【第175回】間室道子の本棚 『少女を埋める』桜庭一樹/文藝春秋

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『少女を埋める』
桜庭一樹/文藝春秋
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桜庭一樹さんの自伝的小説集。

まず、速い、と思った。小説、エッセイ、日記、また完全創作と自伝的小説では、もちろんさまざまな違いが考えられるが、とにかく文章が桜庭作品の中でもっとも速い気がした。

主人公は東京に住む小説家の「私」で、二十年ほど療養しているお父さんが危篤になり、七年ぶりに鳥取県に戻ることになる。彼女はなぜ、長い間帰らなかったのか。

母とのぎこちなさや、お看取り、出棺、納骨のあと「私」から出て来る「役目が終わったという気楽さ」という言葉。死にゆくお父さんにはあふれる愛が止まらないのに、生きているお母さんにはなにか、地雷原を歩くような気のつかいかたが感じられる。攻撃されるとか嫌いだとかではなく、一歩間違えると両方が吹っ飛んでしまうほどの言葉が、行動が、相手から、自分から出るのを避けるような。

この帰省で起きたことを自分の中で整理するため、「私」は「少女を埋める」を書く。しかしそのあと思わぬことが降りかかる。それが同時収録の続編「キメラ」だ。

キメラとは神話にでてくる獣のことで、ネットで画像検索するとすごい。頭が獅子で体が山羊でしっぽは蛇または竜。口から火を吐くらしい。

「パーツとパーツの組み合わせで見たことのない動物ができてて。」――これが自作を取り上げた新聞の文芸時評で起きたとき、書き手はどうするか。

キメラは無理くりの生き物に見えるが生命があって動きまわるし、わたくしの印象ではおそらく短命ではない。神話にすぐ死ぬ生き物ってあんまり出てこなくて、皆ご長寿、不滅。簡単に消えない。「私」が最初のキメラに向き合ってるうちに、べつなところでべつな頭と胴体としっぽが組み合わされたものも出現する。

この困難をもまた、「私」は書くことで乗り切ろうとする。お話の最後の、「きてくれてありがとう、キメラ。私はおまえを書くのだ。」という一行に、作家としての強い決意と矜持が見て取れた。

興味深かったのは、「東京の人はテンポが速い」というところ。一度目は「少女を埋める」にお母さんの言葉として、二度目は書き下ろしの最終話「夏の終わり」にカフェのバリスタのおしゃべりとして出てくる。わたくしの要約では、東京の人たちの話す、歩くスピード、注文の時の声などはとても速いし、またはっきり物を言いすぎるから田舎の人を怖がらせてしまう、ということである。

でも逆はないのだ。わたくしの考えでは、「地方に行ったら人々の会話や道を歩くテンポが遅くてのんびりなので、東京人たちが怖がる」はない。

「だから怖い」が付くのは「速さ」ではないのだろう。人や空気感の入れ替えがめったにないところで暮らす人たちは「とにかく自分たちと違う」をおそれるのではないか。

作中で紹介されるSF小説『キリンヤガ』の異能の天才少女は存在を許されない。彼女の力でよりよい生活、新しい開発、役立つ発明がいくらでもできるのに、村の人たちは変化を嫌う。「出て行け。もしくは、従え」と命じられた彼女は・・・。

『少女を埋める』の帯には、「出ていかないし、従わない」とある。都会に拠点があるから鳥取はいいや、にしない。故郷のことを、東京生活者の速い文体で書ききる。これが帯文につながる。『キリンヤガ』の少女のぶんまで、作者はこの言葉を生きている。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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