【第173回】間室道子の本棚 『ルーティーンズ』長嶋有/講談社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『ルーティーンズ』
長嶋有/講談社
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「幸せは日常のなにげないところにある」が書かれた小説です、と言われたら、すれっからしの本好きで、偏見に満ちた私はキーッとなる。どベタ!どこかで見た風景!凡庸なハートウォーミング!善意と親切と好意の三拍子そろった退屈!という言いがかりに等しい毒舌が噴き出すだろう。しかし本書の表題作はそれを描きながら、めちゃくちゃ面白かった。
とくべつな眺めはない。しかしそこに、今までにない時の流れがある。スタートは2020年の4月2日。ある夫婦の交互の視点で、コロナ禍の日々が描かれていく。
私が2020の春以降思ったのは、「止めようと思えばいろんなものが止まるんだ」ということだった。学校もデパートも巨大遊園地も「明日からしばらくお休みして」と政府が言ったら止まった。「過労死」という世界の国々から仰天される問題を抱える我が国だが、会社さえ、「休んで」と言われたら休んだ。仕事をしてはいけないと言われたわけではないので「リモートワーク」が登場したけど、こんな事態であわててシステムができたのではなく、「今まで東京に住んで、満員電車に乗って、会社に出向いてやってたことって、自宅でもできたんだー」に皆が気づいた。未知のウィルスは、私たちのいろんな我慢や常識をひっくりかえすもとにもなったと思う。
閑話休題、物語に登場する妻の「私」は漫画家で39歳、夫の「俺」は作家で50歳間近。マスクや液体石鹸がスーパーや量販店の売り場から消えたのをはじめ、「俺」のドラム教室、親たちとのハワイ旅行、映画の公開、公園の遊具の使用、後輩の離婚話の進展etc、いろんなものが二人の周囲で止まる。
こんなこともあったんだー、を知るのも社会における小説の効能だが、たとえば私は、「アニメが止まった」を知らなかった。「ある程度のストックを持って番組を開始し、放送と並行して残りを制作する」は知識としてあったけど、これの現実味を本書で知った。「俺」と「私」が朝の趣味で見ていたプリキュアの2020年のシリーズは、「密」の問題でスタッフさんたちが制作現場に入れなくなくなり、ストックが尽きたところでなんと一話目から再放送をしたのである!
物語には作者・長嶋有さんならではの「止」への目線がふんだんにある。私が心ひかれたのは、建築途中の家。三月の桜の前、木材の匂いをさせていた一戸建ては工事の中断が続いている。今までなら、木の匂いがしているときは未完成、しなくなったら家は完成。でもコロナ禍では「匂いがもうないのに柱がむき出しで壁のない家」が出現している。これは作家ならでは嗅覚、心の留め方だと思う。
で、本書が面白いのは、こんなに静止した世の中で、夫婦の周りには動き、変化しつづけるものがあること。驚くくらいの速さ、伸び、すごい力。どベタを新世界の眺めにするのはこの対比だ。同じ風景の中に、凪と台風がある。そしてどちらがやっかいでどちらがやすらぎかは、「俺」と「私」の日々の心しだい。
本書を閉じて、なんのためらいもなく思った。「幸せは日常のなにげないところにある」。素晴らしい1冊!
とくべつな眺めはない。しかしそこに、今までにない時の流れがある。スタートは2020年の4月2日。ある夫婦の交互の視点で、コロナ禍の日々が描かれていく。
私が2020の春以降思ったのは、「止めようと思えばいろんなものが止まるんだ」ということだった。学校もデパートも巨大遊園地も「明日からしばらくお休みして」と政府が言ったら止まった。「過労死」という世界の国々から仰天される問題を抱える我が国だが、会社さえ、「休んで」と言われたら休んだ。仕事をしてはいけないと言われたわけではないので「リモートワーク」が登場したけど、こんな事態であわててシステムができたのではなく、「今まで東京に住んで、満員電車に乗って、会社に出向いてやってたことって、自宅でもできたんだー」に皆が気づいた。未知のウィルスは、私たちのいろんな我慢や常識をひっくりかえすもとにもなったと思う。
閑話休題、物語に登場する妻の「私」は漫画家で39歳、夫の「俺」は作家で50歳間近。マスクや液体石鹸がスーパーや量販店の売り場から消えたのをはじめ、「俺」のドラム教室、親たちとのハワイ旅行、映画の公開、公園の遊具の使用、後輩の離婚話の進展etc、いろんなものが二人の周囲で止まる。
こんなこともあったんだー、を知るのも社会における小説の効能だが、たとえば私は、「アニメが止まった」を知らなかった。「ある程度のストックを持って番組を開始し、放送と並行して残りを制作する」は知識としてあったけど、これの現実味を本書で知った。「俺」と「私」が朝の趣味で見ていたプリキュアの2020年のシリーズは、「密」の問題でスタッフさんたちが制作現場に入れなくなくなり、ストックが尽きたところでなんと一話目から再放送をしたのである!
物語には作者・長嶋有さんならではの「止」への目線がふんだんにある。私が心ひかれたのは、建築途中の家。三月の桜の前、木材の匂いをさせていた一戸建ては工事の中断が続いている。今までなら、木の匂いがしているときは未完成、しなくなったら家は完成。でもコロナ禍では「匂いがもうないのに柱がむき出しで壁のない家」が出現している。これは作家ならでは嗅覚、心の留め方だと思う。
で、本書が面白いのは、こんなに静止した世の中で、夫婦の周りには動き、変化しつづけるものがあること。驚くくらいの速さ、伸び、すごい力。どベタを新世界の眺めにするのはこの対比だ。同じ風景の中に、凪と台風がある。そしてどちらがやっかいでどちらがやすらぎかは、「俺」と「私」の日々の心しだい。
本書を閉じて、なんのためらいもなく思った。「幸せは日常のなにげないところにある」。素晴らしい1冊!
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。