【第155回】間室道子の本棚 『青空と逃げる』辻村深月/中公文庫
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『青空と逃げる』
辻村深月/中公文庫
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小劇場で俳優をしている夫が深夜交通事故に遭った。妻・早苗と十歳になる息子の力(ちから)は病院に駆けつけるが、有名女優が運転する車に二人きりでの事故だったことがわかる。
彼女も既婚者だったことから巻き起こる「W不倫!」の報道、そしてその後起きたことのために、メディアが家に殺到する。さらに夫が早苗たちになにも告げずに退院し、行方がわからなくなった。
女優の芸能プロダクションは「怖いお兄さんたち」と関係あるところで彼らは怒り心頭。旦那さんが消えたってどういうことですかー、とマスコミ以上につきまとう。学校帰りの力も待ち伏せされた。さらに早苗は子供部屋のクローゼットからとんでもないものを見つける。
砦だと思っていた自宅が恐怖の場所になった。もうここにはいられない。小学校の夏休みをきっかけに早苗は力を連れて東京から逃げ出す。四万十、瀬戸内海の家島、別府、その先は・・・。
逃避行小説には「旅もの」のお楽しみもあり、物語に美しい自然や地方の文化が盛り込まれる。本書がすごいのは、その旅のレア感を支えるものだ。
たとえば四万十で働いていた食堂にとつぜん追っ手があらわれ逃げる時、早苗が「今までの給料はどうなるんだろう」と思うシーンがある。
逃亡小説ってマッチョな男を主人公にしたハードボイルドが多く、彼らも流れ着いた先で用心棒になったり牧場を手伝ったりするけど、こんな時「あ、俺の給料」とはならないだろう。あらかじめたくましく自信のある生き方をしている人なら、この先またいくらでも稼げるからだ。
早苗は危機の中で、お金を思う。自分は平凡で何もできないと考えている女性ならではの、今後の生活に対する不安や旅にかかる費用の切実さ。これがおそろしくリアルで、読み手に「私にあってもおかしくない話」という共感、一緒に逃げている臨場感を与える。
もうひとつ私が好きなのは別府の場面。湯治にきていたおじいさんが力に「地獄蒸し」でふかしたサツマイモ分けてくれて、ポケットから青いふたの塩の瓶を差し出す。甘いものにちょっと振ると美味しいのだ。力は東京の家と同じお塩だ、と思う。
外国を旅していると、アジア系の人がベンチで読んでいる本が『吾輩は猫である』だったり黒髪の男児のTシャツが「東北新幹線」だったりに、すごく気づく。私に「海外だ!」を意識させるのは、名所旧跡以上に、日本だったら流れる風景でしかないものが目に飛び込んでくる異様なまでのパワーだ。
力も、かつてお父さんお母さんと行っていた平和で平凡で楽しい旅行だったら、誰かに差し出されたお塩なんて気に留めなかっただろう。そして彼は子供なので、気づいても「こんな遠い場所の人も同じメーカーなんだー」と感心するにとどまっているが、これが早苗のシーンなら、いかに自分が日常と離れてしまったかをかみしめ、心よじれる場面になっていたのではないか。
四国のテナガエビ、家島の海の色、別府の砂の温度などの「はるばるこんなところまで」を支えているのは、ふと顔を出す「置いてきた東京の生活感」なのである。作者・辻村深月さんはこういう細部をすべり込ませるのがほんとうにうまい。
旅先のみならず自宅もマスコミやお兄さんが押し掛ける非日常になってしまった今、母子が「帰りたい」と思う先は場所ではなく「人」になる。ラストで力が走り込んだ先にあるもの、早苗に伸ばされた手。ようやく「たどり着いた」と思えるシーンに、読み手も安堵する。
彼女も既婚者だったことから巻き起こる「W不倫!」の報道、そしてその後起きたことのために、メディアが家に殺到する。さらに夫が早苗たちになにも告げずに退院し、行方がわからなくなった。
女優の芸能プロダクションは「怖いお兄さんたち」と関係あるところで彼らは怒り心頭。旦那さんが消えたってどういうことですかー、とマスコミ以上につきまとう。学校帰りの力も待ち伏せされた。さらに早苗は子供部屋のクローゼットからとんでもないものを見つける。
砦だと思っていた自宅が恐怖の場所になった。もうここにはいられない。小学校の夏休みをきっかけに早苗は力を連れて東京から逃げ出す。四万十、瀬戸内海の家島、別府、その先は・・・。
逃避行小説には「旅もの」のお楽しみもあり、物語に美しい自然や地方の文化が盛り込まれる。本書がすごいのは、その旅のレア感を支えるものだ。
たとえば四万十で働いていた食堂にとつぜん追っ手があらわれ逃げる時、早苗が「今までの給料はどうなるんだろう」と思うシーンがある。
逃亡小説ってマッチョな男を主人公にしたハードボイルドが多く、彼らも流れ着いた先で用心棒になったり牧場を手伝ったりするけど、こんな時「あ、俺の給料」とはならないだろう。あらかじめたくましく自信のある生き方をしている人なら、この先またいくらでも稼げるからだ。
早苗は危機の中で、お金を思う。自分は平凡で何もできないと考えている女性ならではの、今後の生活に対する不安や旅にかかる費用の切実さ。これがおそろしくリアルで、読み手に「私にあってもおかしくない話」という共感、一緒に逃げている臨場感を与える。
もうひとつ私が好きなのは別府の場面。湯治にきていたおじいさんが力に「地獄蒸し」でふかしたサツマイモ分けてくれて、ポケットから青いふたの塩の瓶を差し出す。甘いものにちょっと振ると美味しいのだ。力は東京の家と同じお塩だ、と思う。
外国を旅していると、アジア系の人がベンチで読んでいる本が『吾輩は猫である』だったり黒髪の男児のTシャツが「東北新幹線」だったりに、すごく気づく。私に「海外だ!」を意識させるのは、名所旧跡以上に、日本だったら流れる風景でしかないものが目に飛び込んでくる異様なまでのパワーだ。
力も、かつてお父さんお母さんと行っていた平和で平凡で楽しい旅行だったら、誰かに差し出されたお塩なんて気に留めなかっただろう。そして彼は子供なので、気づいても「こんな遠い場所の人も同じメーカーなんだー」と感心するにとどまっているが、これが早苗のシーンなら、いかに自分が日常と離れてしまったかをかみしめ、心よじれる場面になっていたのではないか。
四国のテナガエビ、家島の海の色、別府の砂の温度などの「はるばるこんなところまで」を支えているのは、ふと顔を出す「置いてきた東京の生活感」なのである。作者・辻村深月さんはこういう細部をすべり込ませるのがほんとうにうまい。
旅先のみならず自宅もマスコミやお兄さんが押し掛ける非日常になってしまった今、母子が「帰りたい」と思う先は場所ではなく「人」になる。ラストで力が走り込んだ先にあるもの、早苗に伸ばされた手。ようやく「たどり着いた」と思えるシーンに、読み手も安堵する。