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【第143回】間室道子の本棚 『百合中毒』井上荒野/集英社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『百合中毒』
井上荒野/集英社
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舞台は長野にある「ななかまど園芸」。二十五年前、二十も下のイタリア人女性を好きになり、当時四十歳だった妻と中学一年と高校一年の娘二人を捨て、家を出たお父さんが「彼女が国に帰った」ととつぜん戻って来た。

この手のお話は「家族って、愛だよね」で書かれることが多いけど、井上荒野さんは「家族って、変だよね」を行動描写であぶり出していく。

たとえばお父さんは高そうなバックスキンの靴で帰ってきた。昔だったら履きそうにないもの。別荘族のオヤジ御用達のようなやつ。それを、爪先を中に向けて脱いだ。この家の人のみたいに。物は違えど動作は以前と同様。

さらに、彼は「ななかまど」の店舗及び住居にいることになる。許された、受け入れられたではなく、ご厄介になっているといったところ。で、長女は朝、洗面所にポーチがあり、青い歯ブラシの柄が突き出ているのを見る。青はお父さんの色だ。娘たちが幼い頃から歯ブラシはお母さんが赤、長女がピンク、次女がオレンジと決まっていて、今も同じ。それをいなかった父親も続けていた・・・。

家族をずっと想っていた証ではないだろうし、媚でもあえてのずうずうしさでもないだろう。そもそも彼は自分の靴の脱ぎ方や歯ブラシの色なんて、これっぽっちも気にしてないに違いない。でも「帰宅」のような脱ぎ置き方をした今。無意識に青を買い続けた二十五年。習慣とも惰性とも違う。じゃあ何なのか。読者に湧き上がるのは「家族って、変だよね」だと思う。そして誰もが考えるのだ。たぶん、うちにもなにかしらこんなことはある、と。

閑話休題、お父さんの帰還はみんなの「今まで蓋をしてきたもやもや」をはからずも開けていく。

従業員の蓬田さんは現在五十七歳。夫の出奔で「ななかまど」の主となった七竈歌子を支え、長い時間をかけて八つ年上の彼女と恋仲になった。でも「十年ほど前からの周囲の公認」とか、「自分は夫であり歌子は妻なのだという思い」はこうも簡単に「そうではなかったのか」となる、と彼は思い知る。

実家を出てアパート暮らしをしている次女の遥は、勤め先の設計事務所のオーナー池内と不倫中だ。父親が戻ったときから彼女は、自分が池内を本当に好きなのか、考え始める。

「ななかまど」で働く長女の真希は、今まで見て見ぬふりをしてきた夫・祐一の「心ここにあらず」に目を向ける。祐一は、夫としての務めも園芸店の一員としての務めもちゃんと果たしていたけど、俺はこの家に「ずっといなかった」と気づく。

お母さんの胸の内はぜんぜん書かれない。そして最後の章でついに彼女から噴出するのは「わからなさ」。井上荒野さんの真骨頂である。

損得からも理性からも愛からも逸脱した結びつき。恋人、友人、親類、仕事関係だったら破綻しかないのにつながりうる。それが「夫婦」だ。

これは「父親中毒」の物語。みんな彼にあたっておかしくなった。お父さんが直接作用した人、それが「家族」だ。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。
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