【第192回】間室道子の本棚 『ダーク・ヴァネッサ』ケイト・エリザベス・ラッセル/河出文庫
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『ダーク・ヴァネッサ』
ケイト・エリザベス・ラッセル/河出文庫
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親友に彼氏ができ、ないがしろにされて落ち込む十五歳のヴァネッサは、ある日四十二歳の男性国語教師ストレインが自分に興味しんしんだということに気づく。子供っぽい恋愛に夢中な女友達に捨てられたわたしが、大人の男性を魅了している!じわじわと禁断の関係になっていく先生と少女。
「これは愛なのか」を読み解くには、「なにがフェアか」が鍵を握ると思う。恋愛感情があろうとなかろうと、四十過ぎの男とミドルティーンの女子は対等ではない。
ストレインを前にしたヴァネッサには何度も「これはテストだ」「完璧な答え」「落第」というワードが浮かぶ。正解は先生が握っており、彼女はたえず言葉の裏や顔色をうかがう。望まない答えの場合、彼は腕を組んで遠くを見つめたりあきらかにがっかりしたり不機嫌になったりするのだ。
「決めるのはきみだ」と先生は言う。でもそれで守っているのは二十七歳年下の相手ではなく、自分。あんのじょう、ヴァネッサは秘密の恋をどう続けるかだけに心を砕いたのに、先生は用意周到なことをしていた・・・。
主人公がからめとられていく様子に慄きつつ、一方で、十代の少女が持ちがちな全能感、その心地よさに「わかる!」とどきどきする女性読者は多いはず。
少年はこういう気持ちは持たないと思う。肉体、頭脳、経験において、二十も三十も上の大人には勝てない、彼らを手玉にとったりひれ伏させたりできない、とわかっているのだ。
だが、女の若さがもてはやされる社会において、ティーンの女の子たちは年上の男性をひざまずかせることができるし年上の女を嫉妬させられる。ヴァネッサもそうだった。
だが甘美は続かない。そう、時とともに欲望の対象外になっていくのだ。それでも彼女は彼を追い求める。
複雑なポジションの人物が登場し、この時のヴァネッサの心情をくみ取って身もだえする読者も多いと思う。彼女は「先生が目をつけたのはわたしの若さではなく、感情知能指数の天才級の高さ、神童のような文才」をよりどころにしていた。でも、ストレインの教え子だったある女の子は二十代の今詩を書いていて、いくつかは活字になり、朗読会も開いている。自分はそうではない。別な娘は師である大学の教授と十九歳の時結婚した。自分はそうではない。現在三十二歳のヴァネッサは・・・。
初体験の場面に、「しばらくすると彼は先になにかしてから同意を求めはじめた」とある。ショーツを脱がせていいかい、と訊いたのも、脚のあいだにひざまずいてかまわないかな、と確認したのも、先生がすでにそうしたあとだった。行為の核ではもっとエゴまる出しだ。
でも十七年後、ヴァネッサは「彼は無理強いなんてしなかった。わたしがイエスというかを、いちいち確かめた」と言っている。
ある時は「わたしは被害者じゃない。自分で望んだの」と言い切り、ある時は「十五歳の時レイプされた」と口走る。「彼はわたしをすごく愛してた」と「彼はただ奪って、奪って、奪う」が混在する頭。
彼女は嘘つきなの?と考える人もいるだろう。でも真実は読みやすいまとめ話ではない。思い出すたびの矛盾、ゆらぎ、宙ぶらりんにこそ、本書の読み味がある。そして、ひとつだけ「これが起きた」と言い切れることがある。先生は初期の段階で彼女に、「きみをめちゃくちゃにしてしまう」といった。そのとおりになった。
「ロリコン野郎はくたばれ」だけでは済ませられない、ねじれた狂おしいものがここにはある。「これはラブストーリーじゃないといけないの。そうじゃなかったら、なんだっていうの?」という心の悲鳴が痛ましい。いろんな「Me Too文学」が台頭していますが、読むべき一冊。
「これは愛なのか」を読み解くには、「なにがフェアか」が鍵を握ると思う。恋愛感情があろうとなかろうと、四十過ぎの男とミドルティーンの女子は対等ではない。
ストレインを前にしたヴァネッサには何度も「これはテストだ」「完璧な答え」「落第」というワードが浮かぶ。正解は先生が握っており、彼女はたえず言葉の裏や顔色をうかがう。望まない答えの場合、彼は腕を組んで遠くを見つめたりあきらかにがっかりしたり不機嫌になったりするのだ。
「決めるのはきみだ」と先生は言う。でもそれで守っているのは二十七歳年下の相手ではなく、自分。あんのじょう、ヴァネッサは秘密の恋をどう続けるかだけに心を砕いたのに、先生は用意周到なことをしていた・・・。
主人公がからめとられていく様子に慄きつつ、一方で、十代の少女が持ちがちな全能感、その心地よさに「わかる!」とどきどきする女性読者は多いはず。
少年はこういう気持ちは持たないと思う。肉体、頭脳、経験において、二十も三十も上の大人には勝てない、彼らを手玉にとったりひれ伏させたりできない、とわかっているのだ。
だが、女の若さがもてはやされる社会において、ティーンの女の子たちは年上の男性をひざまずかせることができるし年上の女を嫉妬させられる。ヴァネッサもそうだった。
だが甘美は続かない。そう、時とともに欲望の対象外になっていくのだ。それでも彼女は彼を追い求める。
複雑なポジションの人物が登場し、この時のヴァネッサの心情をくみ取って身もだえする読者も多いと思う。彼女は「先生が目をつけたのはわたしの若さではなく、感情知能指数の天才級の高さ、神童のような文才」をよりどころにしていた。でも、ストレインの教え子だったある女の子は二十代の今詩を書いていて、いくつかは活字になり、朗読会も開いている。自分はそうではない。別な娘は師である大学の教授と十九歳の時結婚した。自分はそうではない。現在三十二歳のヴァネッサは・・・。
初体験の場面に、「しばらくすると彼は先になにかしてから同意を求めはじめた」とある。ショーツを脱がせていいかい、と訊いたのも、脚のあいだにひざまずいてかまわないかな、と確認したのも、先生がすでにそうしたあとだった。行為の核ではもっとエゴまる出しだ。
でも十七年後、ヴァネッサは「彼は無理強いなんてしなかった。わたしがイエスというかを、いちいち確かめた」と言っている。
ある時は「わたしは被害者じゃない。自分で望んだの」と言い切り、ある時は「十五歳の時レイプされた」と口走る。「彼はわたしをすごく愛してた」と「彼はただ奪って、奪って、奪う」が混在する頭。
彼女は嘘つきなの?と考える人もいるだろう。でも真実は読みやすいまとめ話ではない。思い出すたびの矛盾、ゆらぎ、宙ぶらりんにこそ、本書の読み味がある。そして、ひとつだけ「これが起きた」と言い切れることがある。先生は初期の段階で彼女に、「きみをめちゃくちゃにしてしまう」といった。そのとおりになった。
「ロリコン野郎はくたばれ」だけでは済ませられない、ねじれた狂おしいものがここにはある。「これはラブストーリーじゃないといけないの。そうじゃなかったら、なんだっていうの?」という心の悲鳴が痛ましい。いろんな「Me Too文学」が台頭していますが、読むべき一冊。
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。