく、自分がやらないことを面白がり、育ててみようと思える人なのだ。周囲から夫と助手の噂を聞かされても喜久江は取り合わない。信じないのではなく、相手が桃子なら、太郎の今までの数々の不実と同じようにはいかないだろう、という予感があるからだ。
二人のグラタンの食べ方や、「洒落くせえ味」には見向きもしないはずの太郎が「チコリをスープで煮込んだものがうまかった」と話したことから、妻は彼らの深まりを知る。
ぎりぎりのジェンガはどうやったら崩れるのか。それは言葉だ。素手で心をさわれる同士が、互いに言ってはならないことを言ったら。
崩壊のあとも、喜久江はすごく興味深い。「そんなの桃ちゃんらしくない」と彼女が思うのは、夫を盗ったことではなくピンチの時の行動に対して。喜久江が桃子を鼓舞するような思いを抱くシーンが私はたまらなく好き。
あと、太郎は自分を甘やかし放題にする妻に対し「拍子抜けって重要じゃないですか。男女の間には。それがないと息が詰まる」と思っていた。でも喜久江は、拍子抜けは仕掛けてこないが不意打ちができる女だった。これも痛快。
桃子の最先端の味つけと、喜久江の「やみつき」をあわせ持つ、詠美さんの傑作。
もうノックアウト。心身持っていかれてしまう。こんな文章が、物語のあちこちに埋め込んである。宝物みたいに。地雷みたいに。
登場するのは有名な料理研究家で五十歳になる喜久江と、十歳年下の夫で売れないイラストレーターの太郎、喜久江の助手で太郎の恋人になった三十五歳の桃子。語り手を変えながら、絶妙な関係が描かれていく。
物語中にたとえとして出てくるが、彼らは危ういジェンガのようだ。どこかを雑に扱ったらたちまち崩れてしまうものを、三人で共犯者のように支えている。
私と同じなんじゃないかな、とふと思った。「恋人」「妻」「夫」は、自分以外の二人にこう感じているんじゃないか―私の心を素手でさわれる人、と。
こんな相手に出会ってしまったら離したくないのは、夫婦だろうが既婚者との恋愛だろうが師弟だろうが同じなのだ。積んだばかりの姿はまったく面白味に欠ける。いつ崩壊してもおかしくないのに立ち続けるジェンガは、見る者を掴む。
私は妻・喜久江を三人の中でいちばん面白い人だと思う。幅広い層に支持される彼女のイメージは「おふくろさん」。料理は心だとか愛を一皿に託すとかのタイプで、肉体的には「たっぷり、こっくり」。
シャープで目が切れ長で頭も切れる桃子は見抜いているが、喜久江の「おふくろの味っぽいもの」は、努力と研鑽のたまもの。ファンたちをびびらせないように、テクニックだとさとられないテクニックで、完璧な凡庸を創り上げて大人気なのである。
桃子をスカウトしたのは喜久江自身だ。自分がもっと食べたいと思わせるために料理を作るのに対し、パーティのケータリングで出会った桃子の料理は「小さな小さな一話完結のひと皿」。一流の人って自分以外のやり方を認めないのではなく、自分がやらないことを面白がり、育ててみようと思える人なのだ。周囲から夫と助手の噂を聞かされても喜久江は取り合わない。信じないのではなく、相手が桃子なら、太郎の今までの数々の不実と同じようにはいかないだろう、という予感があるからだ。
二人のグラタンの食べ方や、「洒落くせえ味」には見向きもしないはずの太郎が「チコリをスープで煮込んだものがうまかった」と話したことから、妻は彼らの深まりを知る。
ぎりぎりのジェンガはどうやったら崩れるのか。それは言葉だ。素手で心をさわれる同士が、互いに言ってはならないことを言ったら。
崩壊のあとも、喜久江はすごく興味深い。「そんなの桃ちゃんらしくない」と彼女が思うのは、夫を盗ったことではなくピンチの時の行動に対して。喜久江が桃子を鼓舞するような思いを抱くシーンが私はたまらなく好き。
あと、太郎は自分を甘やかし放題にする妻に対し「拍子抜けって重要じゃないですか。男女の間には。それがないと息が詰まる」と思っていた。でも喜久江は、拍子抜けは仕掛けてこないが不意打ちができる女だった。これも痛快。
桃子の最先端の味つけと、喜久江の「やみつき」をあわせ持つ、詠美さんの傑作。