【第161回】間室道子の本棚 『砂に埋もれる犬』桐野夏生/朝日新聞出版

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『砂に埋もれる犬』
桐野夏生/朝日新聞出版
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主人公は、ネグレクトされている時は飢えに、母親とその時つきあっている男が家に帰ってきた時は暴力に苦しめられていた小学六年生の優真。彼に廃棄するお弁当をくれたコンビニ店長の目加田が、警察と連携して彼を地獄のような日常から連れ出す。

ふつうの虐待小説って、「ついに手が差し伸べられました」あるいは「間に合わず」で終わるけど、本書は悲惨さから逃れたあと、優真がおかしくなっていく。

「里親となった目加田夫妻もひどい人だった」ではない。こんな願ってもないところ、引き取り先としては理想じゃないかと誰もが思う環境で、少年はねじまがる。

一時保護所で優真は、学習能力はどれくらいか、健康状態はどうかと調べられたけど、たとえば「お風呂の入り方を知っていますか」とは聞かれない。

彼は入浴の際は髪も洗うのだということを知らないのである。横から中身を取られないよう丼に顔を突っ込んで食べる「犬食い」は恥ずかしいんだという意識がないし、フライパンがなにをする道具か、お年玉が何なのか、わからない。人の顔色をうかがいながらの生活はしていても、僕がこんなことをしたらあの人は悲しむかも、という気遣いの経験がない。放置と自由は違うんだということに考えが及ばない。

それらが明るみにでるたび、周囲は憐れむような目をするか、覚えておくようにと指導、説教的な言い方になるかだ。幼児ではないのだ。十三歳がそれを言われた時の屈辱は大きい。

じゃあそのままでいいのかというとそんなことはない。大人たちの困惑や苦悩がそのまま読み手に降りかかる。

そして時間がたつにつれ、優真に変なスイッチが入っていく。

小説のタイトル『砂に埋もれる犬』はゴヤの絵画からきており、表紙もその部分である。ぜひ絵の全体にあたり、犬の表情を見てほしい。危機的状況にある犬は恐怖や絶望の顔ではなく、なんというか、きょとんとしている。純度の高い、なすすべのなさ。優真、目加田夫妻、そして本書を読むわたしたちすべてが、ゴヤの犬だ。

帯に「予定調和を打ち砕く」とあり、本当に誰も見たことのないお話が展開していく。そして見たことがないっていったけど、現実にはおそらくこっちのほうが多いんだって思えてくる。なにをもって「この子は助け出された、救われた」と言えるのか。今も気がつくと、物語のことを考えている。

辛いシーンもあるが、生きていく人間のいちばん大切な部分をたぎらせるのがエンターテインメント。心を強くして読んでほしい作品だ。最後に、あんな状況で、目加田が初めて、ある言葉を使う。完全なる絶望か、うっすらとした希望かは、読み手にゆだねられている。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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