【第167回】間室道子の本棚 『ディズ・イズ・ザ・デイ』津村記久子/朝日文庫
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『ディズ・イズ・ザ・デイ』
津村記久子/朝日文庫
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サッカーの二部リーグを舞台にした連作小説集。よりによって、J2!?と思う人もいるだろう。それはある意味正しく(!?) 、登場する人々は友人や恋人を連れていくのをやたらためらう。
チームの地味さや無名さを気にし、当日の道中も「つまらないかも」「引き返そうか」と口にし、天気が悪いことをあやまり、スタジアムグルメ、略してスタグルをおごりまくったりする。シャイな感じがたまらない。
そして、従来のスポーツものには描かれてこなかったことがある。
まず、いろんな人が、自分の家の近くに会場があるっていいことだな、と思っている。「サッカーが好き」の前に彼らは場所に魅了される。たしかに徒歩や自転車で行ける範囲、電車で二十分三十分のところに青々と芝が敷かれ、空が大きく見える美しいものがあったら、日々晴れやかな気持ちになるだろう。PKがなんなのか、応援しているチームが今何位なのか知らなくても楽しく足を運ぶ者もいる。
また、多くの人がスタグルを楽しみにしている。試合はいろんな都府県で行われ、ご当地のおいしいものが売られているのだ。もちろん少々お高い。だから両親を失った高校生と小学生の兄弟が観戦に通い出したとき、兄はスーパーで焼き鳥を買い、持ち込んでふたりで食べる。会場で皆が手にしているものが自分たちには買えないんだ、という寂しい思いを弟にさせたくなかったのである。一方、早々に鮒寿司を買ってしまい、なんで今なの、そんな匂いのきついもの開けんといてよ、帰りでよかったやんか、と奥さんにオコられる旦那さんも出てくる。
彼らは観光もする。さっき書いたように試合は日本のあちこちで行われる。アウェイに来たら名所をめぐり、名物を味わいたい。
あとみんなが思っているのは「ユニフォームは買いたいけど高い」ということだ!
どうです、スポーツ小説やサッカー漫画でファンにスポットが当たる章や回があってもこんなことは出てこない。彼らは熱心に選手のために祈り、試合に全集中だろう。空き時間観光してたとかあれの値段がどうのこうのとかはぜったい書かれない。
でも、背景として会場を埋め尽くしてる人、漫画なら丸に十字で「顔」とされ、「オオオオオオ」とか「ワアアアア」とかの文字で体の半分以上が消えてる集団、文学なら「満員ですね」の五文字で片付けられるその他大勢は、スーパーに立ち寄ったりいきなり買い物しちゃって妻にオコられたりしてるはず。
本書にはファンたちの、生きているふつうがある。それがたまらなく魅力的。
そして、強いか弱いか、敵か味方かだけじゃない。同じ場所にいることが、人を結びつける。J1だと、敵意むき出しやフーリガン化もあるかもしれない。でもJ2。おっと、この気安さは「1に比べて真剣さで劣る」ではない。のんびりの中でぞんぶんに浮上する、スタジアム、スポーツが持つパワーがここにある。
さらにいいのは、ゆだねないこと。
ふつうのファンたちの裏にはさまざまなドラマがある。焼き鳥の兄弟も鮒寿司の夫婦もたいへんなのである。私をいちばん悶絶させたのは、「明日負けるとひいきのチームがどえらいことになる」という前日、いてもたってもいられず東京から四国に向かった女性が、到着した空港でピンチになる。それを助けてくれたのは、という「また夜が明けるまで」。作者の津村さんはよくもまあこんな話を思いつくものだ。口から心臓が飛び出そう。ドキドキが止まらない。
で、よくあるスポーツものでは、心残りのあるベテランやふがいない生き方をしてきたファンが己の人生を若者やスターに託そうとする。でも本書の人々は、しない。
ひいきが勝てば喜び、負ければがっかりする。しがみつくように応援することもある。でも自分のいままでやこれからを選手に寄りかからせない。
「他人の勝負の一瞬を自分の中に通す」。最終的に彼らがするのはこれだけだ。なんという潔さ!
チームの地味さや無名さを気にし、当日の道中も「つまらないかも」「引き返そうか」と口にし、天気が悪いことをあやまり、スタジアムグルメ、略してスタグルをおごりまくったりする。シャイな感じがたまらない。
そして、従来のスポーツものには描かれてこなかったことがある。
まず、いろんな人が、自分の家の近くに会場があるっていいことだな、と思っている。「サッカーが好き」の前に彼らは場所に魅了される。たしかに徒歩や自転車で行ける範囲、電車で二十分三十分のところに青々と芝が敷かれ、空が大きく見える美しいものがあったら、日々晴れやかな気持ちになるだろう。PKがなんなのか、応援しているチームが今何位なのか知らなくても楽しく足を運ぶ者もいる。
また、多くの人がスタグルを楽しみにしている。試合はいろんな都府県で行われ、ご当地のおいしいものが売られているのだ。もちろん少々お高い。だから両親を失った高校生と小学生の兄弟が観戦に通い出したとき、兄はスーパーで焼き鳥を買い、持ち込んでふたりで食べる。会場で皆が手にしているものが自分たちには買えないんだ、という寂しい思いを弟にさせたくなかったのである。一方、早々に鮒寿司を買ってしまい、なんで今なの、そんな匂いのきついもの開けんといてよ、帰りでよかったやんか、と奥さんにオコられる旦那さんも出てくる。
彼らは観光もする。さっき書いたように試合は日本のあちこちで行われる。アウェイに来たら名所をめぐり、名物を味わいたい。
あとみんなが思っているのは「ユニフォームは買いたいけど高い」ということだ!
どうです、スポーツ小説やサッカー漫画でファンにスポットが当たる章や回があってもこんなことは出てこない。彼らは熱心に選手のために祈り、試合に全集中だろう。空き時間観光してたとかあれの値段がどうのこうのとかはぜったい書かれない。
でも、背景として会場を埋め尽くしてる人、漫画なら丸に十字で「顔」とされ、「オオオオオオ」とか「ワアアアア」とかの文字で体の半分以上が消えてる集団、文学なら「満員ですね」の五文字で片付けられるその他大勢は、スーパーに立ち寄ったりいきなり買い物しちゃって妻にオコられたりしてるはず。
本書にはファンたちの、生きているふつうがある。それがたまらなく魅力的。
そして、強いか弱いか、敵か味方かだけじゃない。同じ場所にいることが、人を結びつける。J1だと、敵意むき出しやフーリガン化もあるかもしれない。でもJ2。おっと、この気安さは「1に比べて真剣さで劣る」ではない。のんびりの中でぞんぶんに浮上する、スタジアム、スポーツが持つパワーがここにある。
さらにいいのは、ゆだねないこと。
ふつうのファンたちの裏にはさまざまなドラマがある。焼き鳥の兄弟も鮒寿司の夫婦もたいへんなのである。私をいちばん悶絶させたのは、「明日負けるとひいきのチームがどえらいことになる」という前日、いてもたってもいられず東京から四国に向かった女性が、到着した空港でピンチになる。それを助けてくれたのは、という「また夜が明けるまで」。作者の津村さんはよくもまあこんな話を思いつくものだ。口から心臓が飛び出そう。ドキドキが止まらない。
で、よくあるスポーツものでは、心残りのあるベテランやふがいない生き方をしてきたファンが己の人生を若者やスターに託そうとする。でも本書の人々は、しない。
ひいきが勝てば喜び、負ければがっかりする。しがみつくように応援することもある。でも自分のいままでやこれからを選手に寄りかからせない。
「他人の勝負の一瞬を自分の中に通す」。最終的に彼らがするのはこれだけだ。なんという潔さ!