【第156回】間室道子の本棚 『夏物語』川上未映子/文春文庫

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『夏物語』
川上未映子/文春文庫
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芥川賞「乳と卵」から生まれた長編。第一部では受賞作の舞台2008年夏をベースに、主人公・夏子の周辺がより深く描かれていく。

第二部の始まりは2016年夏。念願だった作家になれたものの二冊目が書けない中、三十代後半になった夏子は「自分の子に会いたい」という思いにかられる。出産してみたいとかほしいとかではなく、「子どもに会いたい」という感覚。

かつてひとりだけ、交際していた男性との性体験はあるが、夏子はセックスというものが好きではない。相手にどんなに愛情を持っていても、するのが耐えられない。精子提供について調べるうち彼女は、この方法で生まれ、苦悩し、本当の父親を捜す青年・逢沢潤と知り合う。

自分の過去の半分を探したい逢沢と、未来に自分の半分をつなげてくれる赤ん坊という存在に強く惹かれる夏子。物語には、「家」の問題から逃れられない友人・紺野りえ、エネルギッシュな先輩作家・遊佐リカ、夏子の才能を買い、創作を支えようとする仙川涼子など、多彩な女たちが登場する。

どの女性が響くか、読み返すたびに違い、刺さる場面や文章が新しくなるけど、私にとっていつでも心の底で鳴り続けるのが編集者の仙川である。

夏子より十歳ほど年上で独身。敏腕。情報番組でタレントが取り上げて本がヒットする運なんかより強くて信頼に値するもの。わたしはあなたの作品のためにそれを用意できる、と会いに来たひと。

それから二年。三軒茶屋のバーのトイレで深夜、彼女は夏子にあることをする。「仙川は同性愛なの?」と思う読者もいるだろう。

でもこのシーンに私は「女の人が女の人を好きー」をぶっちぎる、せっぱつまったものを感じる。その後、新作が進まないと思ったら赤ん坊をつくろうとしていたのか!と知った仙川は夏子に「気持ち悪い」と言い放つ。

相手が異性でも同性でも、強すぎる言葉。でもほんとうに気味悪かったのではないか。

彼女は初対面の夏子に、「言葉が通じても話が通じない世界に生きている中、この出会いは干上がった砂漠でにじんだ水脈を見つけるみたいなもの」とたとえ、暑苦しい話でごめんなさい、でもちゃんと伝えたかった、と話した。夏子はうれしかった、と応じた。

だけど今、仙川の作品、作家、文学への思い、畳みかけは聞こえているのに届かない。前をきりさいて一緒に進むはずの書き手が得体のしれないことをやる言葉の通じない人間になっていた。これは不気味だろう。あっちが裏切ったとか間違ってるとかを超えて、わが身が崩れ始めたような気持ちの悪さ。

仙川にとっては夏子のこれからの小説が、未来に自分の半分をつなげてくれるものだったんだと思う。

本書には「刊行」を超えた、「産み落とされた感」がある。作者・川上未映子さんの才能に全身全霊で懸けたひとに捧げている気がした。

「もう何年も、出口のない夏のなかにいるような」という作中の言葉そのままの、女という性の地熱を感じる渾身の一冊。待望の文庫化。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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