【第178回】間室道子の本棚 『遠慮深いうたた寝』小川洋子/河出書房新社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『遠慮深いうたた寝』
小川洋子/河出書房新社
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9年ぶりのエッセイ集。

陶器のような表紙が魅力的。使いなれた食器みたいに、どのお話も手と心になじむ。そして素晴らしいのは、思い出や心配、想像など頭の中が描かれたあと、それらを超えるものが現実世界にあること。それを小川さんが見逃さないこと。

たとえば、切符をなくす話。浜松町でモノレールの切符を無くした小川さんは、もしかしたら、小人か妖精のしわざかしら、彼らの世界では人間から盗みだした一枚で、くたびれた三角帽子を新品に換えたり、やぶれた背中の羽根を直したりできるのかな、と考える。

その後日、倉敷で朗読会があった。終了後、もらった立派な花束を抱えながら、参加してくれたかつての同級生と小川さんが電車で岡山駅まで戻ってきたとき、彼の切符がなくなっていた。

さて、どこにあったでしょう?小人や妖精を超える、あっと言わせることが、日常にはあるのだ。

さらに、南仏プロヴァンスの小さな村を会場に、日本の文学者数名が招かれて開催された文芸フェスティバル。一日目のシンポジウム、サイン会、食事会を経て、二日目。小川さんが「村の小学校で日本の話をすることになっている」と知ったのは、この日の朝だった(スケジュール表はもらっていたがフランス語で書かれており、よくわからなかったのである!)。

もちろん通訳の方はいる。でももともと日本でも学校という場所には緊張してしまう。なによりフランスの村の子どもたちが小川作品を読んでいるはずはない!焦りと戸惑いの中、教室から興奮気味に集まってくる生徒たち。

「質問のある人」という先生の声に驚いたことに次々手があがり、「漢字は全部で何個あるんですか」「日本人はそれを全部覚えていますか」などの難問(日本の小学校訪問ではぜったい聞かれないことだ!)に小川さんが答えるたび、「ほーっ」と感嘆の声があがる。

さらに「名前を漢字で書いてください」というリクエスト。これはお安い御用だ。黒板に書き、説明を始める。洋子の「洋」は大きな海を意味する。左のちょんちょんちょんが、水を表す。おじいさんが海のような大きな心を持った人になってほしいと願いを込めて付けた――。

で、この話にはオチ(!?)があり、私は思わず「ほーーーーっ!」と声をあげてしまった。

小川洋子。この何千回と目にし、時には書いた(書店での注文作業や書評で!)名前にこんなことが。きっとこの時小学生たちの心に、「遠い国から来た人」というふわっと甘い感じを超えた、リアルで強い感動が生まれたと思う。

「物語をつくる人の名前には、こんな運命的なことが」「おそらく、お話の書き手でなければ、この面白さをすくいあげられないだろう」「小説家って、すごい。この人はこの秘密を私に話すために、ここまで来てくれたんだ」・・・・。こんなことを思ったんじゃないかな、というこれらは、私の感想でもある。

将来誰かが作家になり、「小川先生、覚えてらっしゃいますか。以前、南仏の小学校でお話をしてくれたことがありましたよね」と日本に来たらいいと思う。これは小川さんの夢でもあるかも。

飛行機の中で子供たちに配られるおもちゃを喜び勇んでひとつ掴んだあと、訳も分からず口に入れる幼子、町の食堂で上等のほうのエビフライセットにコロッケを1つ追加し、完食したおばあさん。古い車のトランクから出てきた、からみあう二つ。おう、こう来ますか、というあざやかさ。

エッセイにしろ小説にしろ、小川作品が支持されるのは、小さな命ある存在が、世界は生きるに値する、とささやくところだと思う。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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